一、当月六日大塩平八郎所蔵の書物五百両計りの物を売払ひ、市中へ施行に金子を遣す由にて、書林四人に申付け、入札にて両度に売払候由。尤先の一度に売払候節の金子、天王寺辺端々へ施行に遣候由。二度目の金子は施行に施し候事は無之との事、此一段正月下旬より略々相聞え申候。施行の節長文句のちらし版木に彫り配り候由、此ちらし如何様の書面なるや知らね共 淡路町辺の井戸より揚候書物別紙に写し、栗亭に其書有之。 施行は乱妨前故、人々能存居候。実説無相違也。
一、同廿日の説に、「右施行の儀は、平八郎隠居の身分にて 天満与力の隠居は格録共無之者故、町人も同様の事との御叱のよし。 気儘の致方なり」と、御奉行にて御叱り有之候処、平八郎申候は、「斯る時節柄上より被仰付、大坂中豪富の町人に申付け、大施行可致申処、左様の事もえ不致、都て某の施行を御咎候事不得其意候」抔、上を不憚法外の言共申出候て遁歸り、夫より逆謀を思付候抔との風聞有之候へ共、中々左様の急速の事にては無之哉との風説、翌廿二三日頃相聞候也。廿日頃には専ら是無相違様申触らし候事。
一、又或説に云く、右施行の御糺しの節、返答に行詰り、帰り候後御奉行様を怨み、弑逆の悪謀を思ひ付候とも申す事。
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