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山城守は老病ではあつたが、嫉妬や虚栄で結晶されてゐる役人根性が鼻
について来た。真面目な彼には、それらがいやだつた。潔癖の平八郎も、
それらの空気が胸を引き砕くように孜々と迫つて来るのを覚えた。彼は一
時もそんな所に踏みとどまられなかつた。山城守が退職したのをいゝ口実
に職を辞した。これが原因の一つである。
彼はその志を洗心洞剳記に述べて『吾既に職を辞して隠に甘んじ、険を
脱して安に就く。宜しく高臥して労苦を捨て、以て自性を楽む可し、然る
に夙に興き夜おそく寝ね、経籍を研き、生徒に授くる者は何んぞや、此は
是れ事を好むならず、是れ口を糊するならば詩文の為ならず、博識の為な
らず、又、大いに声誉を求めんと欲するならず、再び世に用ひられんと欲
するならず、只学んで厭かず、人を誨へて倦まざるの陳迹を扮得する而已、
世人怪しむ莫れ、又、罪する莫れ、鳴呼心太虚に帰するの願、誰か之を知
らんや、我独り自ら知る耳。』とあるが、また『招隠篇詩并序』(洗心洞
詩文卷上)の終りに『昨夜間窓夢始静。今朝心地似 僊家 。誰知未 乏 素
交者 。秋菊東籬潔白花』とある。
当時、彼の心情を理解するものは、頼山陽と秋菊の花ぐらゐであつた。
彼の退職を心底から喜んだのは実に山陽であつた。彼は平八郎が『尾張に
適くを送る序』の中にその心を表現してゐる。
『功名富貴を喜ぶ者に非ず、喜ぶ所は間に処して書を読むに在り、吾嘗
て其精明を過用し、鋭進折れ易きを戒む、子起深く之を納る、而かも已む
を得ずして起つ、国家の為に奮つて自ら身を顧みざるのみ、然らずんば安
くんぞ、壮強の年、衆望翕属時に方つて、去りて構勢を奪ふは毫も顧恋無
からん哉』
平八郎はいつも『我を知る者は山陽に若くは無し。』と云つてゐた。そ
の山陽が留守の時、その壁上に詩を貼つた。その最後に『功労拙逸不 足
異。但恐 折 傷利器 。祈 君善刀時蔵 之。留 詩在 壁君且視』とある。
二人は兄弟のやうに愛し合つてゐた。平八郎はいつも山陽から刺戟を受
けた。平八郎が本当の人間として生きんと悩み苦しんだ根本を創つたのは、
実に山陽であつた。彼は平八郎の背景にゐて、人間になるべきことを指導
したのであつた。この退職の背後には山陽の精神が光つてゐた。これも原
因の一つである。
即ち平八郎が辞職した根本原因には三つあつた。第一は前述した官府の
不愉快な空気であつた。第二は階級を脱して仕事を共にした高井山城守が
隠退したからであつた。第三は山陽の愛であつた。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その49
『洗心洞箚記』(抄)
その34
『洗心洞箚記』(抄)
その44
幸田成友
『大塩平八郎』
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幸田成友
『大塩平八郎』
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その38
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