Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.6.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その24

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第七章 虚偽を去る
管理人註
   

 虚偽を去るは、即ち聖門の「主忠信」なり、「民無信不立」なり。 啻に身口に虚実を去るのみならず、心上独知の処に虚偽を去るべし、大 学の「母自欺」とは是なり。箚記の上に曰ふ。  余一諸生の鏡に臨み、髪を理むるを見る。因て之に謂ふて曰ふ、明鏡  に臨んで鬢髪の鬆るゝか、鬆れざるかを照らさんよりは、良知を明か  にして、切に意念の誠なるか、誠ならざるかを察するに如かず。鬢髪  は鬆ると雖も、君子たるを害せず、意念誠ならざれば、則ち禽獣たる  を害せず。  真に然り、意念の上に虚偽を去る、是れが修養の第一緊要事である。 箚記の下に又曰ふ、  良知を致すの学、但だ人を欺かざるのみならず、先づ自ら欺くことな  かれ。其の工夫は屋漏より来る、戎慎と恐懼と須臾も遺るべからず。  一旦豁然として天理を心に見ば、即ち人欲は氷釈凍解せん、是に於て  洒脱の妙、此れに超ゆるものなきを知るべし。  心上に虚偽を去るは、即ち中庸の「諸ざるに戒慎し聞かざるに恐懼す る」と一般である、戎慎恐懼を静時の工夫となすは、王学の旨に非ず。 斯くて人欲が氷釈凍解したる風光を、中斎は之を洒脱の妙といふて居る。 又た他時もその境涯を「心性晶亮広大与天地日月一般」といふて居る。 此が又た「帰太虚」の心境であるのだ。


『洗心洞箚記』(抄)
その11


(ただ)


『洗心洞箚記』(本文)
その15






























『洗心洞箚記』(本文)
その184

 


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