Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.2.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その37

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大塩父子自殺の事(1)

管理人註
  

          そにしてもらさず                とく 古語に曰く、天網恢々疎而不洩とは、悪をなす者天誅を遁れざるを訳なり、 抑々天満の変事、大塩一人が悪謀よりして、大坂市中の動乱言ん方なく台庁 をも驚かせしに、因て摂津近辺の諸侯に令し、大塩が余類を追捕せしむ、 津々浦々はいふ迄もなく、人相書を以て触渡され、密網国中に張満たれば、   かけ           いざ       いづく 天を翔る翼、地を潜る足あらば卒知らず、何国如何なる山川林間に、其形跡    おは を隠し負さんや、 爰に於て、逆徒ども追々自殺し、或は捕はれ、今は早大塩父子と、又正月中 出奔せし河合郷左衛門のみ、其行衛知れず、或は雲州邸へ忍びしとの風聞ゆ ゑ、捕方彼邸へ向はれしが、是空談にて其影もなし、     はじめつかた          うばら 又三月の初旬、大阪より八里隔たる菟原郡摩耶山功利天上寺の僧徒より、峯                  ともがら に怪しき者籠り居りぬ、多分平八郎が輩ならん、と奉行の許へ告たりければ、 町奉行の与力同心等、夜中松明振照し、案内の者を先に立、彼摩耶山へ登り                     うせ けるに、其半腹に至りし頃、彼案内者、突然失しに、此は天狗の所為にやあ らん、と人々恐れて立戻り、又も案内者を求め登りけるに、是も跡方なき事 にして、怪き者更に見えず、因て人々下山なし、段々其様子を尋ね探るに、 全く此山の僧徒ども、常に心懸宜しからず、毎々金銀を掠め取由聞へたれば、 捨置がたく、右訴へをなせし僧徒等を召捕、大坂へ連帰りける、是を見て大 坂の諸人等、既に平八郎は、坊主になりて摩耶の山奥に忍び居しを、奉行の 手に召捕れしと専ら申合りしとなん、 又大塩は、兼てより心懸し事なれば、若此事の成就せざれば、斯様/\と手 段なし置、竹島といふへ渡海せしとも、或ひは切支丹の妙術を、貢が手より 請得たる、彼書物にて習ひ覚え、深山幽谷に身を蟄し、気を呑み霞を啜り居        まち/\ るなんど、風説区々にして行衛知れず、因て渠等父子自殺せしを、一味の者 の其内にて、彼屍を隠さんとて埋み負せしも斗り難し、と野山の新しき施主       あば なき墓など堀発きて、改められ、世にいふ草を分ての詮義なりしも、其行方 は更に知れず、彼高野山は、昔より如何なる悪人たりと雖も、一度登山せし   かくまひ 者は隠匿置こと寺法なりと言伝ふれば、此処にも隠密を入て探りけるに、高 橋茨田が輩迯登り、一夜泊て追下したれば、高野山には居ざりしと、 また和州吉野山の十五里許奥に当る十津川廿四ケ村は、大塔宮に御味方せし より、其賞として村々へ鎗十本ヅゝを許しにて、諸国よりして迯来る者を隠 匿置ても、御咎なき掟なれば、此上は、彼村内を詮議なすより詮方なけれど、       かしこ 如何にせん、彼処は容易に捕方を差向難き処なれば、其手筋より申達し、然 して踏込然るべしと、種々評論に及びける内、又々種々の風説ありて、彼是 日数を費しつ、



『天満水滸伝』
その38

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『大塩平八郎』
その150


『今古実録大塩平八郎伝記』目次/その36/その38

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