Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.4.20

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「大塩の乱関係論文集」目次


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』

その120

相馬由也

開発社 1919

◇禁転載◇

十七、交友と著述 (2) 管理人註
   

 猪飼敬所とは、初め交つて、後に絶つて居るから、勿論勘定に入らず、 次には篠崎小竹だが、彼は同じ大阪に居たのだから、学問の上から山陽    まじはり 以上の交があつて然るべき訳だけれども、如何やら是も怪しい。といふ                              そり のは、勿論前にも話した通り、其性格の下品な点に於て、平八郎と反の 合ひ相な人物でない、彼は鴻の池に自ら腰を低うして近づく程であつて、 金儲けに巧に、『儒中の鴻の池』の称があつた。文章などの依頼に応ず るにも、先づ価を問うて、百両なら百両丈の文、十両なら十両丈の文、 三両一両なら三両一両丈の文と、綺麗にそれ相応の文章を書き分けたと     いくたび かねもち いはれ、幾度も富豪の詩席に招かれて、幇間的に共に詩を作り、最後に         すまう は礼銀を貪つて、角觝取の褌に迄字を書き、その為にスツカリ評判を悪 くしたとも聞いて居るのだ。小竹は大塩乱後に阪本鉉之助に向ひ、中斎                                おは の学問筋には、驕慢癖あり、などと得意に評したので、阪本は之を聴了 り、如何にも御尤だが、併し、足下にも罪がある。何となれば、平八郎         おんまじはり とは年来学問上の御交があり乍ら、彼の説を何等の批判も教諭も無く、             いかが 其儘に避けて通されたのは如何、大阪で小竹先生ともあるものがそれな らば、他に平八郎の頭を押へる者は無いから、彼の驕慢は愈よ増長する だらう、すれば平八郎の驕慢を長ぜさせた罪を、足下は遁れ難からうと                        きかん いつた相だが、小竹の人物を知れば、到底平八郎を規諫するなどといふ 真骨頭ある柄とは思はれぬ、然らば、林述斎は如何、是は寧ろ述斎の方 から用金か何ぞの事で恩を平八郎に着て居る方で、文書上の交際が開け たに止まり、左迄の事はむなく、固より一面の識も無かつたであらう。


幸田成友
『大塩平八郎』
その81

幸田成友
『大塩平八郎』
その84

坂本鉉之助
「咬菜秘記」
その42

























規諫
戒めること

真骨頭
真骨頂に同じ、
真実の姿

幸田成友
『大塩平八郎』
その77


『民本主義の犠牲者大塩平八郎』目次/その119/その121

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