Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.2.1

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その15

田中貢太郎(1880-1941)

『大塩平八郎と佐倉宗五郎』
(英傑伝叢書10)子供の日本社  1916 所収

◇禁転載◇

八 矢部駿河守と天保の饑饉 (2) 管理人註
  

                   もと  つかひ や  ある夜、駿河守は例によつて、平八郎の許へ使者遣つて平八郎を招いた。 そして、用談をすませた後で、料理などを食べてゐたが、ふと話が国の将                     しづか 来といふやうな問題に及んで来ると、今まで静に食事をしてゐた平八郎は、            そび 俄に額に青筋を立て肩を聳やかした。                           も   いつてう 『それです、それです、私の心配でたまらないことは、若し一朝にして我 国がさうにでもなつた暁には、この俺はどうしたらいいのだ、うむ、どう したらいいのだ』  果ては駿河守の傍に居ることを忘れて、体をぶるぶると震はせながら、 狂人のやうに怒号しはじめた。               いつてんばんじよう おほぎみ 『さうなつたらどうする、この一天万乗の大君をどうする、うむ、情けな いぞ、情けないぞ。』                            なだ すか  と云つた。これにはさすがの駿河守も驚いて、いろいろと慰め賺しても 見たが、そんな言葉は一向耳に入らなかつた。そして、ぢつと恐ろしい目 を据えて一方を睨みながら、唸り声をたててゐたが、突然膳の上にあつた かながしら 金頭の焼いたのを手につかんで、 『うぬ。』  と云つて、バリバリと噛み砕いて食べてしまつた。この有様を見て、胆                       まつさお をつぶしたのは給仕に出た一人の小姓であつた。真蒼になつて座をさがる                  おそばようにん と、そのまま用人部屋へ駈け込んで、御側用人内藤十郎にその有様を逐一 物語つた。その翌日用人の内藤は駿河守の部屋へ遣つて来た。 『殿様、どうも昨夜の客人は狂人のやうでございますから、以後あまりお そば                        し で か 側へお近づけになりませんやうに、あんな狂人は何を仕出来すか解るもの ではございません、万一殿様の御身に間違ひでもあつては太変でございま す。』  用人は一生懸命になつて、駿河守に納得させやうとした。けれども駿河 守は笑つて取り合はなかつた。 『いいや、心配するな、あの男は決して狂人ではない、これには仔細のあ る事ぢや、だが、それはお前達には解らぬことだ、まあ、いい、いい、以 後そんな心配は無用だぞ。』  さう云つて駿河守が用人をたしなめて、その後も相かはらず親交を続け てゐた。かうして駿河守が平八郎を用ゐて事を処理したがために、大阪は 他の地方よりも遥に窮民の救助が行き届いたので、その歳はまづ何事もな                          うち く平和にどうやら年を越した。このことは天満水滸伝の中にも、『これは 矢部駿河守殿、救命宜しきに因るものにて』云云と書いてある。



石崎東国
『大塩平八郎伝』
その86

幸田成友
『大塩平八郎』
その86



桜庭経緯
「矢部駿州と
大塩平八郎」


































































『天満水滸伝』
その13


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