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天保三年、中斎四十歳、前々年致仕して閑地に就いた、是に於て多年
の宿志を償はんと、是歳六月、近江なる小川村に、近江聖人の遺迹、藤
樹書院を訪ふた。書院の主事志村周介の案内によつて大賢の遺迹を観、
玉林寺に其墓を弔ふたが、遺迹存するも、講学其人なきを悲しんで、詩
を賦した。
院畔古藤花尽時。泛湖来拝昔賢碑。
余風有似比良雪。流滅無人致此知。
帰途は大溝より船に乗つたが、一行は門生及家僮と四人のみであつた。
阪本に向ひて進んだ、途中暴風逆浪に遭ひ、船殆ど顛覆せんとした。中
斎は危虞の間、前きに賦したる「流滅無人致此知」の句を想起して
良知を呼起し、また程伊川の「存誠敬」の言に想到し、凝然として我
を忘れて堅坐した、そこで危虞の念、忽ち霧消したが、風亦漸く斂まり、
夜二更、阪本に着いた。翌日比叡山に登り、昨日の危険の境を望み、門
人に語るらく、昨日其の変に逢ふに非ずば、焉ぞ真の良知、真の誠敬を
窺ふことを得んやと、乃ち「訪中江藤樹先生遺跡於小川村記」を作り、
其事を詳叙した。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その53
『洗心洞箚記』(本文)
その252
家僮
(かどう)
家の召使い
斂(おさ)まり
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