消費者としての観点しか持たない人
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かねてから思うのですが、世の中には2通りの人がいます。「消費者としての観点しか持たない人」と「経営者の観点もあわせ持つ人」です。もちろん後者のほうがレベルが高いのは言うまでもありません。

たとえば「消費者としての観点しか持たない人」はバーゲンでは安い・高い・損した・得したが全てです。しかし「経営者としての観点を併せ持つ人」はなぜこの商品をバーゲンにするのか、どのようにこの商品を仕入れたか、そしてバーゲンにすることでどんな効果があるのか、売り手の事情にも思いをいたすことでしょう。

たとえば「消費者としての観点しか持たない人」はレストランに入っても安い・高い・おいしい・まずいが全てです。しかし「経営者としての観点を併せ持つ人」は店作りの工夫とか、スタッフの教育とか、回転率とか、経営者の観点で店を観察します。

町の商店、喫茶店、レストラン、・・・これら全てには必ず「経営者」がいるんです。経営者としての視点なくして世の中の仕組みなんぞわかるわけがない。「消費者としての観点しか持たない人」は単に使われているだけで、リーダーシップとは無縁の人です。失礼ながら精神的にやや未熟だといったら言い過ぎでしょうか。

さて、日頃「体験コーチング」をやりながらクライアントさんの獲得をしているのですが・・・

「体験コーチング」に関しては特に条件をつけているわけではありません。あまりにも自助努力が感じられない依頼とか、最低限の礼儀すらわきまえない依頼は受けませんが、基本的にどなたの依頼でも受けます。

「体験コーチング」したからといって、私のクライアントになるべきだ、などとは思いません。「単にコーチングを体験したいだけ」でも、「体験コーチング」を申し込んでいただいて結構です。だから、40分あまりコーチングしてさしあげて、「ありがとう、さようなら」とだけ言われても、私は文句を言う資格はないのです。

とはいえ、ひたすら自分の問題だけをひとしきり話したあと、「ありがとう、さようなら」で終わることに全く何の抵抗もない人はいます。全体の1/3くらいでしょうか。こんな人は私がどんなふうにコーチングをやっていて、クライアントさんは何名いて、というビジネスとしての側面に全く興味がない様子です。だから自分の話しかしません。結局これらの人は「消費者としての観点しか持たない人」であるわけですね。

「消費者としての観点しか持たない人」は5分話せば確実にわかります。思考に幅の広さが感じられないのです。

「消費者としての観点しか持たない人」がクライアントになることはまずありません。コーチングという仕事があって、これと契約するという発想になじまないのです。とにかく無料で相談できるので、連絡を取って来たというわけです。消費者としての観点しかありませんから、なぜ無料で相談を受けることができるか、という点については興味がないのです。

しかし人口の何分の一かはこういった人ですので、それなりに上手く付き合っていく必要はあります。私の場合は社会奉仕と割り切ることにしています。

こんなことを書くのは不謹慎でしょう。しかしインターネットで「無料」をいう限り必ずついて回る問題だと思います。

ニーバーの祈り
079



THE SERENITY PRAYER

God, grant me the SERENITY to accept the things I cannot change;
COURAGE to change the things I can;
and WISDOM to know the difference

Reinhold Niebuhr

ニーバーの祈り

神よ、
変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。

ラインホールド・ニーバー(大木英夫 訳)

1930年代にアメリカの神学者であるReinhold Niebuhr がマサチューセッツの小さな教会で講演したときの言葉。

・・・これはコーチングのコンセプトそのものですね。

ただし、変えることはできないと思っていたことでも時間の経過とともに変わっていくということは大いにあります。「変えることのできないもの」は「今すぐに」というただし書きがつくでしょう。

私は生まれてこのかた視力がよくありません。今では眼鏡をかけて0.5〜0.6くらいです。もっと度の強い眼鏡をかければ多少よくなりますが、疲れやすくなるので、30年近く緩めの眼鏡です。外見上もビン底の眼鏡はやっぱり醜くてイヤです。ですから強い眼鏡は運転する時にだけかけます。

昔はこれが強烈なコンプレックスだったのです。たとえば中高の学生時代は教室の板書が見えなかったですから。

そうしたストレスや無理が昂じてついには目に自律失調をきたしてしまい、4年もの間療養生活をおくることになったのです。よく病院などで「ずいぶん視力が悪いんですね」と何度も言われました。

そうして辛い療養生活で悟ったのは、

「見えなければ見えない、と言おう」

「見えなければ、人に見てもらおう」

という現実を受け入れる冷静さでした。この冷静さを身に付けた私はそれ以降、気後れすることなく健常者同様にやって来ました。貧弱な視力でもやってきたことが却って自信に繋がっています。

・・・と私は視力は回復できないものと思ってきたのですが、最近はレーザーで角膜を削ることによって簡単に近視が治療できる時代になってきました。

この手術を受けても私の視力は完全には回復せず、度は緩くてもやはり眼鏡が必要なんだそうです。だから私はいまのところ手術する予定はありません。

しかし私はこの件でまず「現実を受け入れる冷静さ」を身につけました。次に私にとっては「変えることはできないと思っていたことでも時間の経過とともに変えうる」ということを思い知った一番身近な実例となりました。たいへん感慨深いものがあります。

そして今思うのは「目で見る」ことよりもむしろ「心で見る」ことが大切だ、ということです。あなたは美しい夕日を見て感動できますか?心で見なければ、目だけ見えても感動できないのです。

予想外の展開
078



コーチングを受けてみて、予想外の展開になるか、ならないか、これはコーチ選定のひとつの基準でしょう。個人的に言わせてもらえば、予想外の展開に全くならなければ、コーチに魅力がない、ということになります。

どうしたら予想外の展開になるのでしょうか。これはコーチが視点の移動(パラダイム・シフト)や提案をしたからだと思います。一言でいうとソリューションの「糸口」を導けた、ということです。

初心者はコーチは質問するだけの存在と思っている方が多いのですが、実際はそうではなく、十分クライアントの話を聞いたら、ソリューションの「方向」を提示すべきです。それをクライアントが受け入れれば、それも「引き出し」であるからです。

どうも世間でコーチングに従事している人は、ソリューションがないがゆえに、「答えはクライアントにあり」の金科玉条に逃げ込んでしまう弱々しい人が多いように思います。こんな人のコーチングに「予想外の展開」は期待できないでしょう。

「予想外の展開」を導けるコーチはいいコーチである、そしてそれはコーチ自身にソリューションがあるからだ、とあえて言っておきます。

これを押し付けだ、なんだかんだ、という人がいたら、少なくとも私とはお友だちになれません^^。

コーチングにならないケース
077



日ごろ「体験コーチング」をさせていただいてますが、依頼を黙殺するしかないのが、

「何もやる気が起こらないがどうすればいいか」

という依頼です。申し訳ないがこんな依頼には返事を出しません。わざわざお断りするのも角が立つので、経験上返事を差し上げないのがベスト、というところで落ち着いています。

「何かをしたいが何をしたらよいかわからない」

というのもあります。これは結構多いです。この人は「何をしたらよいのかわからない」のですから、問うても答えが出てきません。この場合はこんな補助線を引いてあげます。

@それはあなたが時間を忘れて熱中できることですよ。
A全く新しいことではなく今までやってきたことの延長上にありますよ。
B人と関わったり、人のためになることですよ。

残念ながらこれはカウンセリングです。

「自分を変えたいが、どうしたらいいか教えて欲しい」

というのもあります。これは「何をしたらよいかわからない」よりはいくぶんましですが、お相手してもごく短時間で終わることが多いです。

@「あなたはどう変わりたいですか」
      ↓
A「何が問題で変われないのですか」
      ↓
B「その問題を解消するためには何ができますか」

コーチングはBからの世界です。@Aは自分でやるしかないです。この手の人はたいてい@Aで詰まってしまいます。問題を自分で整理して出直してください、というしかありません。

最後に一番やる気の出ないのは、

「他人を変えたいが、どうしたらいいか教えて欲しい」

という依頼です。これは「他人と過去は変えれれないが、自分と未来は変えられる」を説明するしかありません。結局、他人が変わることを期待しないで、事態をうまく回すにはどうするか、話をするのですが、いつもぱっとしないコーチングしかできません。これは依頼の時点で出発点が間違っているからでしょう。

やはりコーチングは適切な対象を○○したい、というのでないと無理だと日ごろ感じています。

自己肯定と自己否定
076



「自分の今の状態は10点満点で何点ですか?」

こんな問いがあったとします。

9点?

6点?

3点?

答えは自分の自己肯定の度合いではないですか。つまり6点と答えた人は自己肯定:自己否定の比率が6:4ということです。このあたりが一般的な数値ではないでしょうか。

9点と答えた人、この人は毎日の人生が楽しいはずです。

3点と答えた人、この人は毎日結構辛いはずです。

9点と答えた人でも、今の自分の境遇が結構厳しいかもしれません。しかし自分を肯定できるから9点なのです。きっとご自身の境遇も好転していくことでしょう。

3点と答えた人でも、今の自分の境遇は人も羨むようなものかもしれません。しかし自分を肯定できないから3点なのです。このままではいけませんね。

幸福感とは結局、自己肯定の度合いなのではありませんか。

自分が落ち込んでいるとします。これは自分を漠然と自己否定しているということではないでしょうか。落ち込みから抜け出すコツは、自己を肯定できるところと自己を否定したいところをはっきりさせることだと思います。

3点でも、3点はあるのです。ゼロではありません。それどころかこの3点こそ自分が自分である証であり、拠り所です。素晴らしいと思いませんか。必ず今の3点を足がかりにして、これを4にし、5にする手立てはあるでしょう?そう考えたら元気が出てきますね。

終わりに・・・

10点と答えた人がいたとします。素晴らしいと思いますが、自己満足は戒めなくてはなりません。9点くらい、つまり1割の自己否定があるくらいが成長も早く、伸びるように感じていますがどうでしょうか?
100 価値観の調整
099 コーポレート・コーチング
098 私がコーチングを始めた頃
097 インターネット
096 5連続セッション

*
095 ライフワーク
094 「ワカル」ことではなく「カワル」こと
093 コーチング・スキルとコーチング
092 不安は忘れるに限る
091 第3の場

*
090 落下傘降下にはコーチング
089 ビジネス・コーチングは忍耐
088 落下傘降下
087 スカイプ
086 きっと、よくなる

*
085 掘り起こしのコーチング
084 オートクライン
083 答えは上司のなかにあり
082 オートクラインだけじゃ弱い
081 アドレス間違い

*
080 消費者としての観点しか持たない人
079 ニーバーの祈り
078 予想外の展開
077 コーチングにならないケース
076 自己肯定と自己否定
*
075 ビジネス・カウンセリング
074 切り返し
073 承認
072 「考え方を変える」「行動を起こす」
071 未完了感

*
070 思い込みを解体する
069 民度
068 環境を一変する
067 パラダイム
066 補助線

*
065 朝のコーチング
064 変わりたい、でも変われない
063 知らしむべし、拠らしむなかれ
062 岡目八目
061 迷いの払拭

*
060 自己受容
059 自分探しのパターン
058 ビジネス・コーチングの要諦とは
057 和顔愛語
056 大善・小善

*
055 間のもたせ方
054 クライアントと友人
053 ビジョンを持って後ろ向きに
052 寛大にして過酷な請求をなし給わず
051 自分探し(続き)


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001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
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501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
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