Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.7.4

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「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 野口市郎右衛門見聞之記録 その6













  大塩平八郎父子居所相知自殺仕候儀申上候。
                跡部山城守・堀伊賀守

  口達写

     (前編巻之六、二九四頁にあれば略す)
     「大坂焼失後町人施行 その3

    下げ札
    類焼の者共家財広場途中へ持出し、自身に番致し罷在候分掛り町へ申付け、右家財預り遣候間、致安心芝居へ罷越御救受候様、其場所にて相達し申候。其段相心得置可申候事。
 









        口達写

去る十九日放火及乱妨候者有之候より、女子供等別て相恐れ今以 て危踏候ものも有之哉に相聞き候。右悪党共の内重立ち候もの追々召 捕、或は自殺致候者も有之上は安心致、諸商人売買は勿論、来月雛祭 り等儀無懸念例年の通り相祝、取引等可致候。右の趣三郷町中末々 迄不洩様可申聞事。 酉二月廿八日

但最初二月廿一日御觸は、類焼の者外へ荷物を持出し、雨天に相成傘はなく、夥敷く難渋の者有之。道具等盗取り候者多く有之、中々言語に不堪述体故、御口達有之、実に難有仕合に御座候。

    芝居は道頓堀芝居一統へ参り、町人へ申付け、預り荷物運渡し、中々御仁恵の程と涙を零(こぼ)し候。但二月廿八日御口達は、日々此一件に恐怖致し、大体は表を締め、両替等も取引相止み、今や押寄来候哉と様々浮説も風聞有之に付、被仰出候なり。右の外普請方へ高利を貪不申候様、商人の同段肥類等又何国の普請方にても差支無之段、御達有之願、右京都も大工職へ下り渡も致し候事。

 


「浮世の有様 野口市郎右衛門見聞之記録」その5/その7
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