Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その23

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○火災消滅の事〈1〉

管理人註
  

此時逆徒散乱の場所へ至り見分するに、打倒されし火術者は、黒羅紗の羽織 に紺縮緬の下帯を〆、白き足袋を穿、細身の大小を帯したり、斯様の場所に 出る支度とは見えず、此は梅田源左衛門とて彦根浪人の由なるが、爰に奉行        はじめ の家来にて一条一といへる者、此首をば切取て、耳より耳へ鎗を貫き、城中 指して持帰れりと、 扨逆徒等が捨置し飛道具など、道路に充満し、是を取捨取集めて、西奉行に            はるかとほく   はなち は本町筋へ押行るゝに、遥遠方より放たる鉄砲の玉飛来るに、馬驚きて前足 を上しかば、奉行は鞍に堪り兼、真逆まに落馬せり、其手の者ども驚きて、 スハ奉行には鉄炮にて討れ給ひしと迯出すを、陣代畑佐秋之助、是を見て声                  おりたち     きた   ふるまひ を励まし、如何にや人々、奉行には、下立給ひしを、穢なき挙動卑怯哉、と               けしき て大音声に呼はりけるに、漸々景気を取直し、再び筒先を揃へて打放す、此 隙に伊賀守馬に打乗り、瓦町へと進み向ふ、             たて               こうべ 脇勝太郎申けるは、爰より立はさみに押行べしと、伊州聞れて頭を振、否々 夫には及ふまじ、と西を指て押行ける、 斯る程に、難波橋の北の辻にて、炮声夥しく響きしかば、其辻に向ひて駈行 ける道にて、大小一腰と鎗二本をば拾ひつゝ、彼淡路町の所乱をば、取鎮の 為め赴かる、                 いへ 斯る処に、玉造の同心高橋源兵衛と言る者、迯後れたる帯刀の賊一人、召捕 引立て奉行の許へ引渡す、 扨両町奉行には、談合有て、逆徒の行衛知れざれども、先散乱なせし様子な れば、跡部城州には、入城有て御城代へ此事を告申さん、と引返され、四人 の与力と同心は、東役所にて休息なし、又伊州には、三人の与力と同心をば            まは 引具して、町々所々を見巡られ、是も跡より入城なしたり、 畑佐秋之助と三人の与力並に同心の面々には、思案橋の南手に陣を取、其夜 亥の刻頃引取たり、 京橋役与力同心の一手には、本町橋を固め居しが、是も夜半の頃引取たり、 此日に至り見物の者言伝へたる処にては、玉疵にて死し倒れたる死骸、山岳                          まさ をなす内にも、彼淡路町の町中に、大の男の死骸あり、正しく角力取と覚し く、強き働きせし者ならんと、             なだれ 又淡路町にて、大塩方惣山崩に敗走の折、多勢の中より只一人、取て返し勝         まつしぐら おもて 誇りし多勢の中へ驀地に面も振ず突入しは、是ぞ即ち杉本林太夫にて、其年 僅十四才、白綾の絹にて鉢巻し、水車の如く長刀を振廻し、当るに任せ薙伏 薙立、勢ひ猛く働きける、是が為、奉行方にも疵を蒙る者多かりしが、終に 多勢に取巻れ、運拙くも生捕となる、 又、瀬田藤四郎、庄司儀左衛門の両人も、敵を悩まし勇戦せしが、遂に奉行 の手に生捕れける、




『天満水滸伝』
その27

幸田成友
『大塩平八郎』
その141


































































杉本林太夫
松本林太夫
人名には異なる
ものがある


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