Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その12

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

前編 修学及吏職
 第十五章 三大功績の二
管理人註
   

 次に奸吏糾弾の事件が始まつた。其は文政十二年、中斎三十七歳の時 であつた。当時西町奉行吟味役に弓削新右衛門といふものが居り、時の 奉行内藤隼人正に諂つて、其の庇護の下に暴行醜事をはたらき、良民を 殺し、金物を掠奪するに至つた。而かも所司は奉行を憚つて之を黙視し、 唯だ眉を顰めて腹誹するのみであつた。中斎は之を知つて憤慨し、直に 進んで其罪状を摘発し、新右衛門を自刃せしめ、奸徒数人を磔刑に処し、 其他の党与を処分し、其贓金三千両を以て窮困者を賑恤した。是に依て、 奸吏が良民を蠧害する弊風漸く除かれ、市民は舞して中斎を父母の如 くに仰いだ。

石崎東国
『大塩平八郎伝』
その40

諂(へつら)つて

腹誹
(ふくひ)
相手を心の中で
批難すること

蠧害
(とがい)
物事を害する
こと


(べんぶ)

流謫
(るたく)
とがめられて
流されること
 第十六章 三大功績の三  
   

 奸吏糾弾の明年、破戒僧侶の処分が起つた。奉行山城守は府下僧侶の 不法淫蕩を悪んで、之を厳罰に処せんとした。中斎は先づ之を訓誡し、 尚ほ悛めずば処分の手を下さんと建言し、懇ろに訓諭したが、効果が無 い。そこで遂に厳罰の手を下し、甚しき者数十人を海島に流謫した。そ の為め僧侶の風、頗る改まつた。  右は中斎吏績中の三大功績にして、其の招隠の詩の序文にも之を自述 して居る。其他大小の功績は蓋し数ふるに勝へない。奉行山城守は特に 之を寵用して、提刀登庁の格を与へたと謂はる。中斎も亦た山城守に対 しては、言聴かれ、計従はれ、千歳の一遇とまで言うて居る。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その42








石崎東国
『大塩平八郎伝』
その43
 


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