Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.24

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『今古実録大塩平八郎伝記』

その8

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大塩平八郎が明智邪法を見顕す事

管理人註
  

こゝ 豊田貢が門弟ども、京都は勿論、大坂にあつて専ら邪宗を弘めければ、訳も                   さながらいけ なき俗民等は是に帰依して他を顧みず、宛然生る神仏の如く敬ひ尊び入、来                              さぐりきゝ  いた る者門前市をなし、其賑ひいふ計りなし、彼の平八郎は、此事を探聞て、甚 く怪み、彼正法に不思議はなきに、是は不思議の事共なりと、密に時の奉行 なる                    やが           やつ 成高井山城守殿へ言上て、頓て其身は町方の者に姿を窶しつゝ京都に到り、                        ひたすら 八坂なる豊田貢が家へ行き、貢に逢て仔細を咄し、只管加持を頼みけるに、 貢は早速承知して、頓て加持をぞ初めける、 平八郎は予てより心に一物あることなれば、祈祷料等多分に寄附し、夫より            かれ 毎日貢が家にいたりて、渠が法を修するを心を附て窺ひ見るに、其怪しき事 限りなければ、平八郎は偖こそと、いよ/\心に油断なく、探り糺して居た りける、      まはしもの                よき 貢は、斯る間諜者とは夢知らざれば、好信者と平八郎が心を試すに、誠に帰 依して宗門を慕ふ様子の見えければ、貢も今は心許して、種々に邪法を勧め などし、彼天帝の画像を始め、切支丹の修法をば委しく教へ授けしかば、平 八郎は是を聞て、組同心へ差図なし、貢を即座に召捕つ、大坂表へ引連たり、、    【捕縛の図 省略】   らうば    ひとや 偖も老姨は、獄中に有て、 我此宗門を弘めんと、年来心を砕きし甲斐もな く、大塩平八郎に謀られて見顕されしこそ口惜けれ、見よ\/汝平八郎、我 怨念の其身に付添、遠からずして我如く、汝が身をも木の空に登せんもの、                  いと と狂ひ罵る其様、何に譬へん様なく、最怖ろしき景色なりしと、 偖右一件の者どもを追々御吟味ありし処、逐一白状に及びしかば、御法度厳 しき邪法の宗門弘めし段々不届至極と、豊田貢は重罪なれば、大坂近郷引廻 しの上、磔の刑に行はれ、其外宗門帰依の輩は夫々刑に行はる、           そのころ                       かど 彼張本人水野軍記は、当時既に病死せしかば、張本人の廉をもて京都に於て       こぼ          か ら  さら                とゞこほり 葬りし墓地を毀ち引出し、遺骸を肆しの其上にて、取捨られて、此一件渋滞                          ほめそや なく落着せしかば、人皆平八郎が明智を感じ、舌を巻て称賛せしとぞ、 此は是文政十二年の事なりける、


『天満水滸伝』
その10


幸田成友
『大塩平八郎』
その30
 


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