頼山陽と
交はる
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文政八年八月、頼山陽来りて大阪に遊ぶ。頼山陽、資性豪
邁跌宕、当時京師に住し、鴨涯山紫水明処に偃臥す。王侯
に事へず、権貴に媚びず、才学宇内を圧し、史眼古今を照
らす、名声籍甚、一代の翹楚相争て交を訂す。中斎竊かに
其英風を慕ひ、山陽も亦中斎の名を聞く久し。此日山陽、
中斎を訪ひ、一見旧知の如く、意気投合、相会ふの遅きを
恨むものの如し。乃ち酒杯を喚び、快談壮語膝の前むを覚
えず。中斎時に陽明全集を出し、良知を説き、太虚を談ず。
山陽其説を愛し乃ち全集を借りて去る。読み畢て七絶一首
を賦して之を還す。
ム ヲ
読王 文 成 公 集 頼 山 陽
リ ル ラク メヨ スルコトヲ
為儒 為仏 姑 休諭
ハ フ キヲ
吾 喜 文 章 多古 声
ノ ノ
北 地 粗 豪 歴 城 険
ク ス
尽 輸 講 学 老 陽 明
(北地は明の李夢陽の号、歴城は明の李攀龍の号)
是れより交遊頗る親密を極め、山陽遊阪すれば、先ず中斎
を訪ふを以て常とす。中斎嘗て超子璧蘆雁図を壁間に懸く、
山陽之を見て頤を朶ること久し。中斎心に之を知り、則ち
断然愛を割きて之を贈る。山陽大に喜び、乃ち長句一篇を
賦して之を謝す。其後文政十丁亥の秋、山陽西備に適き、
コロオ
茶山翁の遺物竹杖を得て帰り、尼崎に航する比ひ之を失ふ。
中斎為めに数人を遣はし、急に之を捜索し、数旬にして獲、
専价以て山陽に致す。山陽深く其厚誼を喜び、又七言古体
一首を以て之を謝す。
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山田準
『洗心洞
箚記』(抄)
その36
『洗心洞
箚記』(抄)
その38
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