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中斎と頼山陽との交は、先づ其母に始まつた。中斎三十一歳の文政六
年篠崎小竹 三島の養嗣 の招宴に赴き、席上頼山陽の母梅刀自に面接
した。刀自は中斎の廉能を推賞して止まず、席上にて扇を詠ずる歌を贈
る。其歌は、
うらおもて 無ければ人に あほがれて 時に扇の 風ぞ涼しき
とあつた。中斎、詩を賦して之を謝し、又一枝のを製し、詩歌を彫り
て貽つた。刀自は之を携へて京師に入り、其子山陽に示し、且つ中斎の
人物を語つた。山陽も夙に中斎の名を聞き、面会を望んで居た。因つて
翌年春、小竹と倶に中斎を訪うた。中斎は此の珍客を迎へて宴を張り、
之を饗し、斯くて中斎と山陽との交誼は、日一日厚くなつて行つた。
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石崎東国
『大塩平八郎伝』
その33
(つえ)
貽(おく)つた
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