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猪飼敬所とは、初め交つて、後に絶つて居るから、勿論勘定に入らず、
次には篠崎小竹だが、彼は同じ大阪に居たのだから、学問の上から山陽
まじはり
以上の交があつて然るべき訳だけれども、如何やら是も怪しい。といふ
そり
のは、勿論前にも話した通り、其性格の下品な点に於て、平八郎と反の
合ひ相な人物でない、彼は鴻の池に自ら腰を低うして近づく程であつて、
金儲けに巧に、『儒中の鴻の池』の称があつた。文章などの依頼に応ず
るにも、先づ価を問うて、百両なら百両丈の文、十両なら十両丈の文、
三両一両なら三両一両丈の文と、綺麗にそれ相応の文章を書き分けたと
いくたび かねもち
いはれ、幾度も富豪の詩席に招かれて、幇間的に共に詩を作り、最後に
すまう
は礼銀を貪つて、角觝取の褌に迄字を書き、その為にスツカリ評判を悪
くしたとも聞いて居るのだ。小竹は大塩乱後に阪本鉉之助に向ひ、中斎
おは
の学問筋には、驕慢癖あり、などと得意に評したので、阪本は之を聴了
り、如何にも御尤だが、併し、足下にも罪がある。何となれば、平八郎
おんまじはり
とは年来学問上の御交があり乍ら、彼の説を何等の批判も教諭も無く、
いかが
其儘に避けて通されたのは如何、大阪で小竹先生ともあるものがそれな
らば、他に平八郎の頭を押へる者は無いから、彼の驕慢は愈よ増長する
だらう、すれば平八郎の驕慢を長ぜさせた罪を、足下は遁れ難からうと
きかん
いつた相だが、小竹の人物を知れば、到底平八郎を規諫するなどといふ
真骨頭ある柄とは思はれぬ、然らば、林述斎は如何、是は寧ろ述斎の方
から用金か何ぞの事で恩を平八郎に着て居る方で、文書上の交際が開け
たに止まり、左迄の事はむなく、固より一面の識も無かつたであらう。
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幸田成友
『大塩平八郎』
その81
幸田成友
『大塩平八郎』
その84
坂本鉉之助
「咬菜秘記」
その42
規諫
戒めること
真骨頭
真骨頂に同じ、
真実の姿
幸田成友
『大塩平八郎』
その77
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