Я[大塩の乱 資料館]Я
2001.2.19訂正
2000.12.7

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「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

九月の日次 その2









大塩が一味河合郷左衛門、能登に隠れありしを加賀より捕手に向ひしかは、或山中に逃入しと云。大勢にて其山を取巻押詰しかば、詮方なくして切腹せしかは、其死骸を塩漬となし、大坂へ来りしといふ。*1





 











大塩平八郎党の内、江戸表に御著(差)下の者共、細川越中守殿江御預け相成り評定所へ引出の節、固め左の通り。

定詰足軽五人
定詰足軽五人
騎馬留守居役
 清田七左衛門
  上下七人
騎馬物頭
 竹原九左衛門
  上下九人
足軽五人
足軽五人・小頭壱人
吉見九郎左衛門
 御預人舁人四人
使番壱人
小姓弍人
副士小姓組
 上妻源右衞門
騎馬物頭
 垣屋喜蔵
  上下九人
足軽五人
足軽五人・小頭壱人
竹上万太郎
御預人舁人四人
歩行使番壱人
同小姓弍人
副士小姓組
 武藤四郎左衛門
騎馬物頭
 高田次武助
足軽五人
足軽五人・小頭壱人
正一郎
 御預人舁人四人
歩行使番壱人
同小姓弍人
副士小姓組
 次崎久兵衛
騎馬物頭
 小島権兵衛
  上下九人
足軽五人
足軽五人・小頭壱人
安田図書
 御預人 舁人四人
歩行使番壱人
同小姓弍人
副士小姓組
 吉村直助
騎馬物頭
 津田源八
  上下九人
足軽五人
足軽弍人・小頭壱人
大西与五郎
 御預人舁人四人
歩行使番壱人
同小姓弍人
副士小姓組
 鎌田三左衛門
騎馬物頭
 木村十左衛門
  上下九人
足軽五人
足軽五人・小頭壱人
美吉屋五兵衛
 御預人舁人四人
歩行使番壱人
同小姓弍人
副士小姓組
 住田弥十郎
  上下八人
定詰足軽五人
定詰足軽五人
留守居
 後藤善左衛門
  上下十一人
本道医師
外科医師
留守居下役一人
外使番三人
総人数弍百六十人。夜に入り候へば挑灯持九十二人、外にもの持之有、

一、美吉屋五郎兵衛女房は入牢に相成候由。

 
 十月に至りても米相場は九十目前後にて、格別の大狂なし。

十一月十八日未明より辰の刻頃迄、雪少しく散らつきしかど、聊も地に積れる程のことなし。

同廿八・九・晦日の頃南方の空大に光る、稲妻の如し。米の相場はやはり九十目前後なり。

 
 




同下旬大塩一件に付、江戸より御勘定吟味役等四五人著せられ、十二月二日東御奉行所へ大塩掛りの者共総召出にて、これを鈴木町御代官根本善左衛門殿へ引渡に相成り、これ迄は親類預にてありし科人も、今日より入牢となりしが、同七日御代官へ呼出されて、何れも根本の取調べとなりしといふ。

同九日風、初更地震あり。

当冬は雪も先月の少雪計りにて、其後少しも降る事なく、霜は仰山に降れども至つて暖にして、十月初め頃の時候の如くなりしが、十日に至り寒気甚しく、十一日寒に入りしかば、こは寒の印ならん。これ迄の暖気過しを人々大に恐れ、かくては来年もいかゞあらん、地震にてもゆりやせん、先年住吉・天王寺等の焼けぬる時、南方大に光りしが、かゝる兆にやあらん抔とて、何れも恐れしが、寒気強くなりぬるにぞ、人々心を安んずるに至る。

 




調
 





同十六日の事なりしが、尼ケ崎町竹川彦太郎といへる両替屋の丁稚、弍朱金三百両革財布に入れ之をかたげ、玉木(玉水)加島屋安兵衛丁稚は手形にて二千両を懐中し、両人連立つて安土町炭屋安兵衛方に到り、夫より瓦町難波橋筋の少し西を通りしに、悪徒三人附来り丁稚を捕へ、耳元にて竹鉄炮を打しかば、大に驚き其所にへたりしを、懐中より切物を取出し、帯に括り付けたる財布の紐を切り、これを奪ひ取りしにぞ、

丁稚大に叫びしと鉄炮の音とに驚き、近辺家毎に悉く門口を閉ぢぬ。其処の番人賊一人を捕へ、これを組合ひゐる処を一人の賊駈来り、番人数ケ所手疵を負せ組まれし同類をも殺し、己れも咽を突きしかども死せざる故、近辺にて未だ門口を締めずしてありし紙屋へかけ込み、助けくれよといひぬるを、大勢寄合ひ之を召捕へ、御番所へ差出せしといふ。

今一人の賊は金を取て相〔其場を逃れしかども、四五日過ぎて順慶町にて召捕られしといふ。こは十六日の昼過の事なりしといふ事也。

白昼に市中に於てかゝる賊をなせること、時節とはいひながらも傍若無人の振舞にして、上に諸司もなきが如し、欺ずるべき事なり。

 


管理人註
*1 河合郷左衛門は人相書で手配されているが行方不明のまま。 これは、同じ人相書に載って、大井正一郎らと逃亡し、能登福浦で自殺した「深尾才次郎」のことと思われる。


六月の天候
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