山田準『洗心洞箚記』(本文)180 Я[大塩の乱 資料館]Я
2010.8.24

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『洗心洞箚記』 (本文)

その180

山田 準訳註

岩波書店 1940 より



◇禁転載◇

下 巻訳者註

           三二 顧亭林心学の弊を矯めんと欲し、終に種子云       でんじゆ       しやく  ふ所の孔門伝授の心法を以て、釈氏の言を借用し、                   たうじんけい  酌むべき無きにあらずと為す。而て又た唐仁卿人  に答ふる書に謂はゆる、心学の二字は、六経孔孟                      ざん  の道はざる所の語を引いて、以て心学を禅学に竄  ちく  逐す。是れ其の意を推すに、全く陽明先生良知の            はきふ        あ ゝ  学を慈み、而て程子に波及するものなり。嗟夫、  ゑん              いと  寃なるかな。而て亭林独り心学を厭ふこと此の如                    ゐき  しと雖も、古の大儒皆此に由つて賢聖の域に入る、      なん               まど  則ち亦た爰ぞ疑はんや。後進もし亭林の説に惑ひ、    はい  心を廃して以て書を読み理を窮むれば、則ち其の        くんこ  学ぶ所は特に訓詁文字の末のみ、豈聖学ならんや。  故に今乃ち試みに大儒の心学の説を挙げて以て之        こうしん まどひ      を証し、而て後進の惑を破らん。明道程子曰く、                 すで  ほう  「聖人の千言万語は、只だ是れ人已に放するの心    も               はんふく  を将つて、之を約して反覆身に入り来らしめ、自        かうじやう             ら能く尋ねて向上し去らしめんことを欲す、下学                        して上達するなり」と。伊川程子曰く。「学は本           かへ  と是れ心を治む、豈反つて心害を為すあらんや」  と。此れ皆学は心を以て主と為す、心学にあらず                    しんち  して何ぞ。朱子曰く。「古より聖賢は皆心地を以                  て本と為す」と。又た曰く。「孟子説く、学問の            道は他無し、其の放心を求むるのみと、此れ是れ  学を為す、第一義なり」と。又た曰く。「学を為       せいけいけんでん            すで  すの道は、聖経賢伝、人に告ぐる所以のもの。已   けつじん  に竭尽して余なし。人此の一心を存し、自家の身  に主宰あらしめんを欲するに過ぎず」と。又た曰                        く、「今日の学者長進せざるは、只だ是れ心在ら  ず」と。又た曰く。「古人は只だ心上に理会し去  る。天下を治め去るに至つても、皆心中より流る」            と。又た曰く。「人心は人欲なり、道心は天理な               さ          な  り。天理人欲、他のために劈いて両片と倣さば、  自然に分暁せん。堯舜禹伝ふる所の心法は、只だ  此の四句なり」と。此れ亦た学は心を以て主と為                 す、心学にあらずして何ぞ。真西山先生曰く。        「大舜の十六字は、万世心学の源を開けり。後の  聖賢更るがはる相授受す、同じからざる若しと雖  も、然れども大要人に道心の正を守つて、而て人      とゞ  心の流を遏めしむるのみ」と。此れ明らかに心学  の二字を言へるなり。陽明先生曰く。「君子の学  は、惟だ其の心を得るを求む。天地を位せしめ万  物を育する至ると雖も、未だ吾が心の外に出づる             あらざるなり」と。王龍渓先生曰く。「夫れ千古  聖人の学は、心学なり、太極は心の極なり」と。      而て毛西河先生に至つては、心学を解し得て尤も  明快痛切なり。其の文の略に曰く、「心学は是れ            こ   び          真の聖学なり、道心惟れ微といふ十六字の伝堯舜                     に始まるを論ずる毋し。即ち孔子曰く、操れば則             ち存すと、此の心を操るなり。大学に曰く、心を  正しうすと。孟子曰く、其の心を存すと。又た曰  く、其の放心を求むと。皆専ら此の心を治むるな      そうし         り。故に曾子の一貫の学は、だ是れ一恕のみ、                 心学にあらざるは無し」と。張南士曰く、「心学     ぜん  は是れ禅学にあらず。天仏を生ぜざる時、先づ此                     すで  の心を生ず。仏法未だ中国に入らざる時、已に早     く心を存し性を養ふの学あり。其の禅に類するを  懼れて此心を去らしむ、何ぞ可ならん。それ儒仏          すう         すべ  の類せざる多し、鬚髪類せず、家室居処都て類せ  ず、然かも猶相類するものは此の人心のみ。人と  虫獣との若きは、則ち絶えて一も類するものなし。       こらう        ほうぎ                たま/\  然り而て虎狼の父子、蜂蟻の君臣、忠孝の心、偶  亦た相同じ。万一心学を攻むる者、惟だ虫獣に類                  あは     せい  するを恐れて、而て此の忠孝の心を併せて一斉に                        之を去らば、是れ虫獣にも若かざるなり」と。二      王・毛氏の説は、皆亦た心学の奥を明らかにせる  なり。是れに由つて之を観れば、則ち聖学の要、     けつ  辞書の訣は、只だ放心を求むるのみ、只心を正し  うせんのみ。この外更に学なし、亦た奚んぞ疑ふ  に足らんや。


顧亭林。名は
炎武、清初の大
儒、著書多し。

中庸章句の始
めに、朱子が程
子の語を引いて、
此の篇は乃ち孔
門伝授の心法と
いへり。

唐仁卿。名は
伯元、明の万暦
中の進士、其学
程朱を宗とす。

波及。陽明を
悪んで、非難を
程子にまで及ぼ
す。








明道。宋の程
、前出下学上達。卑
近の処から学ん
で、高尚な処に
達す、論語憲問
篇の語。

伊川。程の
弟程頤、前出孟子。告子上
篇に説く。

放心。はなれ
て、迷ひ出た心。













二三八頁精一
執中の項を見よ。
堯舜禹伝ふる所
の四句なり、両
片は天理人欲を
指す、此処朱子
語類七十八巻参
照。

真西山。名は
徳秀。南宋理宗
の時、参知政事
となる、其学朱
子を宗とす。

十六字。前項、
人心惟危云々の
文句、十六字あ
り。








王龍渓。名は
畿、王陽明の高
弟。

毛西河。清の
毛奇齢、前出堯舜云々。堯
舜に始まつたの
は論ずるまでも
ないとの意。

操れば云々。
孟子告子上篇に
見ゆ。


一貫。孔子が
曾参に、吾が道
一似て之を貫く
と教ゆ、曾子は
之を門人に説明
して忠恕といふ、
論語里仁篇に出
づ。

張南士。未だ
検出せず。

仏法。後漢明
帝の時、仏法支
那に入る。

心を存。孟子
の語。









二王。王陽明、
王龍渓。

毛氏。毛西河。


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