対人関係の問題を自分の問題に落とし込む
020



よく言われるのが

「他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる」

ということです。

したがって対人関係の問題を相手の問題として受け止めている限り、いかに相手を変えるかに腐心することになりますが、これは上記原則により基本的に不可です。

たとえば上司と軋轢が絶えず、強いストレスを受けている部下をコーチングするとします。この場合、いかに上司の側に一方的に非があろうとも、上司をどう変えようかなどと考えず、ひたすら問題をクライアントの問題として考えて行きます。軋轢をどう受け止め、どう対処するか、ということですね。

こういう相談を受けたことがあります。

・部下の育成を仰せつかったが、能力がない上にプライドが高く、いろいろやってみたが、やりつくして手がない。彼にやる気を出させるにはどうしたらいいだろうか?

そこをコーチングでなんとかということになるのでしょうが、これは程度問題です。この場合クライアントが変わることによって事態が変えられるなら、打つ手もあるでしょう。しかし「能力がない上にプライドが高い」相手を前にしてこのクライアントが変わっても、問題はなんとかなるものでしょうか?そうは思えません。

結論としては、部下にやめてもらう、配置転換する、ことでしょう。それが叶わなければ、やる気のない現状のままやりすごす、ということになります。

ポイントは「対人関係の問題をクライアント自身の問題に落とし込んだ場合、手があるのかないのか」という点です。なければクライアントの意に沿うかたちでのコーチングは無理です。

私は依頼されればあまりえり好みせず相談を受けるほうですが、クライアント自身の問題に落とし込んで手のなさそうな問題は、やる気が起きません。クライアントが深刻に悩んでいるというならまだしも、「コーチングの専門家だったら何とかして見せろ」というような意図が感じられれば、通常相談自体を断ります。

コーチングは教室だけでは学べない
019



たとえば風邪引いて病院に行けば、担当する医者によって処置は多少異なるものの、似たり寄ったりの処方箋になります。ところがコーチングでは無限に正解があるとまでは言いませんが、正解に制限はありません。

これをもってコーチングの本質はサイエンスではなく、アートである、と言っていいと思います。ただしアート100パーセントではなく、基礎(サイエンス)と応用(アート)で成り立っているので、基礎のサイエンスの部分は十分教室で学習することが可能です。

コーチのトレーニング・プログラムはあくまでサイエンスとして万人に適用可能な普遍的な部分を教えています。したがってコーチングの基本的な技術は学ぶことはできます。しかしアートの部分は基本的に教室では学ぶことはできません。

ここのところがあいまいになっていることがコーチのトレーニング・プログラムに必要以上の位置付けを与えている原因でしょう。

つまりアートの部分をなんとかしないかぎり、サイエンスだけのコーチングでは役に立たないのです。これを意図的に明言していないのがコーチのトレーニング・プログラムといえます。ビジネスですから余計なことを言うことはないのです。

アートはある程度の人生経験を経て身につきますので、あまりにうら若い人にコーチングは無理です。しかしこういったことも明言されていません。答えはクライアントの中にあるのであれば、高校生であっても年配者をコーチングできる理屈になります。でもどう考えてもそんなことは無理でしょう。アートこそコーチングの成否を決めるものであるのです。

以上の理由でアートの欠乏により、トレーニング・プログラムの修了者でも実用に耐えるコーチングができない人が結構いるわけです。サイエンスはトレーニング・プログラムで身につくが、アートはトレーニング・プログラムでは身につきません。コーチングは教室だけでは学べない、ということでしょう。

ではアートとは具体的に何か?これは問題解決力、理解力、表現力といった能力をいいます。さらには肚といった精神力、暖かさという総合的な人間力がアートの正体です。

コーチ紹介業
018



個人でコーチングをやるよりは「胴元」となってコーチの斡旋をするというビジネスを始めた方がいます。一流と目されるコーチをネット掲載、仲介手数料を取る、というものです。そのせいもあってか、料金もバカ高いです。

それはそれで他人がとやかくいうことはないのですが、少なくとも私は全く共感できません。一体そうした行為で何ほどの付加価値を付けているというのでしょう。ルートセールスの商社なら、リスク覚悟で代金回収をやってくれますが、そういうのもない。プレスリリースを利用した錬金術です。ブランド志向の消費者は飛びつくかもしれないが、私ならそのコーチに直に連絡を取ります。消費者のアホさ加減に依存したビジネスモデルと言ったら言い過ぎでしょうか。

胴元になって上前をはねるという発想ですが、単にクライアントの払うフィーが高くなるだけです。このインターネット時代に、そんなことをせずともコーチとクライアントが個々のサイトを介してサシで話をすればよいと思います。検索エンジンだっていくつもあるんですから。

また登録しているコーチたちにしても、自分のホームページを持っている人も多く、とくに胴元が絶対必要というほどではないように思います。自分のホームページがないから掲載してほしい、というような人は私なら絶対コーチしてもらいたくありません。

要はプロフィールを掲載してくれるならどこでも出たい、掲載してもらえたら少しは機会が増えるし、ということなのだろうと思います。でもカタログに載せてもらって、あんなふうに十把一絡(じゅっぱひとからげ)に扱われるなんて私ならご免です。

ということで、当然出てくるビジネスであっても、私個人はその存在意義を認めません。コーチングの普及という点では一役買ってくれているのかもしれません。しかしコーチング特有の「いかがわしさ」の普及にも一役買っている、と私は感じています。

え、悔しかったら君もやったらどうか、ですって?
私はあくまで自分がコーチングすることによって付加価値を付ける道を選びます。

排他的男女感情と人類愛
007



恋愛時代の男女関係は例外なく排他的で、双方がお互い相手のみ見つめて生きることを要求します。しかし、これは長続きしません。極めて不安定なものです。

どんな相手であろうと、お互い拘束されないようにやらないと、やがて別れたくなります。どんな人でも嫌なところはあるもので、飽きもくるからです。

では恋愛時代を卒業したあと安定した夫婦関係を築くには?まずお互いが拘束し合わないで、やりたいことをやること。それ以外にはありえないでしょう。コーチングをやってて話をうかがっても、長続きしている夫婦は例外なくそうなってます。

あと縁ある男女関係が配偶者のみということはないです。何十人と縁ある異性はいるわけです。だから人生を楽しむためには、節度は守って配偶者以外の異性と「楽しくやる」ことでしょう。

ここで肝心なのはすでに不足のない配偶者がいるなら、最後の一線を越えないこと。最後の一線を越えると、「これまで」と「これから」の全てが失われる可能性があります。最後の一線を越えて得られるのが排他的男女関係というあだ花であってみれば、あえてそれを求めようとするのは愚かなこと、と言えます。ただそれでもやる、というのは個人の選択で他人がとやかく言うことではありません。

排他的男女関係よりも断然尊いのは「人類愛」でしょう。排他的男女関係を卒業して「人類愛」に進んだ人は失うものなどなく、全ての人間関係が豊かな実を結び、祝福されているようです。

これからするとゴシップ賑やかなハリウッドのスターなどはこのあたり残念ながらわきまえていない、ということになります(笑)

ただ我々も生身の人間ですので、異性に対する人類愛はしばしば「寸止めした」排他的男女感情に裏打ちされてはいます。この点が人生をいやがおうにも楽しくするのではないでしょうか(爆)

ひどくなる人間疎外
016



資本主義がIT時代に突入し、コストは常に最低ラインで瞬時に平準化される世の中になってしまいました。その結果経済的には一部の勝者と多くの敗者を生み、大きな格差ができつつあるのは昨今報道される通りです。

私の平均的なクライアントさんはコーチング料が払える比較的恵まれた層に属します。それでも、どの人も夜遅くまで働かなくてはならず、仕事の上でのストレスも強く、休みは自宅でぐったりしているという共通点があるように思います。とにかく進化した資本主義というのはのんびりした時代とは違い、人間疎外がものすごいのです。人間疎外とは人間がコストとして扱われる結果、個人個人が強いストレスを受けることをいいます。

経済的弱者といえば企業の正社員の下にパート700万人、フリーター200万人、失業者340万人、外国人労働者70万人、ホームレス3万人と続きます。社会的弱者は強く「疎外」されている人々と言えるでしょう。日本には、この他、ニートと呼ばれる札付きの若者が52万人から80万人、引き籠もりが100万人いると云われています。社会的弱者はとてもコーチングどころではありませんね。

しかし考え方を変えれば、自然界の生存競争よりはよほどまし、と言えます。自然界の生存競争では、生態系の頂点にいる肉食獣でさえ、明日はどうなるかわからないからです。日本国民だって20世紀半ばまでは召集令状が来たり、空襲を受けたりで、命の保証はなかったといっていいでしょう。

今は個人の命は最低限保証される世の中です。やはり進歩はしています。しかし相変わらず日本国民にはそう幸福とはいえない人々が数多いです。なぜか?物質的な生命が保証されても、精神的な生命(生きがい)は全く保証されていないからです。精神的な生命はやはり個人個人が自助努力で手に入れるしかない。

この観点から言うと、21世紀は物質的な豊かさではなく精神的な豊かさをまず求めるべきある、ということなのでしょう。精神的に豊かであればいずれ経済的にも恵まれます。精神的な豊かさがなければ経済的に豊かであろうとなかろうと悲惨です。とくに精神的に貧しければ、科学技術が進歩すればするほど強烈な人間疎外に翻弄されてしまいます。それは戦後60年の日本国民の歩みをかえりみれば明らかではないでしょうか。
050 自分探しとコーチ業
049 自分探しのカウンセリング
048 ゆっくり、はっきり、きっぱり
047 要約と単純化
046 第3の世界

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045 いろいろな価値観
044 迷いの払拭
043 今日は何をお手伝いしましょうか
042 「もうかりマンデー」その後
041 「もうかりマンデー」なるテレビ番組

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040 アンコーチャブル
039 わからなきゃ、仕方ない
038 自分自身に忠実であれ
037 カリスマ
036 確信ある語調

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035 セルフ・イメージを大きくするには
034 オーラとセルフ・イメージ
033 言葉の暴力
032 感情の爆発
031 味方になる

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030 アタマが悪いのは
029 志とは
028 ニーズと価値
027 コーチングの合い間
026 転職

*
025 自分探しは自分で
024 目上から尋ねられたときに
023 考え方を変えるということ
022 求めているのはカウンセリング
021 どうありたいか

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020 対人関係の問題を自分の問題に落とし込む
019 コーチングは教室だけでは学べない
018 コーチ紹介業
017 排他的男女感情と人類愛
016 ひどくなる人間疎外
*
015 求められるのは行動より発想
014 カウンセリングとコーチングの狭間で
013 難儀は節や。節から芽が出る。
012 コーチングの付加価値は要約にあり
011 セルフイメージと宗教

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010 森を見ない
009 ライフワーク
008 落ち込んでセルフイメージが小さくなったら
007 セルフイメージの最も大きい人は
006 セルフイメージ

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005 5年後にどうなっていたいか、ですって?そんな無茶な!
004 カウンセリングのサイト
003 人のご縁ででっかく生きろ
002 カウンセリングとコーチングの違い
001 脳天気なコーチング


*** コーチングを受けてみませんか
*** コーチングとは(私見)
*** 社会人のためのカウンセリング
*** カウンセリングとコーチング
*** ビジネス・コーチング入門
*** ライフワーク・コーチングの奨め
*** オーケストラ再生のオーディオ
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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
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751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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