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こゝ
豊田貢が門弟ども、京都は勿論、大坂にあつて専ら邪宗を弘めければ、訳も
さながらいけ
なき俗民等は是に帰依して他を顧みず、宛然生る神仏の如く敬ひ尊び入、来
さぐりきゝ いた
る者門前市をなし、其賑ひいふ計りなし、彼の平八郎は、此事を探聞て、甚
く怪み、彼正法に不思議はなきに、是は不思議の事共なりと、密に時の奉行
なる やが やつ
成高井山城守殿へ言上て、頓て其身は町方の者に姿を窶しつゝ京都に到り、
ひたすら
八坂なる豊田貢が家へ行き、貢に逢て仔細を咄し、只管加持を頼みけるに、
貢は早速承知して、頓て加持をぞ初めける、
平八郎は予てより心に一物あることなれば、祈祷料等多分に寄附し、夫より
かれ
毎日貢が家にいたりて、渠が法を修するを心を附て窺ひ見るに、其怪しき事
限りなければ、平八郎は偖こそと、いよ/\心に油断なく、探り糺して居た
りける、
まはしもの よき
貢は、斯る間諜者とは夢知らざれば、好信者と平八郎が心を試すに、誠に帰
依して宗門を慕ふ様子の見えければ、貢も今は心許して、種々に邪法を勧め
などし、彼天帝の画像を始め、切支丹の修法をば委しく教へ授けしかば、平
八郎は是を聞て、組同心へ差図なし、貢を即座に召捕つ、大坂表へ引連たり、、
【捕縛の図 省略】
らうば ひとや
偖も老姨は、獄中に有て、 我此宗門を弘めんと、年来心を砕きし甲斐もな
く、大塩平八郎に謀られて見顕されしこそ口惜けれ、見よ\/汝平八郎、我
怨念の其身に付添、遠からずして我如く、汝が身をも木の空に登せんもの、
いと
と狂ひ罵る其様、何に譬へん様なく、最怖ろしき景色なりしと、
偖右一件の者どもを追々御吟味ありし処、逐一白状に及びしかば、御法度厳
しき邪法の宗門弘めし段々不届至極と、豊田貢は重罪なれば、大坂近郷引廻
しの上、磔の刑に行はれ、其外宗門帰依の輩は夫々刑に行はる、
そのころ かど
彼張本人水野軍記は、当時既に病死せしかば、張本人の廉をもて京都に於て
こぼ か ら さら とゞこほり
葬りし墓地を毀ち引出し、遺骸を肆しの其上にて、取捨られて、此一件渋滞
ほめそや
なく落着せしかば、人皆平八郎が明智を感じ、舌を巻て称賛せしとぞ、
此は是文政十二年の事なりける、
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『天満水滸伝』
その10
幸田成友
『大塩平八郎』
その30
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