Я[大塩の乱 資料館]Я
2018.1.29

玄関へ

「大塩の乱関係論文集」目次


『今古実録大塩平八郎伝記』

その12

栄泉社 1886

◇禁転載◇

 ○大塩平八郎隠居して大望を企つる事(3)

管理人註
  

平八郎は、此事を知て猶更憤り、天子御座所の京師へは、米を限りて運漕な し、其余は一粒も余分を送らず、江戸表へは分外に諸国よりして廻米す、是 如何なる私しぞや、我に孔孟の道徳なけれど、天下の為には罪をも犯し、下 民を悩す盗臣を、天に代つて誅伐し、驕奢に長ずる富豪の輩を斬害して、貯 へ置る米銭其他を奪取り、摂河泉播の窮民どもへ施し尽して、是を賑し、天 下の眠りを覚し呉ん、又あはよくば金城を乗取、其芳名を百世に伝へん、豈 碌々として死を待は、大丈夫の所為にあらずと、先一番に一類門弟数を尽し て呼集め、其密謀を告けるに、同気相求め、比類相応して是に徒党する者共 には、同組与力小泉淵次郎、瀬田済之助、同心には、渡辺良左衛門、吉見九 郎右衛門、河合郷左衛門、平山助次郎、近藤梶五郎、庄司儀左衛門、玉造与 力の悴当時勘当の身分なる大井正一郎、御弓同心竹上万太郎、其他浪人には、 平八郎伯父河内国吹田村の神主宮脇志摩、彦根浪人梅田源左衛門、伊勢の御 師安田図書、浪人森本林太夫、郷民の名ある者には、般若寺村の名主橋本忠 兵衛、守口宿の質屋三郎兵衛、同所の名主茨田軍治、同斉治、其外上田幸三 郎、高橋九右衛門、梶岡源左衛門、志村周治、堀井儀三郎、阿部長助、曾我 器助、市田次郎兵衛、額田一郎右衛門、郷井磯四郎、横山文哉等、皆一味の 連判状に誓詞血判をなせしとぞ、      いちにん 爰に徒党の一人にて、同組の同心河合郷左衛門といへる者は、当年二才の男           しらこ 子あり、此子世にいふ白児にて、甚だ容貌醜ければ、郷左衛門は常に苦に病   ふびん み、憫然がりて居たりしが、如何になしけん、其子を抱きて彼盟約せし正月 中、出奔なして行衛知れず、 平八郎は此事を聞、若や河合が一大事を他に洩しもやせんか、とて頻に危ぶ                            なれ み思ひ居しかば、何は扨置、性急に事をなすには百姓どもを馴付ん事急務な    やが                        のぼ れと、頓て真片仮名にて檄文(次に出す)を作り、是を板行に上せつゝ、其                       しゆつたい     うゑじいた 判する時、人に洩んと、横に三行づゝ彫刻させ、出来の上、植字板へ綴り合           すか せて、摺物師を自宅へ賺し招き寄せ、一間に捕へて摺せしを、黄色の絹の袋 へ入れ、天より下さるの文字を認め、摂河泉播四ケ国の村々、及び残る処な く神社仏閣の柱へ張せ、彼摺物師は十九日の朝まで大塩の宅へ留置、金十両 を与へて去しむ、其者後の祟りを恐れて、直に奉行所へ出訴せしとぞ、            あらた 扨二月十九日には、此度新に上坂せし、西奉行なる堀伊賀守殿、町々巡見の みちすがら 途中、平八郎が真向の与力浅岡助之進が方へ、両奉行同道にて休息あるべき 由なれば、未だ事は調はざるも、此時を失ふべからずとて、徒党の人数を催 促し、其休息の不意に起りて、飛道具をもて微塵になさん、と郷民どもを集 むるにぞ、 彼平八郎とは縁者たる、般若寺村の橋本忠兵衛は、田畑等も多く持、頗る侠 気ある者にて、予て密謀に組し居ければ、其村内の窮民に、施行をすると号 しつゝ、郷民どもを十九日の未明よりして平八郎の宅へ多人数集しとぞ、


大塩檄文

『天満水滸伝』
その14

幸田成友
『大塩平八郎』
その97



















河内国
摂津国

森本林太夫
松本林太夫
その他名前は
違うものがあ
る。
 


『今古実録大塩平八郎伝記』目次/その11/その13

「大塩の乱関係論文集」目次

玄関へ