Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.6.27

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 野口市郎右衛門見聞之記録 その5

 











一、廿一日守口駅へ、松平遠江守様御人数五百人計り出陣。但し京橋玉造与力・同心是も人数打揃ひ差向ふ。

一、同日岸和田岡部内膳正様吹田へ被差向候由。宮脇志摩は吹田神主の由に付、出陣蔵屋敷方へも御頼み有之、屋敷方人数御加勢に差向もあり。

    
     松本林太夫    勘助島にて被召捕
       十四歳
     渡辺良左衛門   河州恩知山にて自害
     瀬田済之助    河州弓削村にて首くヽり
     竹上万太郎    中山宿にて生捕
     白井孝左衛門 *1  伏見にて生捕
    才之助父
     瀬田藤四郎    河州にて召捕牢死
     宮脇志摩守    吹田自宅にて養母を切害一里斗退畑にて切腹
     庄司儀左衛門   奈良にて生捕
     吉見九郎右衛門  新屋敷遊所にて生捕病死 *2
     小泉淵次郎    於奉行所用人竹島善之丞討果取る
     橋本忠兵衛    淡路町にて戦死 *3
     近藤梶五郎    自宅焼場へ帰り自殺

一、御加勢御備の為、高槻・岸和田・尼ケ崎・姫路・郡山。

夫々御大名人数追々到著、後日には御断に相成り、悉く被差帰候。近国山手御備方巌重に往来を改められ候事数十日なり。

 






一、京都には六門御防備有之、御所司代昼夜御出役。人数懸る厳重の段、奉恐入次第也。

    但し京都禁裏仙洞御所各々昼夜の差別無く、禁門有之内可笑き 話あり。如何なる事にや、江州彦根の社頭神主異形の装束を著し、鯛を一懸け持参にて、公家御門より案内を乞候に付、堂上御詰御役より与力に尋ねさせ候処、霊夢に依つて参内致候段申述べ、甚以て無礼不骨の段追払候。右禁門中に付、懸り与力閉門狂人と相見え申候。

 去十九日奸賊共市中及乱妨始末申上候。      跡部山城守・堀 伊賀守



  大塩平八郎父子居所相知自殺仕候儀申上候。 跡部山城守・堀伊賀守

  口達写

     (前編巻之六、二九四頁にあれば略す)
     「大坂焼失後町人施行 その3

    下げ札

    類焼の者共家財広場途中へ持出し、自身に番致し罷在候分掛り町へ申付け、右家財預り遣候間、致安心芝居へ罷越御救受候様、其場所にて相達し申候。其段相心得置可申候事。

 


管理人註
*1 白井孝衛門
*2 吉見九郎右衛門は密訴しているので、違う人物のことか。
*3 梅田源左衛門のことか。


相蘇一弘「大塩の乱の関係者一覧」その1


「浮世の有様 野口市郎右衛門見聞之記録」その4/その6
「浮世の有様」大塩の乱関係目次2

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