Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.27

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その36

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大井正一郎の伝

管理人註
  

○大井正一郎は、玉造口与力大井伝次兵衛の伜にして、幼少の頃より剛気濶                    いか         ひとゝなる 達にて、常に友達の子供を打擲して、親の憤りを度々受しも、其成長に従ひ                      すぐ             やゝ て、気随放逸増長し、大酒を深く好んで呑、其過る時は口論し、動もすれば 白刃を閃かしては、人を威し取ところ無き者なれば、親伝次兵衛は心痛して、 或日正一郎を呼近づけ、異見を加へ、禁酒せよといへども、五日と辛抱なら              うち            それのひ ず、箸にも棒にも掛らず居し中、去申年の事成しが、如月某日初午に、小橋 と云地に、心安き浄土宗の僧有しが、此寺へ行き、上り込、朝より酒を始め                いは しに、次第に酩酊するに連、酒が言する跡引、上戸いざや是より生洲へ往、 所を替てあつさりと呑直さんと、昼九ツ頃、厭がる住持を無理に引連、先天 満の方へ赴きしが、谷町辺に来りし時、往来の者へ突当り、例の酒癖に剛気 を発し、武士に突当りて不届なり、其分にはなし難し、真二ツになし呉ん、 とすらりと刀抜放すに、同道せし彼僧は、大いに驚き抱き止め、此は狂気せ しか、短慮なり、と言ふをも聴ず振放さんと揉合内に、相手の者は其場を這                               はずみ 々に迯去たるに、僧は一生懸命に正一郎を抱留居しが、身をもがく機会打倒 るゝを、正一郎は、酔眼に僧を相手と思ひ違へ、彼抜放せし刀の胸にて、し    あたま         いと たゝか天窓を打裂しが、此事最も六ツ敷なり、 つひ 竟に親類中掛り合、事内分に取扱ひ、公辺沙汰には成ざりしが、親伝次兵衛 も親類へ対し、此儘には差置難しと、先表向は勘当分にて、彼平八郎が義気                                やむ を知る故、正一郎を是へ頼み、諭しを受などしたならば、放逸大酒も止べし             ひたすら と、平八郎へ伝次兵衛より只管頼み入ければ、平八郎も承知して、夫より内                          そだち 弟子とは為し置しが、今度一味の第一となり、玉造にて育し故、火術に勝れ し者なれば、逆徒の一臂とは成にける、                   かゝは 故に父伝次兵衛も押込られ、其家名にも係るべき程の大事に至りしは、仏頼      おつ んで地獄に堕と、世の諺にいふ如くなり、 夫は扨置、正一郎は、彼十九日の押出にも、難波橋より二手に別れ、先一方 の首頭となり、米平が輩を焼立けるが、散乱の後、遠く迯延、日頃足は達者 なれば、阿州の国見山程近き尊延寺村の百姓にて、次三郎と云方に一泊し、 百姓三八と云を倶になし、大和路指て来掛りしが、行先ごとに詮議厳敷、今 は立伏木蔭もなければ、此辺に浮々居たらんには召捕るゝ事もや有んと、夫 より道を北へ取り、加賀国迄迯行しが、火急の事ゆゑ路用も薄く、既に貯へ も尽果しかば、今は如何ともする事能はず、依て又々思案を替、胆太くも加 賀を立去、忍びて山城の国へ立入り、身寄を尋ねて内々に金子を調へんと入 込居しが、遁れぬ天網疎にして漏ず、終に所司代の手に召捕れ、京都に於て 御吟味有、夫より四月二日、大坂へ送られ、御詮議有て、六月廿九日、彼安     もろとも 田図書と侶倶に、道中厳敷警護にて、江戸表へと差下され、江戸表にて御吟 味有しと、

本文には見出し
なし、
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『天満水滸伝』
その38

幸田成友
『大塩平八郎』
その157
 


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