Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.15

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その9

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

前編 修学及吏職
 第十章 山陽母子
管理人註
   

 中斎と頼山陽との交は、先づ其母に始まつた。中斎三十一歳の文政六 年篠崎小竹 三島の養嗣 の招宴に赴き、席上頼山陽の母梅刀自に面接 した。刀自は中斎の廉能を推賞して止まず、席上にて扇を詠ずる歌を贈 る。其歌は、  うらおもて 無ければ人に あほがれて 時に扇の 風ぞ涼しき とあつた。中斎、詩を賦して之を謝し、又一枝のを製し、詩歌を彫り て貽つた。刀自は之を携へて京師に入り、其子山陽に示し、且つ中斎の 人物を語つた。山陽も夙に中斎の名を聞き、面会を望んで居た。因つて 翌年春、小竹と倶に中斎を訪うた。中斎は此の珍客を迎へて宴を張り、 之を饗し、斯くて中斎と山陽との交誼は、日一日厚くなつて行つた。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その33











(つえ)

貽(おく)つた
 第十一章 養子格之助  
   

 中斎は既に安心の把柄を握り、当面の吏職に努力すべく決心した。斯  中斎は講学育英の念に燃え、漸く劇職を厭ひ又た近年肺疾に罹り、静 養の志、頻に萌さしたが、山城守は慰撫して容易に之を許さなかつた。 中斎は是より先き、妾を納れたるも子なきを以て、養子を得て、徐ろに 退職の機を作らんと欲し、同組与力西田清之進の第二子格之助を養うて 嗣子とした。時に格之助は年十六、中斎は三十四であつた。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その36
 


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