Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.14

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その8

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

前編 修学及吏職
 第八章 祖父遺命 内縁の妻
管理人註
   

 中斎二十二歳の時、祖父政之丞が歿した、年六十七である。中斎嫡孫 を以て其後を承けた。政之丞は性質勤恪にして、職務を執ること公平、 最も上下の与望を得た。其の老病起きざるを知るや、中斎を召して左の 如く遺命した。  我命既に今日に迫れり、一言耳に留らば、我遺訓に背く勿れ、夫れ人  幼にして学ぶは、壮にして之を行ふためなり。汝今より家職を継がば、  才器等倫に抽んづとも、驕慢にして人を軽侮する勿れ。抑も与力は卑  職たるも、一地方の訟獄に参与し、生殺の権を有するものなれば、一  点も偏頗愛憎の処断なく、公務を重んじ、正道を履み、名を後世に伝  へ、辱を祖先に貽す勿れ。暇日は専ら文芸武術を講じ、以て文弱武愚  の毀を免れ、積年苦学の效を顕はすべし。其余は揮て汝の心衷に在る  べし。  右の遺誡訖つて、祖父政之丞の命は絶つたと謂はる。其の厳乎たる訓 言、文弱武愚を誡めたる深旨は、政之丞の偉大を表示すると共に、中斎 の人物、祖父の教養に成るもの少からざるを知るのである。是歳中斎は、 般若寺村庄屋橋本忠兵衛の養女ヒロを納れて内縁の妻にした、時に年二 十一歳、嫁して後、名をユウと改めた。性温良貞淑にして、学芸あり、 時に中斎に代つて子弟に中庸、史記などを講じたりと。





石崎東国
『大塩平八郎伝』
その28






















訖(おわ)つて
 第九章 高井山城守の知遇  
   

 中斎は既に安心の把柄を握り、当面の吏職に努力すべく決心した。斯 くて文政三年、二十八歳の時、十月、東町奉行彦坂和泉守、職を罷め、 十一月、高井山城守実徳山田奉行より転じて、大阪東町奉行に就任した、 時に年六十余歳。人となり温厚、忠良、君子の風あり、兼て鑑識に富み、 中斎を信用して、十分に其手腕を揮はしめた。世間では之を熊沢蕃山の 備前岡山藩の池田芳烈公に於けるに比べた。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その30
 


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