豊後国明礬山より水溢れ出、至て洪水の由。筑前国洪水にて、芦屋辺三万石計りの処、溜水一丈計り、六月より七月にかけて田畠一面に浸りし事故、水引きて後稲株腐りしに、其腐りし株よりして新芽を生じ、穂を出す。其実入大抵七分作位の事なり。是等すら此の如き事なれば、九州より中国筋すべて七八分の作なりと云ふ噂なり。されども近年米価高直なる故、何れも身分相応に米を貯へぬると、諸侯にも近年は世間騒々しく、折々一揆乱妨等の事抔国々に有りぬる故、少し其心構も有りぬるにや、何れも米を貯へ特てる事と見えて、長州萩の城下にて白米一升百六十文、長府の辺にては百三十八文なりと云ふ事なり。
廿三日未明より雨、夜に入風雨烈しく終夜止まず。米価此五□日前には百十五六匁位に至りしに、次第に上りて百二十匁位と成り、一石の米を求むれば百三十目余に成る。これを白米になす時は、百五十文余に当る。盆後よりして堀川の砂持又々大はずみにて、近来に至りては身廻り行粧、天神・御霊等に異なる事なく、戎島よりは神事に出す
処の人形船を飾り、囃したて行きぬる抔けしからざる事なり。
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