Я[大塩の乱 資料館]Я
2014.1.24

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「大塩の乱関係論文集」目次


「大塩平八郎」
その7

田中貢太郎(1880-1941)

『大塩平八郎と佐倉宗五郎』
(英傑伝叢書10)子供の日本社  1916 所収

◇禁転載◇

四 近藤重蔵と交る (2) 管理人註
  

 すると、暫くして一人の老僕が片手に燭台を持つて入つて来た。そこで、 平八郎はわざと落着いた声で老僕に訊ねた。 『御主人は何所かへ外出されたでせうか。』 『いえ、御在宅でござります。』 『では、何かおいそがしいことでも。』 『さあ、その辺のことは一向私は存じませぬ、しかし、もうそのうちお見 えになりませう。もう少少お待ちくださいませ。』                    まんなか  さう云ふが早いか、老僕は燭台を部屋の中央に置いたまま、そこそこに 出て往つた。平八郎は燭台が来たからにはもう近藤が出て来るだらうと思 つて、また浮かしてゐた腰をおちつけた。しかし、それから彼れこれ二時 間ばかりも待つたが近藤はどうしても姿を見せなかつた。燭台の蝋燭はと 見れば、もう大半燃えて残りすくなになつてゐた。平八郎は近藤は人を屁 とも思はない気性だと云ふことを聞いてゐるから、最初のうちは我慢して ゐたが、そんなにまでされると、もうどうにも腹の虫が納まらなくなつた。          こぶし 平八郎は思はず両の拳をぐつと握り締めた。 『無礼至極の奴だ。』  さう云つて部屋の中を見廻したところで、平床に飾つてある百目筒が見                  こしらへ えた。それは近藤の愛蔵の品らしく、製作と云ひ、磨きと云ひ、実によく                 そば 手が行き届いてゐる。そして、その傍には弾薬まで飾つてあつた。それを 見ると平八郎はほくそゑみをした。彼はいきなり床の方へ往つてその鉄砲 を取りあげ、それに手早く弾薬を詰めて引金を引いた。百雷の一時に落ち          ひびき              もうもう           こ かかつて来たやうな響が家の中を震動さした。焔硝は濛濛と部屋の中を罩                         きせる めた。と、その時さらりと襖を開けて、重蔵が右手に煙管を持ち、左手に      煙草盆を提げて悠悠と入つて来た。 『見事、見事、まあ、蒲団をお敷きください。』  さう云つて重蔵はにつと笑つた。そして、互ひに初対面の挨拶をして、              さけさかな それがすむと、手を鳴らして酒肴を持つて来さした。酒肴の用意が調ふと、 重蔵は傍にあつた蓋物を平八郎の前へ出して云つた。   【平八郎と重蔵の対面図 略】 『これは到来もので、大した珍味ではないが、まあ一つ。』 『これは、どうも。』      いんぎん                      すつぽん  平八郎は慇懃に云つて、その蓋を取つた。中には一匹の生きた鼈が蓋物  うち                   も が の内をがりがりとやりながら、外へ出やうと摸掻いてゐるところであつた。 それを見ると、平八郎は笑つて、 『これは何よりの好物、早速戴きませう。』                           したた      すす  と、云ふが早いか、小柄を抜いて首を切り、たらたらと滴る生血を啜つ た。         ふんけい  それ以来二人は刎頚の友となつた。その時重蔵は中年の四十九、平八郎 は僅に二十六歳の一青年であつた。そして文政四年三月、重蔵は勤方不相   ゆゑ 応の故を以つて小普請入りとなつたがために、二人は永久の別れをしなけ                                 ればならなかつた。その重蔵は天保十二年六月十六日、五十九歳を一期と                 をは して、近江の大溝でさびしい一生を了つたのであつた。


石崎東国
『大塩平八郎伝』
その29

幸田成友
『大塩平八郎』
その85 

伊藤痴遊
「大塩平八郎と
重蔵」

鬼雄外史
「大塩平八郎
 


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