Я[大塩の乱 資料館]Я
2013.5.7

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「大塩の乱関係論文集」目次


『大塩中斎』

その1

山田 準(1867−1952) 

北海出版社 1937 『日本教育家文庫 第34巻』 ◇

◇禁転載◇

緒 言 管理人註
   

 余は大塩中斎先生に就て、従来深く考察を費せし事なし。但だ世の多 数者は、之を乱賊視し、少数者は或は其動機を賛し、或は其心事を諒す るを見て、余も何時かは研究の時機あるべきを期しぬ。昨年の初め、或 る委嘱を受けたるも故あり、之を中止せり。其歳又た教育文庫の嘱あり、 余は再び之を諾し、爾来多少の研鑽を重ね、本年七月煩を赤城山中に避 けて、大略稿をまとめ、八月、先づ之を二松学舎夏講に発表し、更に補 輯して教育文庫に投じたるもの即ち本篇なり。  古人は棺を蓋うて事定ると言へり、中斎は何如。古人は書を著して、 知己を後世に俟てり、中斎逝いて一百年、今果して何如。余は今春元旦、 大阪に遊び、次児及二三有志の先導を得て天満の成正寺に中斎の墓を展 し、左の一詩を賦したり。   成正招提墳墓存。百年祇合公論。   梅花春返洗心洞。来弔中斎夫子魂。 人の行動を評論するには、先づ時勢を視んことを要す。中斎の事変は、 猶徳川氏の盛時に属す故に、歪められて伝へられ易し。又成見ある可ら ず、謂はゆる虚心平気を以て徐ろに其人の志操学術を考察して、判断す ることを要す。又た自己に反省することを要す、吾人は事の難きに臨み 「誰か之を為すならむ」と傍観し「早晩如何にかなるらむ」と楽観す、 此れ王陽明致良知の学に非ず。此時一人あり、奮然進んで其を為すとせ ば、吾人は先づ其人に敬意を払はざる可らず。若し能く敬意を払うて其 人の行事を観んか、論評亦自ら別なるものあらん。  本書は、中斎の志操学術及び其の時勢を叙述し考察して、窃に其処に 適当な判断が生れ来らんことを希望したり。慮と筆との熟せぬは、偏に 編者の不敏の致す所なり。  中斎の事に関しては、文献頗る少く、偶々これ有れば又た稗史的のも の多し。今余の参考したるは、僅に左の諸書に係り、主に石崎東国氏の 大塩平八郎伝(初め年譜と題す)に本づけり、茲に記して敬意を表す。  洗心洞箚記          浪迹小藁 宇津木靖  青天霹靂史 島本仲道     洗心洞詩文 中尾捨吉  日本陽明学 井上、蟹江両博士共編  日本陽明学派の哲学 井上哲次郎  日本陽明学 高瀬武次郎    大塩平八郎 幸田成友  大塩平八郎伝 石崎東国    大塩平八郎 森鴎外全集  文政天保時代 徳富蘇峰近世日本国民史  維新史籍解題 高梨光司  乱妨一件 写本        天満水滸伝 栄泉社刊  大塩実録 上中下三冊 写本  大塩平八郎 中村吉蔵  天保内乱大塩軍記 五冊 写本  大塩難騒録 写本、一冊  中斎の次に佐藤一斎と山田方谷とを起稿すべき順序なりしも、余裕務 きを以て、一斎は文学博士鈴木直治君に嘱し、方谷は他日に譲る、読者 之を諒せよ。








石崎東国
『大塩平八郎伝』





『洗心洞箚記』 (本文)

島本仲道
『青天霹靂史』

井上哲次郎
『日本陽明学派之哲学』

幸田成友
『大塩平八郎』

森鴎外
『大塩平八郎』

徳富猪一郎
『近世日本国民史
文政天保時代』

『天満水滸伝』

高野真遜
『実録彙編 初輯』







『洗心洞箚記』 (抄)
その13







 


『大塩中斎』目次/その2

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