|
凡そ三十余日を経るも、父子が所在知ざりける、
かたはら
爰に御城付の平野の在に、或百姓の娘にて、大坂阿波座堀の傍なる油懸町の
更紗染渡世、美吉屋五郎兵衛といふ者方に、下女奉公を為し居し者が、此年
三月、年期通り暇ま出て故郷へ帰り、親の手元に居たりしが、或日、近所の
百姓達が、此節米の値高直にて、粥も中/\啜り兼、此体にては食続かれぬ
と、寄集ての世間咄を娘は聞て、何の気なしに、
まさ
私が今日まで奉公した美吉屋にては、春渇きとて人も増ぬに、如何したこと
す ゑ
か、二月の下旬より今日が日まで、此米の高いに、人数より多く飯を焚ます
さ よく
が、然のみ身代も宜ない様子、何とも不思議のことなり、
と咄しけるを、傍らにて皆々是を聞居しが、其中一人が聞咎め、段々訳を聞
ない/\ かく
糺して、何様夫は只事ならず、五郎兵衛方には、誰にも知らさず密々人を隠
まひ いへ うなづき さいは
匿置、食事を賄ふに相違なしと言ば、一人が点頭顔にて、然言るれば、渠が
ゆかり
女房は、彼逆徒の張本人たる大塩平八郎に由縁の者、若や渠等は、美吉屋に
忍ひ居るやも知れ難し、何にもせよ、お尋ね厳しき謀叛人のことなれば、村
よさ
役人まで此事を訴へ出るが宜さふなと勧められて、娘の親は、如何にも皆/
\の申通り、厳しきお尋ねも有なればと、則ち村役人へ出ると、村役人ども
やが
是を聞、此は捨置がたき次第なりと、頓て其者を同道して、陣屋が許へ出訴
しけるに、陣屋にても、早速に御城代へ注進に及べば、御城代は家老なる鷹
見十郎左衛門を呼出され、遅々せず早く捕方を差向よ、との仰に付、同人差
図として、剣術の師範岡野幸右衛門へ其捕方を言渡し、其外屈強の者八人を
撰み、是又捕方として差向らる、
かしこ せま てんで
兼て彼処は場狭なりと聞えし故に、心得て手頃の棒を各手に持、身軽にこそ
しか
は出立たれど、大塩父子が面体を確と見知し者なければ、評議の上、西組与
しか/゛\ かしこ
力内山彦次郎といふを招き、云々の由を申聞るに、彦次郎は畏まり、立帰り
て早速に同心召連、奉行の許へ此趣きを達せし上、三月廿七日の早天に、惣
もろとも
人数と侶倶に、彼油懸町の裏手なる、信濃町といへるへ罷り越、爰の会所へ
五郎兵衛を偽り呼寄て責問けるに、此五郎兵衛の女房つねは、平八郎が妾ゆ
ふの姉にて、常々親しく出入なし、既に此度乱暴の節も、平八郎が押立し旗
抔美吉屋が染し由風聞あれば、是より先に奉行所へ呼出され、糺問あるに、
ことば
五郎兵衛は、言を巧み、
へいぜい
私儀、平常出入仕れば、手拭百筋染呉ろと注文有しに、渡世の事ゆゑ、何の
つかは
弁まへとてもなく、染遣し候へども、其余に染し物は御座なく、
と申上しに、深くも咎めなく、町内預けと成て在しに、今又此処に呼出され、
吟味あるに覚えなき旨、始めの内は陳じけれども、彼下女の口振に依て、証
つゝ とて
拠を引て糺されけるに、今は中々秘み難く、迚も遁れぬ処なり、と覚悟を極
め、五郎兵衛は、終に二月廿三日より隠匿置由、白状すれば、会所に五郎兵
衛を留置れて、渠が女房を呼出して、其方宅に二月以来大塩父子を隠匿置由、
訴人有て明白なり、依て五郎兵衛を取糾せしに、相違なき旨白状に及ぶ、
|
『天満水滸伝』
その40
幸田成友
『大塩平八郎』
その159
|