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偖も大塩平八郎は、今隠居となりて閑逸の身久しく、音信も絶/゛\なれば、
つぶさ
東都へ下り彼林家の安否を問んと、門弟中へ其旨具に物語り、夫より旅の用
きゝ
意をなし、心利たる僕を召連、急がぬ旅のことなれば、名所古跡を見物し、
やが かどで
年頃の鬱を散ぜんとて、頓て首途をなしけるに、数月を経て帰坂なし、我、
うけひき
林家より余儀なき頼みに断りがたく、承引て立帰りしも、中々以て我微力に
は及び難し、夫に付、気の毒ながら無尽を取立たく思へば、迷惑ながら加入
たのみ
して、と彼の随順せし者共へ頼けるにぞ、
つ ね
一同が師の頼みといひ、平八郎が平常の気質を知り居る者、余儀なき次第と
承引て、守口宿の白井孝右衛門は人も知りたる富家なればと、是へ頼みて金
五百両、猪飼の村名主馬之助に金二百両差出させ、其外身元宜しき者へ夫々
分限に相応し、百両、五十両、三十両と段/゛\出金いたさせける、
其節林家の表印、また大学頭殿の裏印ある証文数通平八郎より銘々へ渡し、
両三年は此証文の金高に応じ割戻しをば度々せしも、其後平八郎皆々を自宅
こんにち
に招きて言けるは、今日各々方をお招き申しお噺し申すは、他ならず、先達
ちう もだし
て中頼み入し無尽のことに付てなり、大恩を請し師の頼みに、黙止難く各々
へ無利なる御無心を申し入しが、我何をがな師恩をば報じたしと、予てより
思居し所なれば、以来は我より返金すべし、因て何卒林家より渡し置れし御
たつ
裏印の証文を返し給はるべし、と強て頼むに、皆々は外ならざる儀と承知な
せしに、則ち林家よりの証文は、皆般若寺村の忠兵衛が名印の証文と引替け
り、是全くは大塩が深き根ざしの有る事にて、右の金子を偽りて取集め置、
其実は軍費に充る下心とは、後にぞ思ひ合されたり、
また大塩平八郎剳記といへる書を著し、我心願のことあれば、是を諸国の霊
山霊地へ納め置たるものなりと、門弟中へ吹聴し、只一僕を召連て、旅の用
うちど かりまを
意もそこ/\に、頓て出立をなしけるが、先伊勢内外の神垣に賽でゝ、駿河
たいざん
の富士、摂津国の甲山と、名ある大山へ登山なし、其外霊山霊地は更なり、
高山名岳といふ所は皆悉く到りしといふ、是も跡にて聞得れば、諸所の地の
まさか
理を考へ究め、万一の時の用意の為、斯る怪しき事をなせしと、後々語り伝
へたり、
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相蘇一弘
「大塩の林家調金をめぐって」
『天満水滸伝』
その15
幸田成友
『大塩平八郎』
その58
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