Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」 その1

山本周五郎(1903-1967)

『抵抗小説集』 実業之日本社 1979 所収

◇禁転載◇

管理人註
  

 大塩平八郎は偉人伝中の人ではない、悪く云うと一種の奇人であろう。  王陽明の人となりを敬慕してもっぱらその学を修め、大坂与力として活躍 した期間には、町奉行矢部駿河守という俊英な上官を得て、その才腕を充分 に揮った。彼が治獄の術に長じていたのはたしかで、なかにも文政十年に断                                  みだ 行した天主教徒の検挙と、同じく十二年、肝吏が豪商等と結托して政治を紊 していた事実を摘発、その私した金三千両を市民に与えた果敢ぶりとは有名 である。しかしそれは上官に矢部駿河守という名伯楽を得たからで、駿河守 が勘定奉行として江戸へ去り、後任に跡部山城守という凡愚漠が来ってから は、その鋭鋒もとみに生色を喪ったのである。  平八郎が有用の材であって、巧みに活動せしむればおおいに治績を挙げ得 るということを知っていたのも、もしその操縦を誤れば大事をもしでかすべ き人物であると見透していたのも、じつに矢部駿河守その人であった。つま り平八郎は名馬であって名騎手ではなかった。従って駿河守が去ると間もな       とものすけ く、跡目を忰柄之助に譲って隠居し、洗心洞書院(学校)を興して諸生の教 育に当ったが、原来教育などという地味な仕事が性に合うはずはなく、その 講延ば常に時流を忿る彼の悲憤憤慨をもって終始し、ついに特記すべき業績 なくして終ったのである。  平八郎はひとたび怒りを発すると、自らこれを抑えることのできない質で あった。その良き現れが肝吏の涜職摘発となり、他の現れが天保事件となっ たのである。――矢部駿河守は大坂町奉行として在任中、控えの問でしばし ば平八郎と会ったが、ある時、食事をともにしながら時局を論じたことがあ った。  当時、幕府は財政窮乏の極に達していた。上は将軍家より旗本、諸大小名、             いんいつきょうしや 諸富豪、庶民に至るまで、淫逸騎奢の流れは一世を風靡し、遊里、戯場の発 達、軟文学の汎濫、富籖の隆盛等、未曾有の活況を呈し――世はあげて刹那 的に、投機的に、享楽的に趣いていた。かかる状態が国家の財政にどう影響 するかは言うをまつまい。これを一家に考えてみても、主人主婦から子供、 奴婢に至るまでが、もしかような逸楽に耽っていて家政の成立つわけがない のである。はたして、憲政十一年から文化十三年に至る十八年間に、幕府は 五十余万両に達する財用不足を生じた。  幕府は窮策して、諸侯たちはじめ一般庶民にまで献上金を要求し、大坂の 富商たちに前後約百万両の御用金を命じた。これらが下層階級にどう響いて ゆくかは分りきったことである。しかしなお足らず、文政元年新たに二分判 金を鋳造し、二枚をもって小判一枚換えとしたが、元禄の改鋳以来、数次の ことで、すでに世界最悪の貨幣となっていたものを、さらに粗悪に吹返した のだから、一般にこれを、 「――元文小判」  と云ってはなはだしくこれを嫌った。  悪貨の流通に従って物価の騰貴を招く、庶民の生活は日に日に窮乏してき た。しかも幕府はいささか                                きょうきゅう も済民の策を計らず、政治は停頓し、秩序は紊れ、一人としてこれを匡救し ようとする者がなかったのである。  矢部駿河守と会食したとき、平八郎はこの事実をあげて痛論した。彼はや や肥り肉で髪が濃く、大きなよく光る双眸をもっていたが、論旨が時弊の核 心に触れると、 「かようなことでは国が亡び申すぞ」  と、食卓を叩きたて、満面に朱を注いで、怒髪衝冠という形相になった。 駿河守はあまりに平八郎の忿激が烈しかったので、勉めてこれを慰撫するよ うにしていたが、彼はいつかな鎮まるようすもなく、――食卓上にあった金 頭の焼魚を採ると、いきなりその頭から尾までぶりぶりと噛砕いてしまった。  平八郎は偉人ではなかったのだ、忿激の理由が国家を憂えてのことではあ っても、こういう奇矯な表現はいわゆる大人物のすべきところではないので ある。しかし同時にまた平八郎が偉人英雄でなく、一個峻侠の人物であった ところに、その存在の価値と大いなる意義があったということはできよう。





平八郎の上官は
高井山城守、
矢部駿河守は
天保4〜7年
西町奉行在職、
平八郎はすでに隠退、
矢部の後任は
堀伊賀守
「大坂町奉行一覧」


幸田成友
『大塩平八郎』
その12













柄之助
平八郎の子(養子)
は格之助

洗心洞書院
平八郎の塾は
「洗心洞」


忿(いか)る

平八郎には
『洗心洞箚記』
などの著作あり









































徳富猪一郎
『近世日本国民史
文政天保時代』
その6















匡救
悪を正し、危険など
から救うこと



川崎紫山
「矢部駿州」
その9

「御触」(乱発生後)
その2
 


山本周五郎「大塩平八郎」その2

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