Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.4.21

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩平八郎』

その4

丹 潔

(××叢書 第1編)文潮社 1922

◇禁転載◇

第二章 与力時代
 第一節 人間的の話(2)

管理人註
   

 第三項 頼山陽の杖  平八郎は頼山陽が紛失した菅茶山の遺愛の杖をすぐに捜索した。  山陽はその敏捷を賞めた。さうして、その捜索法を尋問した。平八郎は 簡単にかう答へた。 『階前は万里なり。阪府の所管僅に方数拾里、在る所の物は、繊芥の微と 雖も、わが眼底を逃れず。』   第四項 漢文の願書  或る医者が町奉行所の役人を困らす目的で、漢文体の願書を提出した。 その当時、願意の可否によらず、一旦、却下することになつてゐた。漢文 の素質のない役人は、その願書を平八郎のもとに持つて来た。彼はそれを 山城守に見せて、殿の意志を漢文で書いた。その名文に遉の医者も冷汗を 流した。それ切り漢文の願書は、舞ひ込まなかつたさうである。   第五項 大名に叛逆  高井山城守実徳が大阪町奉行となつたのは、文政三年十一月である。そ れから四五ケ月後の事で、即ち文政四年の四月頃だ。その時、平八郎が廿 九歳であつた。  玉造口与力坂本鉉之助が、鎗術師柴田勘兵衛を供つて平八郎の宅を訪れ た。鉉之助は勘兵衛の宅で、平八郎に面談したことはあるが、彼を訪れた のはこれが初めてであつた。  二人が座ると、平八郎は急にかう述べた。 『ようこそ、おいでになされた。殊によると、拙者は切腹してお目にかゝ れなかつたかも知れなかつた。ところが、いま、このやうにお目にかゝれ るのは、幸福でもあり、不思議でもある。』  二人は驚いて、その真相を尋ねた。その理由はかうである。  ――天満の町人の、某氏が貸金出入で訴へられた。いよ/\定められた 日限が来たので、返済に迫られた。  彼の訴状には――近年の不仕合で借財が、だん/\積つて、こんど切金 を命ぜられても、一口が済めば、また一口と云ふやうに手数をかけて、畢 竟、全額を償却することが覚束なく、なにとぞ身代限を仰付け下さい―― との趣旨であつた。しかし彼は先代に御用金を差出したことがあると云ふ ので、一応、江戸表へ問合はすことになつたが、水野出羽守はこれを否認 した。この理由は旧いことを掘り出されたら、限りがないと云ふのだ。殊 に当時の大名は金銭にかけては、神経が鋭敏であつた。それは幕府が大名 に金銭の自由を獲得されると、叛逆する基を創ると云ふ考へをもつてゐた からだ。さうして若し産業が発展して金銭が豊富になると、幕府は、それ を恐れて大河の工事、神社仏閣の建立などに浪費させてしまつた。斯う云 ふことで、大名は常に無一文であつた。どうしても大金の入用の場合は、 難題を持ち出したり、威脅したりして、極秘で資本家から借用してゐた。 これらが原因となつて、その当時の大名は資本家には頭が上らなかつた。  で、水野出羽守は身代限を申渡せと、主張した。それをどこかで聞いた 平八郎は、尠からず憤慨した。直に西町奉行内藤隼人正へ参上して、その 事を述べようと思つて面会を求めたが、組違ひなので果されなかつた。そ れを強制的に面会した。 『私頭、高井山城守は此の頃の御赴任なので、御気質も理解して居りませ ん。しかし御前は、前年当地に御目附を勤められた上に、御継母さまに御 孝心であると云ふことを町の衆から、聞いて居りましたから、参上いたし ました。就きましては今度の切金のことは、江戸表へ御聞合せを願ひたう 存じます。彼の者は先代公儀へ御用立ていたしました理由は、一つには家 のため、二つには子孫のため。如何に当人の願ひとは云ヘ、身代限を申渡 したり、家名を断絶したりいたしますと、今後、当地の商家は御用立をい たさないやうになります。何卒、御推察の上、御尽力下されば、彼の者も 私も光栄で御座います。若しいま、申上げたことに御咎めあらば、私は責 任を負つて、即座に切腹いたします。』  平八郎が、かう云ふと、隼人正ははら/\と涙を流して、 『貴殿が山城守を差除けて当方へ参上したことは、極秘にしておく。貴殿 から、山城守へ申し聞いては如何。若し山城守から、御相談があれば、其 の節は彼の者にも、貴殿にも利益になるやうに努めよう。安心せよ。』  と、述べられた。  隼人正は平八郎の趣旨を江戸に問合はせて、二人の都合の好いように取 りはからつた。  平八郎は大名に対して叛逆するのに、民衆間生れた出来事を以てした。 彼の人間的行為は、この頃から民衆に認められたのである。



幸田成友
『大塩平八郎』
その18





階前は万里
万里の遠方も
階前の出来事
と同様である。





幸田成友
『大塩平八郎』
その20







(さすが)





幸田成友
『大塩平八郎』
その21

坂本鉉之助
「咬菜秘記」 
その2























身代限
借金の返済が
できなくなっ
た債務者に対
し,官の命令
でその財産全
部を債権者に
与えて債務の
返済にあてさ
せたこと


水野出羽守
忠成、老中、
在職期間は
1817−1834


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