Я[大塩の乱 資料館]Я
2002.6.20

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之七」

◇禁転載◇

 野口市郎右衛門見聞之記録 その4

 









二月十九日 諸家様・御留守居様・御役人中様

  浦触書の写

此度於大坂不容易儀相企候、大塩格之助平八郎へ致徒党候忰格之助瀬田済之助・渡辺良左衛門・近藤梶五郎・庄司儀左衛門、其外名前不知者行衛不相知、船にて逃去候程難計候間、怪しき者は勿論廻船・小船・魚船等にて、他国相頼候共、決貸申間しく、如何体にても手当致取逃不申様其所へ留置き、早々大坂町奉行所へ訴候へば、為褒美銀百枚、手伝候者へ相応の褒美可差遣候絛、此旨相心得津々浦々にも不洩様早々相触候者也。

    但此御触状先格の通り浦継ぎ無滞相廻触留より、大坂東番所へ持参可致候也。

 











    悪党者乱妨の次第

又題目
の印も
有之。
三神一
は上の
図の如
く、一
は東照
太権現
とす。
平八郎
先手持
参目標
旗 桐
の紋は
今川家
の心意

一、大坂勘助島天満屋忠兵衛方に罷在候

    当酉十四歳松本林太夫 淡路町藤井省吾女房連れ子松本官吾へ遣し候由

右の者七ケ年已前より平八郎に寄宿致し有之候処、此度一味致し、十九日市中乱妨に及び候砌、淡路町堺筋にて散々被打乱候節逃去候由申之。右林太夫白状の次第にて右人数の次第粗方相知れ候趣。

一、武□拾匁筒五挺、内二挺は成瀬正兵衛・八田衛門太郎方にて奪取る。外に三匁筒七挺・大筒・鍬筒は兼ねて丁打□みに公儀より拝借の分。

鉄筒

    車に載せ用ふ

筒長四尺余、台共五尺、金象眼登龍の紋あり。其外七拾目筒、銀象車輪の紋。

 






   再三相廻り候人相書

河井郷右衛門 正月下旬出奔  年齢四十歳計り・顔白き方・鼻の上に疱瘡の跡あり・右の耳たぶ色変り有之。眉毛常体・目常体少し赤き方・背中肉・月代薄く髪赤き方・舌常体。

大井正一郎 玉造組与力 年齢廿五六歳計り・背高く痩せたる方・顔細長く色赤黒き方・眉毛濃き方・眼常体・耳常体・舌静なる方。

西村利三郎 廿四五歳計り・背低き方、下略。

志村周次 江洲小川村 三十歳計り・背高く中肉、下略。

堀井義三郎 播州加東郡西村堀井源兵衛忰 廿三四歳計り・背常体、下略。

曾我岩蔵 平八郎家来 四十六歳計り・背低き方、下略。

阿部長助 同断天満五丁目阿部屋久左衛門弟 二十歳計り・中背中肉、下略。

喜八 平八郎仲間 、五十二三歳計り・中背中肉、下略。

佶助 右同断 五十歳計り・背低き方。

忠五郎 右同断 四十歳計り・背高き方、下略。

 





  落文の写

    (前編巻之六、二七一頁に既出に付き略す)
    大塩騒動に関する落首 その4

    右黄色の絹に包み上書

    但この紙一枚に板を摺り、板木は横に四枚・五枚宛ならん。摺後につきたる者也。此写初壱枚字竝び、大抵本紙の趣なり

 


「浮世の有様 野口市郎右衛門見聞之記録」その3/その5
「浮世の有様」大塩の乱関係目次2

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ