求められるのは行動より発想
015



コーチングは行動を促すもの、とコーチングのクラスでは教えられます。そのせいもあって、経験の浅い人は、クライアントに行動を確約させようと躍起となります。私に言わせると、そんなもの要らんお世話です。

素人がコーチングの正攻法で畳みかけてくるほど、クライアントは以下のように感じるでしょう。

・何もあなたに問題の原因を所在をさぐって欲しいわけではない。
 (それぐらい充分認識してる)

・何もあなたに行動を促して欲しいわけではない。
 (それぐらい自分で考える)

・何もあなたのちんけなアドバイスを聴きたいわけではない。
 (そんなこと言ってもらわなくてもわかっている)

・わかったような承認など聞きたくはない。
 (口先だけのリップサービスでしょ)

クライアントが何よりも欲しているのは「上滑りな行動」ではなくて、まずは「違った発想」です。たとえば、「そういうことは考えてもみなかった」とか「そういう考え方もあるな」という気づきが「違った発想」であるわけです。

「違った発想」をクライアントとコーチで共に探す、というコーチングならいかなる場合も歓迎される、と思います。「違った発想」が確信に変われば、クライアントは自発的に行動するもので、進捗管理をガチガチにやる必要はありません。軽くコミットメントを求める程度で十分です。

コーチングは「行動を促すもの」と言うよりは「違った発想を促すもの」というのが私の考え方です。

カウンセリングとコーチングの狭間で
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日本でコーチングを商業的に定着させたコーチ21の功績は高く評価するものです。パイオニアとしていろいろな苦労があったことでしょう。

商業的に成功させるにはなにより他の助言手法と「差別化」をはかる必要があったと思います。当然クラスの内容もそのように編集されています。で、受講すると多くの方々が

・コーチングは他の助言手法より優れている。

・コーチングのみで助言が成立する。

と刷り込まれてしまいます。

ところで、私のサイトにコーチングの体験を申し込んで来る方は下記3パターンあります。

●「私は・・・したいのだが、どうしたらよいでしょうか」

これは立派にコーチングの対象になります。

●「私は(自分の人生で)何をしたらいいかわからないのですが、どうしたらよいでしょうか」
これはコーチングではなくカウンセリングだと思います。キャリア・カウンセリングという言葉もありますね。

●「私は何もやる気が起きないのですが、どうしたらよいでしょうか」
これは医療系カウンセリングの領域で私の手には負えません。

結論としてやりたいことがはっきりしていたらコーチング、そうでなかったらカウンセリングです。問合せの比率は半々といったところです。

この事実からしても、カウンセリングの心得がなければ世間一般の依頼者に対応できないことがおわかりでしょう。コーチングだけでは助言者として相手を選ぶ結果になります。つまり助言者としてはあまり役に立たない、ということですね。

難儀は節や。節から芽が出る。
013



私はこれまでに人生の転機を3回経験して来ています。参考までにこの場をお借りして簡単に紹介させていただきます。

【1回目】
高校3年の時受験のストレスから、ドライアイで眼精疲労がとれない自律神経失調症にかかってしまいました。勉強などできない状態となったものの、病院はどこへ行っても相手にしてもらえませんでした。そうした時に縁あって、沖ヨガの三島道場に行く機会を得ました。ここで沖正弘先生との出会いがあり、「ほんとうの宗教とは」「自然の法則とは」に関して薫陶を受けました。以来私の人生の根底の教えとなっています。

高校をなんとか卒業した私は、勉学を一旦断念し、山水電気(当時)のアルバイトに応募し、派遣店員(ヘルパー)として大阪日本橋の電気店の店頭に立ち、ステレオ・セットの販売を担当することになりました。毎日が道場のような日々でしたが、内気な高校生からナニワの商売人への脱皮を果たしました。ただしこの間ずっと目の失調は良くならず、絶えず悩まされている状態でした。

「いつまでもこんなことをしていては」という両親の意見もあり、半年でヘルパーをやめ、それから自宅浪人の日々に突入します。目の失調のため予備校などは問題外でした。1年半という期間でしたが、全く社会生活と切り離されてしまい、引きこもったまま浮かび上がれないのではないかという絶望感にさいなまれる日々でした。

ある日、目が悪いならカセットテープを使えば耳から英語が勉強できるではないか、と思い至り、リンガフォンなる教材で英語の勉強に取りかかりました。やがてカセットテープを聴くことが自宅浪人時代の唯一の心の支えになり、朝から晩まで聴くようになりました。ついには大学受験前でありながら、イングリッシュ・ジャーナルにも取り組むようになり、急速に英語力が伸びました。

そうこうするうち、目の失調も徐々に良くなり始め、命からがらですが、大学もやっとのことで合格、ESSに入部しました。目の失調は大学2年になって完全に克服、その年は部長選挙に出て落選したものの役員となり、ひたすら英語道に邁進しました。大学4年の時には交換留学に応募して、テキサス州ダラスのサザン・メソジスト大学に1年留学しました。

留学先で香港人の彼女をつくったのをきっかけに中国語の勉強を開始しました。この「彼女」には早期に振られてしまうのですが、そうした葛藤のなかで中国語には、英語と同様、執念で取り組み、大学5回生の時にはかなり自由に話せるようになり、卒業直前には上海外国語学院に1ヶ月の短期留学を果たしました。

上海滞在中に蘇州に旅行したおり、偶然列車で隣合わせた日本人会社員と話すうち、相手が自分の就職内定先のソフトウェア部門の管理職の方だとわかりました。お互い大いに驚いたわけですが、そのご縁で就職後はソフトウェア部門からお声がかかり、文系でありながらシステム・エンジニアの道を歩むこととなります。

病気したお陰で、英語→中国語→SEと専門が広がっていった。

【2回目】
システム開発の仕事をしていた26の時、30までに結婚する、という志を立てました。結婚紹介業者とも大枚はたいて契約しました。しかし当時の私は性格的にいびつで円満さに欠けていたと思います。いくらやっても女性の方が逃げていき、その理由すらわからないので、首をひねりつつ苦悩する毎日でした。ついには苦しさに耐え切れず、教会に通うようになり、洗礼を受けるにいたりました。その教会で知り合った女性と半年つきあったものの、これまたうまく行かず失恋し、ひどく絶望したものです。

こうしたなか、キリスト教には救済力を感じず、五井昌久先生の著作、谷口雅春先生の著作、そして谷口先生の翻訳を通してラルフ・ウォルドー・トラインの著作に親しみ、真理や精神科学を学んで実践を始めます。自分の「結婚したい」という願望は必ず成就するはず、と思うのですが、その後も何度も何度もこれでもか、というほどうまくいかず、慄然としたものです。

もうこれは日本人相手では無理だ、と思い、出会いを求めて大阪の在日華僑のためのキリスト教会(中華教会)に通うようになりました。当時教会には台湾からの留学生が多く出入りしていて、きれいな女子学生も多かったのです。学生時代に戻ったかと思うような休日を過ごすうち、ついに台湾人留学生であった家内と出会います。そして困難を乗り越えて結婚にこぎつけました。まる5年かかりましたが、自分の悲願に祝福された結果を出すことになります。

結婚するまではほんとうに大変でしたが、それからは平坦な道です。苦労してきたので結婚の価値がよくわかっており、子供にも恵まれ、無事円満な家庭を築くことができました。

何度も失恋したお陰で真理や精神科学に開眼し、願望の実現の過程で学びを深めていった。

【3回目】
現在進行中のことでもあり詳しくは書けませんが、仕事で行き詰まった私は、コーチングに出会い、それをライフワークとするようになります。これまで経て来た紆余曲折の経験がコーチングにフルに役立っています。自分のサイトが検索エンジン1位をキープしているため、多くの問合せをいただき、毎日いろいろな出会いがあり、大変充実した日々を送らせていただいております。

以上から言えるのは、いずれも苦難や苦悩が転機となっているということです。天理教祖は「難儀は節や。節から芽が出る。」と言ったそうですが、至言だと思います。

コーチングの付加価値は要約にあり
012



コーチングは引き出す助言手法だから一般的には質問の技術と理解されているようです。ところが実際には要約(サマリー)が負けず劣らず重要です。吸う息と吐く息の関係といえるでしょうか。

質問ばかりのコーチングは吸う息ばかりで呼吸するようなものです。

コーチングでは新しい発想を出すのが何よりも大切です。したがって、クライアントは質問に対して整理せず思いつくままに喋るのがよいのです。

そして思いつくままに喋ったのを整理するのが、コーチの役目ですが、複雑な内容を短く明快に要約してはじめて、内容が整理されてゆくわけです。

要約もメタファー(暗喩)をつかうとよりすっきりします。

クライアント:「A君は細かいことにこだわって、それが解決しないと先へ進めな
        いのですよ。そのくせ肝心なことにはいいかげんなのです」

コーチ:   「なるほど、木を見て森を見ないタイプなんですね」

この「木を見て森を見ない」をモジるとこんなメタファーも使えます。

クライアント:「A君はテーマを与えすぎると頭の中が一杯になってしまい、
        浮き足立って、仕事が手につかなくなる様子です」

コーチ:   「森を見て、木が見えなくなるのですね」
        「一旦木を決めたら、森を見ない工夫が必要なんでしょうね」

といった感じです。すっきりしませんか?コーチングの付加価値は要約にあり、
なのです。

セルフイメージと宗教
011



宗教にもいろいろありますが、信徒が自身に対して持つセルフイメージとしては

・宇宙大生命とつながっているという極大のセルフイメージ

・生かされているという極小のセルフイメージ

があり、両者がバランスしているのが、正しい教えでしょう。
イエス・キリストですら両者を併せ持っていたように思います。

ただ教団として教勢を広げていく場合、「極大」では都合が悪いのです。言うことをきかなくなりますからね。ですから「極小」を前面に出すことになる。

新約聖書後半のパウロ書簡からは「人間罪人」が説かれ、後世ではさらにこれを歪曲しておかしなことになってしまっています。今日キリスト教会に行くと「人間罪人」と教えられますが、これはイエスの言動を記した福音書では見られないものです。

いずれにせよ「極大」「極小」いずれか片方だけではいびつな教えになってしまいます。しかし歴史的には例外なく「極小」が強調されてきたのです。だから既存のキリスト教に慣れ親しんだ人は思いっきり「極大」に触れたほうがバランスがとれると思っているのですが、いかがなものでしょう。

悟れば悟るほど過去の預言者を研究することはなくなり、宇宙大生命とつながっている自分の内在智に従うようになるそうですが、当然と思います。
050 自分探しとコーチ業
049 自分探しのカウンセリング
048 ゆっくり、はっきり、きっぱり
047 要約と単純化
046 第3の世界

*
045 いろいろな価値観
044 迷いの払拭
043 今日は何をお手伝いしましょうか
042 「もうかりマンデー」その後
041 「もうかりマンデー」なるテレビ番組

*
040 アンコーチャブル
039 わからなきゃ、仕方ない
038 自分自身に忠実であれ
037 カリスマ
036 確信ある語調

*
035 セルフ・イメージを大きくするには
034 オーラとセルフ・イメージ
033 言葉の暴力
032 感情の爆発
031 味方になる

*
030 アタマが悪いのは
029 志とは
028 ニーズと価値
027 コーチングの合い間
026 転職

*
025 自分探しは自分で
024 目上から尋ねられたときに
023 考え方を変えるということ
022 求めているのはカウンセリング
021 どうありたいか

*
020 対人関係の問題を自分の問題に落とし込む
019 コーチングは教室だけでは学べない
018 コーチ紹介業
017 排他的男女感情と人類愛
016 ひどくなる人間疎外

*
015 求められるのは行動より発想
014 カウンセリングとコーチングの狭間で
013 難儀は節や。節から芽が出る。
012 コーチングの付加価値は要約にあり
011 セルフイメージと宗教
*
010 森を見ない
009 ライフワーク
008 落ち込んでセルフイメージが小さくなったら
007 セルフイメージの最も大きい人は
006 セルフイメージ

*
005 5年後にどうなっていたいか、ですって?そんな無茶な!
004 カウンセリングのサイト
003 人のご縁ででっかく生きろ
002 カウンセリングとコーチングの違い
001 脳天気なコーチング


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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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