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そにしてもらさず とく
古語に曰く、天網恢々疎而不洩とは、悪をなす者天誅を遁れざるを訳なり、
抑々天満の変事、大塩一人が悪謀よりして、大坂市中の動乱言ん方なく台庁
をも驚かせしに、因て摂津近辺の諸侯に令し、大塩が余類を追捕せしむ、
津々浦々はいふ迄もなく、人相書を以て触渡され、密網国中に張満たれば、
かけ いざ いづく
天を翔る翼、地を潜る足あらば卒知らず、何国如何なる山川林間に、其形跡
おは
を隠し負さんや、
爰に於て、逆徒ども追々自殺し、或は捕はれ、今は早大塩父子と、又正月中
出奔せし河合郷左衛門のみ、其行衛知れず、或は雲州邸へ忍びしとの風聞ゆ
ゑ、捕方彼邸へ向はれしが、是空談にて其影もなし、
はじめつかた うばら
又三月の初旬、大阪より八里隔たる菟原郡摩耶山功利天上寺の僧徒より、峯
ともがら
に怪しき者籠り居りぬ、多分平八郎が輩ならん、と奉行の許へ告たりければ、
町奉行の与力同心等、夜中松明振照し、案内の者を先に立、彼摩耶山へ登り
うせ
けるに、其半腹に至りし頃、彼案内者、突然失しに、此は天狗の所為にやあ
らん、と人々恐れて立戻り、又も案内者を求め登りけるに、是も跡方なき事
にして、怪き者更に見えず、因て人々下山なし、段々其様子を尋ね探るに、
全く此山の僧徒ども、常に心懸宜しからず、毎々金銀を掠め取由聞へたれば、
捨置がたく、右訴へをなせし僧徒等を召捕、大坂へ連帰りける、是を見て大
坂の諸人等、既に平八郎は、坊主になりて摩耶の山奥に忍び居しを、奉行の
手に召捕れしと専ら申合りしとなん、
又大塩は、兼てより心懸し事なれば、若此事の成就せざれば、斯様/\と手
段なし置、竹島といふへ渡海せしとも、或ひは切支丹の妙術を、貢が手より
請得たる、彼書物にて習ひ覚え、深山幽谷に身を蟄し、気を呑み霞を啜り居
まち/\
るなんど、風説区々にして行衛知れず、因て渠等父子自殺せしを、一味の者
の其内にて、彼屍を隠さんとて埋み負せしも斗り難し、と野山の新しき施主
あば
なき墓など堀発きて、改められ、世にいふ草を分ての詮義なりしも、其行方
は更に知れず、彼高野山は、昔より如何なる悪人たりと雖も、一度登山せし
かくまひ
者は隠匿置こと寺法なりと言伝ふれば、此処にも隠密を入て探りけるに、高
橋茨田が輩迯登り、一夜泊て追下したれば、高野山には居ざりしと、
また和州吉野山の十五里許奥に当る十津川廿四ケ村は、大塔宮に御味方せし
より、其賞として村々へ鎗十本ヅゝを許しにて、諸国よりして迯来る者を隠
匿置ても、御咎なき掟なれば、此上は、彼村内を詮議なすより詮方なけれど、
かしこ
如何にせん、彼処は容易に捕方を差向難き処なれば、其手筋より申達し、然
して踏込然るべしと、種々評論に及びける内、又々種々の風説ありて、彼是
日数を費しつ、
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『天満水滸伝』
その38
幸田成友
『大塩平八郎』
その150
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