Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その24

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○火災消滅の事〈2〉

管理人註
  

此時大塩方散々に打散され、今は平八郎も詮方なく、予て覚悟のことなれば、                   いちにん           しつか 鎧の上帯解捨て、腹掻切んとする処に、一人の僧顕はれ出、刀持手を確乎と                               かぞ 捕へ、君は大塩平八郎殿と見受たり、拙僧をお見覚えは是有まじ、へて見       あげまき れば二昔、君総角の頃なりし、鈴鹿山にて一命を打るべきを、情を以て一命 を助け給はりし事、今日迄も心魂に徹したり、其時厚き御教訓にて、始めて 夢覚し心地なし、幸ひ黒髪を切捨られしを其儘菩提の種となし、旧悪を滅せ          へめぐ            さふらひ ん、其為に諸国を経歴り居たりしうち、彼総角の武士こそ、大塩氏と跡にて                   みま 聞き、君が武運を祈りつゝ、時節も有ば見え奉り、斯発起せし出家の事ども、 聞え上んと思へども、生得罪科の重ければ、旧悪露顕せんと恐れて、只今ま           くはだて          ひと でも告奉らず、今朝此企あるを聞と、斉しく若もや御身に危急の事も候に於            なげう ては、惜からぬ此一命を放つて、厚恩報じ奉らん、と斯乱軍の中を馳廻り、 御跡を慕ひ候なり、一先此場を落延玉ひて、又如何様にも御思慮ありて、御 子息と御談合なさるべし、某し爰にて大塩氏が御名を借て相果申さん、然あ らば、落延玉ふにもお心安きことなるべし、 と誠を顕し言出る法師の義心に、平八郎感激なして、暫くは猶予に及び居し 処、橋本忠兵衛、天満の作兵衛、大塩随順の者どもが、倶に一先落延玉ひて、 又々計議有べし、と格之助始め勧めけるにぞ、 今は平八郎も心を決し、然らばと計り名残惜気に、皆々此場を落延たり、 跡に彼僧は、平八郎が脱捨置し鎧を着し、身搆へなして大音に、大塩平八郎 運命尽て、此所にて最期を遂る、我と思はん人々は、来りて首を取候へ、と       めぐ 呼はり/\駈廻れば、スハヤ大塩、遁すな、と思ひ/\馳集り、追取巻を、 彼僧は、右へ突き、左へ当り、千変万化に働けども、其身金鉄ならざれば、 遂に数ケ所の手疵を負ひ、今は覚悟と思ひ定め、燃上りたる焔の中へ、勢ひ       ふすぼ 込て飛で入、燻り返つて死したりける、 彼の大塩平八郎が僧になりしと言伝へしは、此法師のことを言しなりとぞ、 扨張本人なる大塩なればと火を消し、死骸を引出し点検するも、焼爛れて其 何人を分たざりしと、然ども平八郎は小兵なり、此法師は大兵なれば、人皆 疑ひ思ひたりしと、 斯て市中の乱暴は静まりけれども、火気募り、風さへ強く吹出し、何時鎮火 すべき物とも見えず、火消人足は、此騒動に四方へ迯散り、一人も防火に力 を尽す者なく、漸々是を呼集め、消防方を命じける、                                  くれ 爰に残党原、近辺に未だ忍ひ居て、夜討するなど、誰言ふとなく風聞し、黄 あひ 昏頃に至りては、玉造口へ押寄て、放火するなど言触しける、 因て御城内には、用心厳しく、東番頭菅沼、与力同心を加勢とし、相詰られ、 御本丸は、西番頭北条、与力同心一手にて相守らる、 玉造横手の御蔵脇は、要害浅間なればとて、御定番より菅沼へ談ぜられて、 両番頭の手勢を向て、横打を搆へんものとせられしかど、玉造与力同心の家 内の者共、万が一放火に慌て迯行ば、御蔵脇十間には通り難し、と此横打は とめ 止られけるが、必ず油断なり難しとて、遠藤殿より申渡され、与力同心の隠 居より二男三男に至るまで、男たるべき者十五歳以上を催促ありて、筋金御 門を守らしめられ、往来を厳しく改められける、 火事に迯行人々に紛れ込で通らんとせし賊徒、八人迄生捕けるが、此者共は 皆腰に彼種が島の鉄砲を提、袂に玉薬を入置て、忍び提灯を懐中したりと、 其中一人の坊主有て、力飽迄強くして、漸々四五人掛にて、終に搦捕けると ぞ、




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