クライアントさんの話をうかがっていると、今その人の直面している問題は、その人の現在に特段の問題はなく、過去に播いた種を刈り取る局面を迎えているに過ぎない、と感じることがしばしばあります。 善事をしつづけながらも、なかなか不幸な出来事が消えぬような人もたくさんある。しかし、これは憂うべき事態ではなく、その人自身や、一家一族の進歩してゆく姿なのである。それは、過去世から蓄積されてある、その人または、祖先の悪因縁が、その人の時になって、表面にはっきり現れ、次々と消え去ってゆく姿だからである。 (中略) であるから、どんな不幸が現れようと、この現れによって、自分自身及び、祖先の業因縁が完全に消え去ってゆくのである、と堅く信じなければならない。神は善事をなしている者に、決して不幸を与えるわけがないのである。絶対にないことを私は明言する。従って、その人は、自己の想念や行為をよく内省して、どう考えても自己の想念(おもい)、行為に間違いなし、と信じられたら、そのまま、業の消えてゆく姿である、これから必ず良くなる、と断固として思うべきである。その勇気こそ、その人を救い、その人の周囲を救う祈りなのである。 『神と人間』、五井昌久、1953年 平和な気持ちで事に当たっても、予想外の批判を受けることがあるものです。もちろん納得がいかないが、批判をやり返しても、問題の解決にならないばかりか、かえって傷を広げてしまいます。自分自身を承認できるような、気高い対応で切り抜けるのがいいのです。そしてその気高い対応については、自分で自分をほめてあげるのです。 ・恨みはつかまないで忘れる ・裁きは天に任せる ・これから必ず良くなる、と断固として思う 過去の自分が引き起こした問題はこんなふうに気持ちの整理を付けるに限るのです。五井さんのこの一節はぜひそのクライアントさんに紹介しよう、と思ったしだいです。
![]() 相手をなじる、批判するところからコミュニケーションに入る人は世間に結構いるものです。外部の他人をなじったり、批判することが全くない人でも、身内に対しては平気でなじったり、批判する人は枚挙に暇がありません。社会的地位があって理解力もある人でも、外面を良くて内面は最悪、これはよくあるのです。 とあるクライアントさんが言われるには自分の父親がこのケースなのだそうです。しばしばまず、相手がなじる・批判するところから会話が始まるのです。クライアントさんはコーチングを学ばれていて、コミュニケーションの基本はご存知の方ですから、このように表現されました。 「全く、いつも赤信号をぶっ飛ばすような、反則コミュニケーションなのですよ」 いつものパターンはこうなのだそうです。 @相手が批判する Aこちらが反論する B相手が怒り出す Cようやく収拾する(長時間かかる) D要望を訊く クライアントさんがつとめて普通に話しても、相手は極めて簡単に怒り出すのだそうです。 A〜Cのプロセスに関しては、 「気高さのかけらもない、絶望的な会話というしかないです」 この方はすっかり意気消沈しておられました。 父親は怒り出すと、過去を引き合いに出し、クライアントさんの兄弟が同じく批判しているということも引き合いに出し、躍起となって自分を正当化につとめるそうです。こうなると会話の目的は本来の「要望を伝える」ではなく「批判する」にかわってしまいます。批判もこちらを変えようとする批判ではなく、自分を正当化するためには、こちらが悪者でなくてはいけない、と問題が擦り替ってしまうのだそうです。 身内なのでついつい反論してしまいますが、ここが一番気をつけなければならないポイントでしょう。A「こちらが反論する」をスキップして、Dの「要望を訊く」に直接もっていくことに尽きるように思います。といってあまりあからさまに端折ると、相手はまた怒り出すので注意は必要です。 実は私も自分の父親とは同じようなことをやってます。自分の経験を省みれば、ポイントは「期待感を捨てる」「他人と思う」ということだと思います。相手をあり方を変えようとしても、全く無理というしかありません。 クライアントさんはひと悶着起きるたびに、報復を夢想するそうです。寝首をかいてやりたいと思ったこともあるそうです。お気持ちはよくわかります。報復するような気持ちを持っている限り、相手の批判は引き寄せてしまうものです。こちらが屈服を強要されるのは悔しいですが、早めに忘れることです。そんな「気高さの全くない会話」を心でつかんで反芻しても、得るところはありません。凡人では相手は許せないので、裁きは天に任せるとしましょう。 とにかくそんな状況があっても、発展的で明るく、萎縮せずのびのびやることです。相手は常にこちらに反省を迫って来ますが、この状況で反省できたものではないし、もしやったとしたら害が大きいです。何も相手のレベルに降りてゆくことはないわけです。まちがっても批判を真に受けて、自分を見失わないことが肝心です。こんなときこそ状況をしっかり収拾し、収拾できた自分をしっかり承認すべきなのです。
![]() 「主人に代わります」 奥さんをコーチングしていて、電話口がご主人さんに代わったケースは2回あります。別々のクライアントさんです。ちょっと挨拶したい、というのではありません。ご主人さんがその回だけクライアントになる、ということなのです。 いずれの場合も問題なくつとめましたが、いくらなんでもパーソナル・コーチングとしては反則でしょう。しかし、そこまで信頼いただいているわけですから、ありがたいことです。私も固いことは言いたくありません。 私はコーチングを始めて今年で5年目ですが、長くやってるとこういうこともあるわけです。
![]() アービンジャー・インスティチュートの新しい翻訳本で、『2日で人生が変わる「箱」の法則』を読みました。この本で「箱」と言っているのは、他人を批判したときに避けられない自己正当化のことです。「箱」に入ってしまえば、相手と正常な人間関係を築くことができません。 自分はふだん「箱」に入っているのだろうか、出ているのだろうか、読みながらこのことを考えてみた次第です。もちろん他人を批判すれば、ある程度は「箱」に入るわけです。 記事にするのもお恥ずかしい話ですが、さきごろこんなことがありました。 家内が私にとある申請書類の作成を依頼したのです。私は会社で書類を作ってもらい、家内に手渡したところ、 「コピーは?」 と言う。ああ、なんかそんなこと言ってたな、しかしはっきり聞いてなかったな、と思ったが、 「知らんよ」 と言うと、 「頼んだのに」 と怒り出す。 「もっと誤解のないように頼んでよ」 と言ったら、いよいよ怒り出した。こちらも久々にぶち切れて、 「せっかく書類もらってきたのに、ありがとうのひと言も言わないとは何事だ。引き受けなきゃよかった」 と言ってやったら、 「悪かった」 と謝り始めたが、こちらはカンカンだった。久しぶりに怒ったが、これは確かに体に悪い。 ただ、相手の行為そのものに怒っているのは、ある意味救いだな、と思いました。相手の人格について批判するのでなければ、怒ったあと、自己正当化という「箱」のなかに自分が入ったままになるわけではない。さしてこじれず、立ち直りは速いわけです。 コーチングは、ビジネス・コーチング、パーソナル・コーチングを問わず、相手を批判したら終わりです。しかし、アサーティブネスも行使して、言うことは言わなければなりません。相手が他人ではなく、家族なら、そう配慮の行き届いた言い方を常時できるわけではないということです。 この程度の「箱」なら、よほどの聖人でもない限り、日常生活では避けられないのでは、と思いました。自分で言うのもなんですが、私自身はふだん滅多に他人を批判せず、結構「箱」とは無縁の日常を送っていると思います。
いろいろ教えを請いたいのだが、迷惑がられると思って、遠慮してしまったという経験はありませんか。実はコーチングのセッションでそんな話が出たことがあります。こういうやり取りになりました。 「どうして遠慮したのですか」 「迷惑がられるのではないか、と思ったものですから・・・」 「なるほど、迷惑がられなかったら、何が得られるのですか。相手によく思われる、ということですか」 「はい」 「でも、他人を教えることは、たいていその人の満足につながるものですよ。あなたを教えたほうが、相手は教えを請うたあなたのことをよく思うのではないですか」 「そうですね」 「教えを請うてみて、相手が迷惑がってから、遠慮しても遅くないんじゃないですか」 「なるほど、よく思われたいというのは、こちらの一方的な思い込みなんですね」 全くその通りで、教えを請うのを遠慮しても、何も得られないばかりか、相手は「あなたが自分に関心がない」と判断して、意識の外に置くでしょう。当然得られるはずの人間関係を失ってしまう、という結果になります。 遠慮するのは、関わり合いたくない相手だけで十分です。 「遠慮しないで、相手と関わりましょうよ。そのためのコミュニケーションではありませんか」 こう申し上げておきました。 |
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900 タイプ分け 899 アンチ原理主義 898 他の手法と組み合わせる 897 批判する相手とのコミュニケーション 896 攻勢のアサーティブネス * 895 2人、3人の上司 894 やれるところまで 893 今後オススメするとしたら絶対OFFICE LIVE 892 一旦引け 891 とりあえずコアの2割だけ即片付ける * 890 資産運用はすこし勉強すれば事足りる、是非勉強すべきだ 889 友人が鬱でなんとかしてあげたい 888 内視鏡検査 887 マットを敷き詰める 886 気高く生きる権利 * 885 過去の自分が引き起こした問題 884 赤信号をぶっ飛ばすような、反則コミュニケーション 883 主人に代わります 882 自分はふだん「箱」に入っているのだろうか 881 遠慮しないで、関わろう * 880 いついかなる相手に対してもアサーティブであれ 879 社保庁サイト 878 手を上げた人を鞭打つ発言をする人 877 インデックス・ファンドの積立投資 876 雑用もやります * 875 副官の選定 874 批判的だが、批判する立場にはない 873 自分で自分が許せるのかどうなのか 872 山道の木 871 真夏の通り抜け * 870 迎えず送らず 869 日経経営セミナーに3度目の登場 868 状況が変わってもやっぱりインターネット 867 「解説する」が「話すべきではないことは話さない」 866 ファイナンシャル・プランナーの相談は足が長い * 865 中村天風を読んでもらう 864 ファイナンシャル・リテラシー 863 その手は食わない 862 ファイナンシャル・プランナー 861 サブプライムローン * 860 5つの仕事があれば 859 イヤな相手の対処法 858 タフ・ネゴシエーター 857 コーチングが一皮剥ける時 856 志のない相手は時間の無駄 * 855 承認で切り返す 854 それはちょっと難しいんじゃないでしょうか 853 コーチングの影の部分 852 聴衆の反応 851 独立したら生活していけませんね *** コーチングを受けてみませんか *** コーチングとは(私見) *** 社会人のためのカウンセリング *** カウンセリングとコーチング *** ビジネス・コーチング入門 *** ライフ・コーチングの奨め *** コーチングは自己承認から *** オーケストラ再生のオーディオ *** オーケストラ録音を聴く |
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