Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.5.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その31

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第六節 友人 (6)

管理人註
   

柴田勘兵衛――玉造口与力、佐分利流の槍術の大家だ。平八郎は彼を師匠  として尊敬してゐた。  左の三通は事実が聯絡せるものと思はれる。先生は柴田勘兵衛で、多湖  氏とあるは勘兵衛の同僚で、天羽流の剣術の大家なる多湖権之助を云ふ  のである。近藤氏とあるのは、弓奉行近藤守重のことである。            先生           平八郎  逐日冬景相催御揃的以御安泰被御座恭祝候。然者先頃は近藤  氏御紹介申上、早速無御異辞御逢被下、近藤氏も甚大慶に被存、猶  宜申上候様頼被入候、其後右惣領御入門訂日七日と権八郎を以御伝声  早速相達候処、彼方に少くさし支へ御座候、十一日後と申上置、十五日  に話定候間、尊家には御さし支無御座候哉、承知仕度間、十五日御さ  し支之有無乍御面倒仰知下奉頼候。  近藤より別紙之通申越、右は私内存承りに来候儀にて、備電覧候事如  何と奉存候得共、私より一己之扱を返事仕候儀も難仕、夫故近藤へは  内々にて備御覧候間、多湖氏等に寄宿人之有之候も御座候様相覚候付、  右御振合私へ御内々にて被仰知被下候、尊家には右様之事に無御  拘、唯御実意を以て御世話被下候御手へ、箇様之事御伺申上候ては却  而厚き思召を傷之候に当り候へ共、近藤氏も物堅き人柄故、中途にて一  己之斗り難仕間無拠右申上候間、多湖氏之御振合御聞せ之程奉願候、  先用事而已、緒余拝面万々可申上候。以上。     十月十一日           柴田勘兵衛様          大塩平八郎  唯今は拝謁大慶任候、則帰途近藤氏邸舎へ御立寄り候処、飽迄御礼御願  申上置候様申聞られ候、灸治も重而今日より尊家にて御止宿之積り、且  雄次郎面会之儀御停止、其段重蔵殿直談に御座候間、尊前迄申上候、宜  御伝可下候、先用事而已早々如此御座候。以上。     十月十七日            先 生                後素拝  前刻は拝謁大慶仕侯、扨件之儀、直様相咄候処、止笑不言之体、乍  然私も以一旦尊公様へ相願候事にも有之候間、御頭様御用人中へ内談  旁御城入いたし被申侯由被申聞、今日同役衆へ示談、明朝御城入之  積りに御座候間、左様思召置可下候、彼の人も磊落之名は有之候  へ共、実心において余程賢成処有之人物に付、御用人中へ内談も平和  にて御心易思召可下候、緒余拝謁万々可申上候得共、先右之段申  上度如此御座候、以上    十月廿五日 近藤守重――彼が文政二年から同四年三月まで、大坂に赴任してゐた頃、  平八郎と交つたのである。砲術の指南柴田勘兵衛の処へ守重の長男を入  門せしめたのは彼である。右の柴田に送つた手紙の中にも『近藤氏の物  堅き人柄故』と『彼の人も磊落之名は有之候へ共、実心において余程  賢成処有之人物に付、御用人中へ内談も平和にて御心易思召可下  候』などゝもあるが、平八郎とは親友ではないらしいのである。



幸田成友
『大塩平八郎』
その85






幸田成友
『大塩平八郎』
その177



「益」(ますます)
が正しい






話定
「治定」が
決定すること






「極」が
正しい














幸田成友
『大塩平八郎』
その178



御願申上置候
「御頼申上呉候」
が正しい










幸田成友
『大塩平八郎』
その179


『大塩平八郎』目次/その30/その32

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