![]() コーチングのスキルにはほかに「ペーシング」というのもあります。 「・・・ペーシングは、声の調子をあわせたり、うなずいたりして相手に合わせることで、話し相手が、そしてお互いが安心してコミュニケーションできる環境を作り出すことです。楽しい時には弾んだ声で、悲しんでいるときには声のトーンを落として、ペースを合わせて、私はあなたと同じですよとメッセージを送ります。ペーシングには、非言語のペーシングと言語のペーシングがあり、両方のベストミックスで、ラポール(親密)なコミュニケーションの環境が生まれるのです」 と説明されているのですが、要は「空気を読んで調子を合わせる」というだけのことです。たしかに「スキル」なのでしょうが、こんなことは「常識」であって「スキル」というほどのことはないな、と私は感じるのです。 それにこんな説明を読んで、「相手と調子を合わせることがペーシングなんだ」というふうに「ペーシング」という言葉を理解しても、それでペーシングがうまくなるわけでもありません。そもそも満点のペーシングは人それぞれ感じ方が異なるでしょう。合格点が取れればいいのではありませんか。 ただペーシングという概念は知っていたほうが知らないよりはいい、とは思います。 知っていたほうが知らないよりはいい、というのは文法と似ています。文法を知って読み書きがうまくなるかというとそうではない。しかし、知っていたほうが知らないよりはいい。コーチングのスキルとは文法みたいなもの、斬ってもあながち間違いでもなかろうと思うのです。
![]() 昨今は驚くほど多くのコーチング本が出ており、アマゾンで検索したところ、200冊を超えて300冊に迫る勢いです。都心の大きな書店ではコーチング本のコーナーができています。 さて、ここで本を数冊手に取った人はコーチングをどう理解するでしょうか。 「コーチングはコミュニケーション・スキルか。要は会話術なんだな」 と思うことでしょう。私も最初はそうでした。書籍の形態はたいていスキル(会話術)の解説です。ところが実際やってみると、コーチングでスキルはさして重要でないということがわかります。 たとえば、職場の上司と全くうまくいかない、なんとか人間関係を改善したい、というテーマでコーチングを依頼されたとします。一通りヒアリングした後で、承認・沈黙といったスキルを使うとしましょう。 承認・沈黙は誰でもできる一番基本的なスキルと言っていいと思います。 【悪い例@】 「そうですか、大変ですね。お気持ちはわかります」 (承認のスキル) 「はい」 「では、どうしたらいいと思いますか」 (沈黙のスキル) それがわからないから話をしてるんだろうが!と相談した人は思うことでしょう。 【良い例@】 「そうですか、大変ですね。お気持ちはわかります」 (承認のスキル) 「はい」 「ところで話を聞いてますと、あなたは明らかに上司を避けているように思うのですが」 「・・・・・・」 「たとえばその上司が5メートル先を歩いていて、あなたに気が付かなかったとしましょう。あなたはこの上司を追いかけて行って、挨拶できますか」 「・・・・・・」 「そうした努力がないと、打開は難しいと私は感じましたけれど、どうでしょう?」 (沈黙のスキル) コーチする人が、ここまでの洞察力があれば、このコーチングでは何らかの答えが見つかるものと思われます。 【悪い例A】 「そうですか、大変ですね。お気持ちはわかります」 (承認のスキル) 「はい」 「現時点で、あなたは何から改善して行ったらいいと思いますか」 (沈黙のスキル) 「やっぱり、どうすればよいかわかりません。何かヒントをいただけないでしょうか?」 「・・・・・・」 コーチが問い返されて沈黙しています。やっぱりあなたじゃ役不足だ、と相手は思ったことでしょう。 【良い例A】 「そうですか、大変ですね。お気持ちはわかります」 (承認のスキル) 「はい」 「現時点で、あなたは何から改善して行ったらいいと思いますか」 (沈黙のスキル) 「やっぱり、どうすればよいかわかりません。何かヒントをいただけないでしょうか?」 「では、ヒントを差し上げましょう。今の上司のありようは受け容れるしかないですよ。 上司は絶対変わりっこないわけですから。あなたがどう変われるか、ってことですよ」 (再び沈黙のスキル) コーチする人が、こう持っていけば、このコーチングでも何らかの答えが見つかるはずです。 結局、スキルはあればいい、という程度で、コーチングの質を決定する要因ではないことが明らかです。要はコーチする人の洞察力と提案力の勝負です。さらに言えば、コーチする人が上司との人間関係といったテーマでどれくらいの場数を踏んでいるかも大きいでしょう。コーチする人にそうした能力や経験が欠けていれば、いかんともし難いのがおわかりいただけると思います。
![]() コーチングには大別してビジネス・コーチングとパーソナル・コーチングに分けられます。 何が違うのか。前者は職場のコーチングで、後者は個人相手のコーチングです。 ビジネス・コーチングはあくまで職場のコーチングであって、部下持ちの人ならほぼ仕事で毎日使っています。これは職業として成立せず、あくまでもマネジメント手法に過ぎません。これに対して、パーソナル・コーチングは職業として成立します。 ビジネス・コーチングとは職場のコーチングですから、上司・部下、先輩・後輩の間で行なわれるコーチングのことをいいます。しかし、ビジネスを扱うパーソナル・コーチングをビジネス・コーチングだという誤解を世間でしばしば聞きます。 私にパーソナル・コーチングを申し込んで来たある女性が、ビジネス・コーチングを受けたい、と言っていました。また、私のクライアントさんは専業主婦なのですが、コーチングで起業して、ビジネス・コーチングをやって行きたい、と言われたことがあります。 パーソナル・コーチングでビジネスを扱う場合はエギュゼクティブ・コーチングと言います。当然エギュゼクティブ・コーチングはパーソナル・コーチングの一種です。 そのほか、コーポレート・コーチングというのがありますが、これはコーチングを使った研修の一形態と考えたほうがいいでしょう。社員の動機付けが主たる目的です。 コーポレート・コーチングとは ビジネス・コーチングは通常、上司・部下、先輩・後輩など組織内の人間の間で行なわれます。 このほかに上司と部下の間にほかに社外の専業コーチが介在するケースがあります。これをコーポレート・コーチングと言います。一種の研修屋さんです。目的はモチベーションの向上です。 たいていモチベーション研修というのは集合研修です。私もその昔は会社派遣で、高野山の寺院で一週間の合宿訓練を受けたことがあります。この合宿訓練は働く心構えを徹底して叩き込まれました。こういった集合研修は期間中精神が昂揚しても、終われば元の木阿弥になるのが普通です。 だからコーチングという形で、ふだんも定期的にモチベーションを手入れしよう、というやり方が考えられたわけです。古いタイプ上司ばかりで、体質改善の必要な企業はやはり存在するでしょうし、その場合、コーポレート・コーチを投入するという選択肢も当然あると思います。 さて、コーポレート・コーチングはビジネス・コーチングと言えるのでしょうか。これはYESアンドNO、といったところでしょう。 相手が上司ではなく社外の人間であれば、仕事そのものの話題を離れて、上司が合わない、仕事が合わない、職場が合わない、会社が合わない、といった声が必ず出てくるはずです。つまりコーポレート・コーチは会社のニーズと個人のニーズの共通部分を抽出して調整し、できるだけ前向きに仕事をしてもらう、という役割を担います。 言ってみれば、ビジネス・コーチングとパーソナル・コーチングの折衷的なものでしょう。 が、あくまで仕事のニーズと個人のニーズを調整するだけのコーチングですから、本物の自己実現を目指すコーチングからすればずいぶん中途半端ではあります。コーチは会社から報酬をもらっているわけですから、基本的には会社の利益を代弁しています。しかし社員の不平不満は「守秘義務」で会社に筒抜けにならないようにプロテクトし、人知れず社員のモチベーション・アップに尽力するわけです。 とはいえ、こういった形態で介入すれば、会社の業績にも個人の自己実現にもそれなりの効果が出せることでしょう。社員への福利厚生の一環と言えないこともありません。 コーポレート・コーチングは研修屋さんの研修ビジネスの新形態と考えれば理解しやすいと思います。
![]() 嫉妬という感情があります。 嫉妬というのはよほど克服しがたい感情なのだそうです。 とある修行した高僧が、たいていの煩悩は解決できたが、 「どこどこの僧侶の評価が高く、尊敬を集めている」 というのを聞いて、やっぱり面白くないのはどうしようもなかった、という逸話を読んだことがあります。つまり、相当修練を積んでも、他人が世評という形で承認されるのは面白くない、ということです。 これはAさんに焦点が当たると、Bさんは焦点から外れる、ということだと思います。つまり、Aさんが承認されると、Bさんの承認が減殺されるというわけです。だから面白くないのでしょう。 嫉妬という感情も結局は承認欲求に起因し、承認の多寡によって起こる考えて間違いなさそうです。
![]() 「自分の話を聞いて欲しい」 老若男女を問わず、こう思わない人はまずいません。 しかし、話を聞いてもらっても、そんなふうに考えるもんじゃない、と批判されたり、したり顔で忠告されたりすると、 「はじめから話すべきではなかった」 と思うはずです。「自分の話を聞いて欲しい」というのは、ほかの誰かと感情を分かち合いたい、ということで、自分の話は肯定されなければならないのです。そのためには、 「わかる、わかる、気持ちはわかる」 といってもらいたいのです。 期待に反して批判されたり、忠告されたりすると、ふつう「いいわけ」に努めるものです。どうしていいわけしようとするのか、これは、 「なるほど、そうだったのか」 と言って欲しいからです。いいわけは承認を誘導する行為であるわけです。 結局、「話を聞いてほしい」というのは「承認して欲しい」ということであって、それ以外の何者でもないわけです。百歩譲っても、批判や忠告は十分承認してからやって欲しい、ということです。 「ねぇ、聞いてよ」は「ねぇ、わかってよ」であって、そこのところを「わかってあげ」なければなりません。決して額面どおり受け取ってはダメ、ということなのです。人が発言するのは承認を求めているからです。メールが来るのも承認を求めているからです。 自分が努力するのも、人に親切にするのも、その動機の大半は他人からの承認で、 「がんばってるね」 「素晴らしい」 「ありがとう」 といって欲しいからです。世のため、人のため尽くした人は、当然承認という報いを受け取ります。世のため、人のため、と言っても結局は自分が承認されるため、という側面はあります。これはひねくれて言ってるのはありません。 承認欲求は決して忌み嫌ったりするものではない、ということです。食欲や性欲同様の人間の営みです。ただ食欲・性欲は動物でもありますが、承認欲求は人間だけが持つ欲求であるわけです。 |
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500 ADD
499 具体的で辛口の承認 498 承認は「ノリ」というプラス・アルファを生む 497 承認を少しでもいいから絡める 496 木に登らせる * 495 ペーシングなんて 494 コーチングはスキルではない 493 コーチングの種類について 492 嫉妬と承認欲求 491 承認欲求 * 490 自己実現欲求と承認欲求は表裏一体 489 究極の自己承認 488 相槌・うなずき・オウム返し 487 成功哲学と自己承認 486 承認とは自己承認の増幅 * 485 インターネット・マーケティング 484 とにかくいい時代 483 四十肩(五十肩) 482 夏の思い出(パート2) 481 夏の思い出 * 480 日経経営セミナー(大阪) 479 次の志 478 志がなくては 477 立志の自己承認 476 相手がある問題 * 475 まず自己承認を確保せよ 474 窮地を乗り越えるとは 473 積極心とは、信念とは 472 承認は人生だ 471 すみやかな忘却 * 470 承認の世界は生ぬるい? 469 「叱責」は「愚か」 468 承認は承認を呼ぶ 467 承認の世界に生きよ 466 メールは真剣勝負 * 465 承認の調整機能 464 承認は功徳だ 463 配偶者の承認 462 プライド 461 座右の書 * 460 寛容さ 459 すべてを承認につなげよ 458 昼間何をするのか 457 値上げだと? 456 臭くあるな、らしくあれ * 455 気安くほめるな 454 社会経験 453 ルールの違い 452 うまく辞めさせるのもビジネス・コーチングのうち 451 「げっそり感」はコスト *** コーチングを受けてみませんか
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