セルフ・イメージを大きくするには
035



人生における成功・幸福・繁栄と言ったものはセルフ・イメージを大きく持つことに尽きるようです。ではどうすればセルフ・イメージを大きくできるのでしょうか。私は2つあると思っています。

1.与えられた条件を肯定する
たとえばリハビリの結果、わずか数歩歩けたとしましょう。もちろん健常者には遠く及ばないわけですが、それを嘆いてみても始まらない。それよりも昨日歩けなかったのに今日歩けたのはヨカッタと思うことにしませんか。たとえば歳を取ってから楽器を始めたとしましょう。当然小さい時からやっている人には敵わない。しかし、歳取ってから始めるという積極性は素晴らしいわけです。同じ条件の同世代の人たちのなかでは抜きん出ているかもしれません。

要は与えられた条件を肯定し、他人と比較しないことです。

2.過去にこだわらない
過去に失敗した自分が今の自分ではないはずです。今の自分は過去の失敗に学んだ自分であるから、断然進化しているのです。同時に過去に成功した自分も今の自分ではないでしょう。今はもっとほかのやりようもあるはずだから、断然進化しているのです。過去の追憶に生きる時は「停滞」を選択しているのですけれど、今に生きる時は「進化」を選択しているのです。当然今を生きてこそセルフ・イメージは大きくできますね。

一言でいうと肯定的に今を精一杯生きている人がセルフ・イメージを大きくできるのだと思います。え、私がこんなことを言うのは僭越だろう、ですって?どうもスミマセン。

私は自分が自信喪失から抜け出すのにこの2つから始めました。そして少しずつ成果を積み重ねることによって少しずつセルフ・イメージを膨らませて来たと思っています。要は「自分はできる」という感覚を育てていくことです。

当然カウンセリングやコーチングではこの方向にハナシを持っていきます。自信喪失してセルフ・イメージが小さくなっているクライアントさんは、他人と比較する結果、自分の置かれている境遇に否定的ですし、過去にこだわっているものです。

オーラとセルフ・イメージ
034



オーラという語があります。要はその人が身にまとっている雰囲気(エアー)のことです。

自信喪失すると、オーラは弱々しく、どうかするといよいよ袋叩きに遭ってしまいます。「泣き面にハチ」ということわざはこれを言い表したものでしょう。私も自信喪失していた一時期がありますが、この時は不思議と人から槍玉に上げられ、批判されました。相手も私と一緒になると愛想が悪いし、どうかすると軽視したような扱い方をしたものです。

自信回復すると、これまた不思議なことに批判されることもなくなり、助け舟を出してくれたり、味方になってくれたりします。愛想が悪かった人が私を見るとにこやかになり、好意的に扱ってくれるようになりました。

結局、自分で自分をどう見るかで他人の評価すら変わります。「自分で自分をどう見るか」をセルフ・イメージと言いますが、その人のセルフ・イメージの大きさとその人から出るオーラは比例すると思います。

結局人生はセルフ・イメージにかかっています。カウンセリングやコーチングの目的は煎じ詰めればセルフ・イメージを大きくすることです。さもなければセルフ・イメージを小さくしている原因を取り除いて、その人本来のセルフ・イメージを回復することではないか、と最近感じています。

言葉の暴力
033



以前読んだ本にこんなくだりがありました。

「誰でも他人に自分の体を叩かれたり、殴られたりすれば、怒って抵抗するものだ。しかし他人から自分の心を叩かれたり、殴られたりした時になすがままになっていることがあるのはじつにオカシイではないか」

これで連想したのはこの一節です。

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多くの人の劣等観念をたどってみると、それは誰かに感情的に次のような言葉をぶっつけられたのが原因になっていることがわかるのである。 「お前は全く役に立たねえ野郎だ。お前はこれまで良かったためしはないし、これからだって決してよくなるためしはなかろうよ」 とか、「君のような人間はこの世でどんな仕事をやっても絶対成功しないよ。機転がきかないし、なまけものだし、何をやらしても駄目なんだ」 こんな批判は真実であり得ないと常識は考える。しかし、人がそのような言葉の砲火をまともに浴びる場合、特にその人が、批難の言葉を発する人にかねてから尊敬の念を抱いていたならば、彼の心はその人には非常に敏感であるので、まるで催眠中に受ける術者の命令であるかのようにその批難の言葉を心に受け入れてしまうのである。そして、たとえ彼がもっと正しい判断力があるにしても、疲れているときや、たまたま自分の事業が不景気に面しているときなど、以前に人から言われた批判の言葉を思い出して 「やっぱり、そうだ。俺は駄目だ」 と信じてしまう傾向があるのである。

人生の道においてあなたを間違った方向に導いたからといって、その人を恨むのは見当違いである。彼はあなたに親切のつもりでそうしてのかもしれぬし、あるいは自分で人に与えた感情的爆発が後にいかほど大きな影響力をもつものか気がつかなかったのである。

『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス 1964年 伊藤正・谷口雅春共訳

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こうした言葉の暴力は結構存在するものです。特に上司とか親とか目上の人が「オマエのためを思って」などと言いながらこういう暴言を吐くことがありますが、とんでもないと思います。私はこうした暴言をもし受けたとしたら、口先だけはハイ、ハイと言いながら、心の中では相手に「狂人」のレッテルを貼って一切取り合いません。頑ななようですが、言葉の暴力に対しては断固心を閉ざすのが正解だと思っています。これぐらいでないと身を護れません。

ただもし自分に非があるとすればその一点のみを反省すればよいのです。

感情の爆発
032



とある相談者の方が家族との口論が絶えない、口論が始まると気持ちにコントロールが利かなくなるというので下記の文章をご紹介したことがあります。

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諸君よ、生長せんと欲せば、感情にとらわれるな。激情に支配されるな。奴隷となるな。とらわれる者はみな奴隷なのだ。感情をわがものとせよ。激情を支配せよ。そしてあなた自身がわが心の帝王となれ。

感情にとらわれる者はいまだ真に教養あるたましいの持ち主ということはできないのである。いかなる博学の者も多識の者も一たび激情にとらわれる習慣を克服しないときはゼロに等しい。気高い向上心をいだきながらも、稀なる才能を有しながらも、一朝の激怒が生活の一切の希望と前途を粉砕せしめた実例は実に多いのである。毎日の新聞記事の三面記事を見よ。一旦の激情がどんなに自分の生命を傷つけたか。どんなに他人の生命を傷つけたか。どんなに自分の現在と将来との生活を傷つけたか。生長せんとする者に怒りは禁物である。怒るなかれ。猛(たけ)るなかれ。吼えるなかれ。態度の優美を失うなかれ。

言葉は『創造者』(つくりて)であるとともにこれを逆用すれば恐るべき『破壊者』になるのだ。腹が立った時に、その腹立ちを言葉にあらわしてはならない。手紙に書いてはならない。行為にあらわしてはならない。言葉にあらわしては最後の宣告に等しい。行為にあらわしては刑の執行に等しい。そのためにどんなに多くの人たちが家庭から愛をひからびさせ、社会から地位を失い、会わなくてもよい悲惨な運命をみずから招いたことであろう。怒るな。人がいかなる罪を犯そうとも、わが怒ることはそれにもまさる悪徳であると思え。怒ろうと思った瞬間に、自分自身が相手の悪徳よりもなお大なる悪徳に堕ちようとする危険な瞬間であると思え。そして『危なかった、今自分は断崖からまっ逆さまに落ちようとしていたのだ。もう二度とこのような危険は冒すまい』と心に誓え。かくのごときことを繰り返せばついにあなたは怒りを征服する力を練磨することができるのである。

『光明の生活法』 谷口雅春 1961年 日本教文社

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世間一般でここのあたりわかってない人がずいぶんいます。アタマの良いと目される人でもそうなのです。いかに怒ろうと失望しようと、大声を出さなければいけないことはこの世にないです。とはいえ、私は結婚生活でただの一度この禁を破ったことがあります。その時はまことに心身を痛めました。こんなことが日常茶飯事ではとても長生きできんな、と思ったものです。

感情を爆発させるところにすべてはないと思います。双方が感情を爆発させると現世であろうと地獄が出現するものです。ただ片方が感情を爆発させても、もう一方が取り合わなければ、なんとか収拾できます。もちろん取り合わないほうがエライことは言うまでもありません。

味方になる
031



私の部下のA君は新卒入社でしたが、入社以来欠勤が多かったのです。欠勤の時は朝、彼のお母さんから電話が入り、「今日は体調が悪い」と伝えて来ます。が、これを真に受ける者はもちろんいません。戦力としてあてにできないので、周囲も辞めてほしい、本人も辞めるしかない、といった状況になっていました。

私はA君を呼んで言いました。
「A君。会社を休むには休み方というのがあるんやで。まず朝は這ってでも出て来るんや。で昼休み前に、今日は体調が悪いから帰らせてください、と言うんや。周囲の人はきっと『体調悪くても出てくる頼りになる奴』と君のことを理解するやろ。ちょっとしたことやけどその方がずいぶんトク、というもんやで。」

「君なぁ。職場は部活と一緒やぞ。たとえば野球部やったら、あの人が1番、あの人は2番、・・・そんでアイツがドンケツいうて序列をつけるやろ。職場も同じや。今の職場がイヤやったら辞めたらエエ。でも次の職場でもドンケツからはじめなイカンから、どこへ行ってもいっしょや。辞めるやったら、せめてドンケツから2番くらいになって辞めんと、どこへ行ってもドンケツのままやで。」

それ以来A君の欠勤はピタリと止まりました。以来数年全く問題なく、今も元気で出勤してます。私の一言が一番効いたケースです^^

もし私がガミガミ言ってれば、間違いなく彼は辞めていたでしょう。対峙するのではなく相手の味方になって話をしたのがよかったです。コーチングではありませんでしたが、ベストの結果を引出せた成功例ですね。
050 自分探しとコーチ業
049 自分探しのカウンセリング
048 ゆっくり、はっきり、きっぱり
047 要約と単純化
046 第3の世界

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045 いろいろな価値観
044 迷いの払拭
043 今日は何をお手伝いしましょうか
042 「もうかりマンデー」その後
041 「もうかりマンデー」なるテレビ番組

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040 アンコーチャブル
039 わからなきゃ、仕方ない
038 自分自身に忠実であれ
037 カリスマ
036 確信ある語調

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035 セルフ・イメージを大きくするには
034 オーラとセルフ・イメージ
033 言葉の暴力
032 感情の爆発
031 味方になる
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030 アタマが悪いのは
029 志とは
028 ニーズと価値
027 コーチングの合い間
026 転職

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025 自分探しは自分で
024 目上から尋ねられたときに
023 考え方を変えるということ
022 求めているのはカウンセリング
021 どうありたいか

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020 対人関係の問題を自分の問題に落とし込む
019 コーチングは教室だけでは学べない
018 コーチ紹介業
017 排他的男女感情と人類愛
016 ひどくなる人間疎外

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015 求められるのは行動より発想
014 カウンセリングとコーチングの狭間で
013 難儀は節や。節から芽が出る。
012 コーチングの付加価値は要約にあり
011 セルフイメージと宗教

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010 森を見ない
009 ライフワーク
008 落ち込んでセルフイメージが小さくなったら
007 セルフイメージの最も大きい人は
006 セルフイメージ

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005 5年後にどうなっていたいか、ですって?そんな無茶な!
004 カウンセリングのサイト
003 人のご縁ででっかく生きろ
002 カウンセリングとコーチングの違い
001 脳天気なコーチング


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