Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.8.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その61

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

後編 兇年の惨状と猾吏驕商の膺懲
 第十八章 膺懲の檄(2)
管理人註
   

 右は堂々二千余文字の大文章より成る。大意は先づ書経大学の文句に 端を発し、次に猾吏の驕者腐敗を詰責し、其の為め天災飢饉の誡あるに も気つかず、江戸へ廻米するも、天子御在所へは廻米の世話もなさず、 又金持共は驕りを極めて、餓死の貧民を救ひもせず、斯くて天道聖人の 御心に叶ひ難し。隠居の我等最早堪忍難成、湯武之勢、孔孟の徳は無      よんどこ けれども、拠ろなく天下の為め下民を苦め候諸役人を誅伐致し、次に驕 りに長ぜる金持共を誅戮に及び、此等所蔵の金米を難渋の者へ取らせ遣 はすにつき、大阪に騒動起らば、一刻も早く駈けつくべし、追々年貢年 貢諸役も軽く致し、神武天皇御政道之通り、寛仁大度之取扱に立戻り、 四海万民いつ迄も天恩を難有存候様致し遣はすべし。我等一同、天下 国家を奪ひ候慾念より起し候事には無之、民を吊ひ、君を誅し、天討 を執行する誠心のみである、といふのである。是ぞ中斎学問の結晶血誠 の宣言と言はねばならぬ。事の成否は問題にあらずして、義声を天地間 に印せんとするのである。事前二日、早くも進んで一大事の核心を公衆 に発表するなど、策も略も無い。中斎に至つては、十九日暁天までに右 の発表を了り、其日の孔子祭典を美事済ませ、午後二奉行を討取り、然 る後市中に打て出ようといふのであつたらう。成敗は度外だ、又た野心 も無ければ、野心の必要も無い、中斎に在つては洒然快然たるものがあ つたらう。  此の檄文は意ふに正月八日結盟以後の筆であらう。又た板行は漏洩の 恐れがあるから、挙兵に逼つて着手せるなるべし。版木師は前に施与券 を彫刻したと同一の市田次郎兵衛といふものにて、今度の檄文は特に施 行券一万枚増加の名の下に次郎兵衛を洗心洞に招致し、摺師源兵衛と共 に厳重なる監督の下に版行に従事したものである。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その108

大塩檄文








































逼(せま)つて


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その109

市田次郎兵衛は
五十日手鎖の刑
を受ける
 


『大塩中斎』目次/その60/その62

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