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右は堂々二千余文字の大文章より成る。大意は先づ書経大学の文句に
端を発し、次に猾吏の驕者腐敗を詰責し、其の為め天災飢饉の誡あるに
も気つかず、江戸へ廻米するも、天子御在所へは廻米の世話もなさず、
又金持共は驕りを極めて、餓死の貧民を救ひもせず、斯くて天道聖人の
御心に叶ひ難し。隠居の我等最早堪忍難成、湯武之勢、孔孟の徳は無
よんどこ
けれども、拠ろなく天下の為め下民を苦め候諸役人を誅伐致し、次に驕
りに長ぜる金持共を誅戮に及び、此等所蔵の金米を難渋の者へ取らせ遣
はすにつき、大阪に騒動起らば、一刻も早く駈けつくべし、追々年貢年
貢諸役も軽く致し、神武天皇御政道之通り、寛仁大度之取扱に立戻り、
四海万民いつ迄も天恩を難有存候様致し遣はすべし。我等一同、天下
国家を奪ひ候慾念より起し候事には無之、民を吊ひ、君を誅し、天討
を執行する誠心のみである、といふのである。是ぞ中斎学問の結晶血誠
の宣言と言はねばならぬ。事の成否は問題にあらずして、義声を天地間
に印せんとするのである。事前二日、早くも進んで一大事の核心を公衆
に発表するなど、策も略も無い。中斎に至つては、十九日暁天までに右
の発表を了り、其日の孔子祭典を美事済ませ、午後二奉行を討取り、然
る後市中に打て出ようといふのであつたらう。成敗は度外だ、又た野心
も無ければ、野心の必要も無い、中斎に在つては洒然快然たるものがあ
つたらう。
此の檄文は意ふに正月八日結盟以後の筆であらう。又た板行は漏洩の
恐れがあるから、挙兵に逼つて着手せるなるべし。版木師は前に施与券
を彫刻したと同一の市田次郎兵衛といふものにて、今度の檄文は特に施
行券一万枚増加の名の下に次郎兵衛を洗心洞に招致し、摺師源兵衛と共
に厳重なる監督の下に版行に従事したものである。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その108
大塩檄文
逼(せま)つて
石崎東国
『大塩平八郎伝』
その109
市田次郎兵衛は
五十日手鎖の刑
を受ける
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