Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.6.2

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その25

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

中篇 学説及教法
 第八章 四知
管理人註
   

 中斎は曰ふ「真に良知を致さんとならば、六経四子を読まざる能はず。 真に六経四子を読まば良知を致さゞる能はず」と、真に然り、良知学は 決して読書考索を斥くるものでは無い、真に良知を致さんとならば、其 の切実なる要求として、読書研究が始まるとは陽明学の教旨である。処 で其の良知を妨ぐるものがある。中斎は良知を蔽ふものは人欲にて、之 を細分すれば四つあり」とて  一、知覚の知  二、聞見の知  三、情識の知  四、意見の知 の四つを挙げた。「知覚の知」とは肉体の上に起る痛痒利害の観念にし て、人も禽獣も同じく有するものである。「聞見の知」とは、耳目見聞 より得たる雑然たる知識にして、論語に孔子が子張を誡めたる、謂はゆ る多く聞いて疑はしきを闕かぬもの、多く見て殆きを闕かぬものである。 「情識の知」とは、恐怖、憂患、嫉妬などの類、凡そ七情の上より来つ て、練磨を経ぬものである。「意見の知」とは、論語に「学んで思はざ れば罔し、思うて学ばざれば殆し」といへる知識にて、寡陋を忘れ、偏 見に捉はれ、自ら是とするもの、今日の共産破壊闘争左傾、右傾など云 へるは、皆此に属するのである。以上四つの知識を排列し、之に四知の 名を付したるは、中斎の創説に属すると思ふ。中斎曰ふ「此四知は賢者 と雖も免れざる所あり、学に志ざすものは、彼の四知の邪障を掃うて是 の一知 徳性の良知 を明かにせざる可らず、故に某一語あり、曰く邪障 徹つて而して霊光見はると、霊光見はるれば、則ち彼の四知皆融会して、 良知の用をなさざるはなし、良知も知覚聞見を廃するを得ざるなりと、 これは中斎が郡山藩士藤川晴貞に答へたる書中に詳かである。此等の言 を視るに、中斎の講学工夫は頗る精密なるものがある。



『洗心洞箚記』(抄)
その11













幸田成友
『大塩平八郎』
その65











殆(あやう)き



論語
第2章
為政第二
第15
 


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