ライフワーク
095



何のためのパーソナル・コーチングなのでしょうか?これはひとえにクライアントさんが「より良く生きる」ためです。そのためにはクライアントさんのライフワークが最大のポイントです。

パーソナル・コーチングでまず最初に押さえるのは、

「あなたはどうしたいのですか」

これです。すべてこれが出発点になります。

ほんとうに「やりたいこと」は「好きなこと」であるはずです。これは間違いありませんね。

しかし、しばしば「やりたいこと」は「やらねばならないこと」であるとか「やらねばならないと思い込んでいること」でもあるわけです。

ここの理解が大切で、

@「好きだからやりたい」のか、

A「やらねばならないからやりたい」のか、

B「やらねばならないと思い込んでいるからやりたい」のか、

はっきり分別しなければなりません。

@はライフワークになりえます。

Aは単なるニーズで、やむを得ず、という受動的欲求です。ライフワークにはなりえません。

Bは幻想・錯覚の類です。思い込みを指摘してあげて、自分の真の欲求が何か、改めて気付いてもらわなければなりません。

では@なのかAなのかBなのか、これは「あなたは何が問題なのですか」という次のアジェンダに進むとだんだん見えてきます。

パーソナル・コーチングはニーズを解消し、思い込みを取り除き、ライフワークを追求するのをお手伝いすること、ですが、クライアントさんによってはニーズだけでコーチングせざるを得ないケースもあります。

クライアントさんのライフワークという視点があってはじめて、十全にニーズのコーチングでお付き合いできると思っています。クライアントさんのライフワークの観点がないコーチングは、ニーズの理解に「何のため」という位置付けが欠けており、それではクライアントさんを真に理解しているとは言えないでしょう。ライフワークという視点がなければビジネス・コーチングをパーソナルに流用したに過ぎません。

パーソナル・コーチングは、いかなる場合もクライアントさんの人生をライフワークからとらえるという、ライフワークの視点が必要と信ずるものです。

「ワカル」ことではなく「カワル」こと
094



コンサルティング(俗に言う相談)とパーソナル・コーチングはどう違うのでしょうか。いろいろな切り口があるとは思いますが、


・コンサルティングはワカル(解る)こと

・コーチングはカワル(変わる)こと



と言えます。コンサルティングは実施のフォローはあるにせよ、基本的にはどうしたらいいかという処方箋をもらうことが第1の目的でしょう。すなわち処方箋>フォローであるわけです。

パーソナル・コーチングは1クール3ヶ月くらいで契約するのが、業界の慣習です。私もこの慣習に従っています。しかし、コンサルティングの感覚からすればいかにも冗長な気がします。

以前は1クール2ヶ月くらいで良いのでは、と考えたこともありました。ただ最近は少し考え方が違います。

1クール2ヶ月くらいでワカル(解る)ことができてもカワル(変わる)ことはちょっと難しいのではないかな、と思います。ワカル(解る)がカワル(変わる)になるためにはやはり定着する時間というものが必要なわけです。ですからコーチングはフォローにより高い位置付けを与えます。

ただし個人差はあって短期で変わることのできる人、なかなか変われない人がいます。私個人は比較的短期で変わることのできるタイプですが、自分の感覚だけで他人を推し量ってはイカンですね。

やや冗長と思われるくらいにセッションを重ねて、執拗に繰り返してこそはじめてカワル(変わる)のではないでしょうか。一見ムダなように感じますが、このムダがワカル(解る)をカワル(変わる)に変えているのだと最近考えています。

1クール3ヶ月過ぎた時点で「始めたころと(自分は)ずいぶん変わったな」とクライアントさんが感じればコーチングは成功です。

コーチング・スキルとコーチング
093



コーチング・スキルとコーチング、私はこの2つを分けて使っています。どう違うのかというと、


・コーチング・スキル: コーチ側が答えを持っている

・コーチング: コーチ側が答えを持っていない



大まかな方向は決まっているが、細部が決まっていない場合もコーチングに入ります。狙いは異なっていて、


・コーチング・スキル: 相手の意欲を引き出すのが第一の目的

・コーチング: 相手の発想を引き出すのが第一の目的



もちろん意欲と発想は相関関係にあり、意欲を引き出せば発想が、発想を引き出せば意欲が引き出されるわけですが、上記のように単純化できます。

世間でビジネス・コーチングと言っているのは、たいてい「コーチング・スキル」のほうです。コーチング・スキルであってもコーチングであっても、外から見ている限りは同じに見えます。では具体的にどう違うかというと、


・コーチング・スキル: あたかも相手が自分で発想し、自分で選択したかのように錯覚させる

・コーチング: 相手が自分で発想し、自分で選択する手助けをする



上司と部下でともに解決策を練り上げるという場合はコーチングに入ります。

以上をまとめると、


・相手のレベルが低ければコーチング・スキル

・相手のレベルが高ければコーチング



つまり相手のレベルに応じてコーチング・スキルとコーチングを使い分ける必要がある、ということです。相手の成長に伴なって、コーチング・スキルから本物のコーチングに進化していくのがあるべき姿です。レベルの高い低いは相対的なものであり、良い悪いと短絡しないでくださいね。

世の中ではコーチングと称していますが、実際はコーチング・スキルどまりのケースが多くあります。たとえば「子育てコーチング」「教育コーチング」などといったものはコーチングの要素がまったくゼロでないにせよ、実際はコーチング・スキルでしかないわけです。

日本ではコーチングはまずマネジメント手法としてマスコミで紹介されました。その結果、コーチング=コーチング・スキルといった皮相な見方が蔓延しているように思います。コーチング・スキルというのはコーチングを意欲の引き出しに限定して応用したもので、コーチングの一部ではありますが、全てではありません。

コーチング・スキルとコーチングに分けて理解すれば、より正しくコーチングが理解できるでしょう。

不安は忘れるに限る
092



あなたは自分の鼻が見えますか?と言われると視界の一部に確かに鼻がありますね。しかしふだんそんなことは気にならないでしょう。

あなたは自分の「瞼(まぶた)の裏」が見えますか?と言われるとまばたくたびに見えているのです。しかし、そんなことを考えたこともないでしょう。

しかしノイローゼになると、「鼻が気になる」「瞼の裏が気になる」のだそうです。これが昂じると「鼻のせいでモノが見えない」「瞼のせいでモノが見えない」まで行きつくということです。

滑稽なようですが、このハナシは示唆に富んでいます。

誰しも心に不安というものがあります。たとえば「仕事で失敗したらどうしよう」とか「恋人の心が離れたらどうしよう」とか「癌だったらどうしよう」といった類の悩みをしじゅう抱えている人がいます。これが昂じると不安のために何もやりたくなくなるのだそうです。

ともあれ、不安を凝視すればいくらでも恐怖が襲ってきます。この状態でカウンセリングに出向いて、不安について延々語っても、単に不安を増長させるだけです。不安を語ることをやめましょう。そしてどうしたら人生を楽しくできるかそのことを考えましょう。楽しみや喜びを見ることに徹すれば、鼻や瞼の裏のように不安は忘れることができます。それは人間に備わった知恵だと思うのです。

どうせだれでも死ぬ時が来れば死んでしまうのです。やるだけやったらあとはなるようにしかないません。なるようになって結構、と達観して割り切ることだと思います。で、その後は鼻や瞼の裏のように不安は忘れるに限ります。鼻やまぶたの裏は見ようと思えば目に入ります。しかし鼻やまぶたの裏を見てもどうともならないですものね。

基本的に野生動物は例外なく明日の命はわかりません。ウサギはいつキツネの餌食になるか、シマウマはいつライオンの餌食になるか、わかったものではありません。しかし餌食になるまでは悩まず生きているではありませんか。悩んで何もやりたくない、なんて動物ほどの知恵もない、ということになります。

・・・と、悩みを持ちかけてきた人に体験コーチングで語ったところ、なるほど、と言っていただけました。語った私も話していてなるほど、と思いましたので、忘れないうちに書き留めておこう、と思ったしだいです。

第3の場
091



私の師匠、中小企業診断士の坪野さんのサイトから引用させていただきます。

--------------------------------------------------------------------

素顔を見せられる場所

  他の項目にもあるように、ビジネスパーソンにとって、ビジネスシーンは基本的に戦場である。そこには、性善説では到底通用しない権謀術数の坩堝である。ビジネスシーンにおいては、片時も気を抜いてはいけないのである。名刺交換さえ、時には敢えてしないことも必要である。

 それは、会社内でも同じで、その会社の構成員としての顔と個人の素顔が必ずしも一致していいわけではない。社内では社内向けの言動というものが厳然として存在すべきである。
 それでは、家庭において素顔をさらけ出すことができるか。これも、時と場合による。家庭においては、夫の顔であり、父親の顔があり、それは、必ずしも自分の素顔とは一致しない。もちろん、それが一致するのが、あるべき状況であり、望ましいのだが、現実は違うことが多い。

 そこで、自分の素顔をさらけだすことができる「第3の場」が必要になってくる。それは、利害関係のない人間関係にのみ創出される。例えば、高校・大学の同級生であったり、異業種の友人であったりする。

 そういった、「第3の場」を確保することが、ビジネスシーンで精神衛生を健全に保つ秘訣であり、仕事をより円滑に、充実させて遂行する必要条件になっていくのである。

 仕事の場と家庭と第3の場が、トライアングルでうまく結合しあってこそ、社会人としてのバランスのよい成長が可能になるのだ。

--------------------------------------------------------------------

「第3の場」の考え方は私も全く同感です。私のクライアントさんのご指摘ですが、「第3の場」というのはとどのつまりは「コミュニケーションの場」です。つまり仕事・家庭以外のコミュニケーションの場をつくったらいいですよ、ということなのですね。

仕事・家庭以外のコミュニケーションの場で何を話すのか、これは結局、「何のために生きているのか」、「自分は人生で何をやりたいのか」、「より良く生きるにはどうすればよいのか」、という根源的な問題を、直接的間接的に語り合う、ということなのでしょう。仕事・家庭でこんな話はできません。とにかく目先のことに追われているからです。

通常「第3の場」のコミュニケーションを取るためには、どこかに集まって、多くの場合飲食をともにすることになります。時間もかかるし、交通費だってかかります。

パーソナル・コーチングはまさに「第3の場」であるわけです。コーチングはもちろんお金はかかりますが、深夜でも早朝でも、定期的に短時間、「第3の場」のコミュニケーションが持てるわけですね。ただし、コーチは良きメンターである必要があります。

手前ミソですが、こうして考えると、パーソナル・コーチングは「社会人としてのバランスのよい成長」に効果あり、と言っていいのだと思います。
100 価値観の調整
099 コーポレート・コーチング
098 私がコーチングを始めた頃
097 インターネット
096 5連続セッション

*
095 ライフワーク
094 「ワカル」ことではなく「カワル」こと
093 コーチング・スキルとコーチング
092 不安は忘れるに限る
091 第3の場
*
090 落下傘降下にはコーチング
089 ビジネス・コーチングは忍耐
088 落下傘降下
087 スカイプ
086 きっと、よくなる

*
085 掘り起こしのコーチング
084 オートクライン
083 答えは上司のなかにあり
082 オートクラインだけじゃ弱い
081 アドレス間違い

*
080 消費者としての観点しか持たない人
079 ニーバーの祈り
078 予想外の展開
077 コーチングにならないケース
076 自己肯定と自己否定

*
075 ビジネス・カウンセリング
074 切り返し
073 承認
072 「考え方を変える」「行動を起こす」
071 未完了感

*
070 思い込みを解体する
069 民度
068 環境を一変する
067 パラダイム
066 補助線

*
065 朝のコーチング
064 変わりたい、でも変われない
063 知らしむべし、拠らしむなかれ
062 岡目八目
061 迷いの払拭

*
060 自己受容
059 自分探しのパターン
058 ビジネス・コーチングの要諦とは
057 和顔愛語
056 大善・小善

*
055 間のもたせ方
054 クライアントと友人
053 ビジョンを持って後ろ向きに
052 寛大にして過酷な請求をなし給わず
051 自分探し(続き)


*** コーチングを受けてみませんか
*** コーチングとは(私見)
*** 社会人のためのカウンセリング
*** カウンセリングとコーチング
*** ビジネス・コーチング入門
*** ライフワーク・コーチングの奨め
*** オーケストラ再生のオーディオ
*** オーケストラ録音を聴く
001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
All copyrights reserved 2006 Yoshiaki Sugimoto