拒絶か黙殺か
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ネットでコーチングの依頼を受け付けている関係上、できる限り真摯にお話をお受けしようと思っているのですが、やはりなかには到底受け入れ難い依頼というのがあります。

何が受け入れ難い依頼なのか。それは文面に自助努力の全く感じられない依頼です。

進退窮まった。私はどうすればよいのでしょうか?と言われても、依頼者にどうしたい、という芯が感じられなければ、到底答えを一緒に考えようという気にはなりません。

私は何を職業にすればいいでしょうか、と言われても、本人なりに試行錯誤したあとが感じられなければ、それは他人がとやかく言える問題ではないでしょう。

ひどいのになると、目標はないよりあったほうがやりやすいだろうと思うので、いい案があれば教えていただきたいです、なんていうのもありました。あんたに付き合ってられるかいな、というのが正直な気持ちです。

さて、依頼が受け容れ難い時に、黙殺すべきか、拒絶すべきか、というのがあります。黙殺すれば波風は立ちません。たまに督促してくる人はいますが、たいていそのままで終わります。

拒絶すれば、とくに相手が女性の場合、悪態が返って来ます。「失望した、それでもコーチなのか、コーチングとはその程度のものなのか、残念だ、等々」です。

拒絶すれば、お互い心騒がす結果になり、私としても後味悪いのです。正直言うと今まで、黙殺と拒絶の間を揺れ動いてきました。つまり、黙殺したこともあれば、拒絶したこともあるのです。

ただ最近思うのは、やっぱり黙殺は卑怯ではないか、ということ。お互い心を騒がせることなく、恨みも買わず、一見良さそうですが、やっぱり依頼を受けないのなら受けない、とキッチリ伝えるべきではないかと思います。そうすることによって、たとえ気まずくとも、先方に何らかの化学反応を起こすことには十分になります。単に軋轢を避けるだけの黙殺は、不誠実とも言えます。

もちろん、私はものわかりの良い人間でいたいですし、偏屈オヤジなどと思われたくありません。しかし、断るべきははっきりその旨を伝える。苦しい所ですが、やはりこちらの方が誠実なのではないかと考えるようになりました。

守破離
249



「守破離」をご存知ですか。世阿弥の『風姿花伝』にある言葉で、

しゅはり。物事を学び始めてから,独り立ちしていくまでの三つの段階。最初は教えを守り,次に自分なりの発展を試み,最後には型を離れて独自の世界を創り出していく。

というものです。

コーチ業にも「守」はあって、たとえばGROWモデルとか、おうむ返しとか、沈黙のスキルとかは明らかに「守」だと思います。ただし私自身は早々に「破」「離」に進み、「守」は「破」「離」のレベルから復習した、という気がします。

私に言わせると「守」はコーチング特有の会話術で、○○のスキルと呼ばれるものです。巷間のコーチング講座は「守」を扱っていますが、「守」だけでは役に立ちません。コーチングというのは助言手法の一部を抽出した体系なので、独自の「守」が極めて浅いように思います。習い事というのは「守」が極めて厚く、深いのが通例ですが、コーチングばかりは例外だと感じています。

私がパーソナル・コーチングを学び始めた当時のことです。いきなりお金をとってコーチングするわけにはいきませんから、最初は誰でも無料の実習から始めます。そのために実習相手を探す必要があります。

知人の男性2名に声をかけたのですが、断られました。どうも、うまくいきません。3人目に声をかけたのが知人の女性でした。メールでお願いしたのですが、返事が返って来ません。「なにかまずいことでも言ったかな?」と訝っていたところ、3日ほどして長文のメールを頂戴しました。

「自分は今、離婚調停中だから、コーチングを受けるとなればこの件に触れざるを得ない。あなたその心の準備はありますか。あるなら実習相手になってもいいですが、ないなら遠慮させてください」

というものでした。

「これは最初からエライことになった」

と思ったのですが、今更後には引けません。

「構いません。よろしくお願いします」

ということで始まったのです。第1回目のセッションは、相当に緊張しました。もちろん初回はカウンセリングのような雑談のような、得体の知れないセッションと相成りました。

こうして、週1回、3ヶ月の実習が始まったのですが、巷間のコーチング書籍に書かれているような会話術は役に立ちませんでした。格好をつけることなく、全人格で彼女と向き合う、これしかなかったのです。会話術などそれこそ2の次、3の次だったわけです。

目標達成路線とも根本的に違いました。私は彼女の気持ちをまずは受けとめる、カウンセリングに限りなく近い路線からコーチングに入ったわけです。ともあれ、最初から自分なりのコーチングのスタイルを模索せざるを得ない状況に追い込まれたわけです。

ですから、私の助言手法は自己流です。ただ場数は踏んでいますので、型だけのコーチングなんぞ鎧袖一触という自負はあります。

ある方が私に向かって、

「杉本さんはコーチングで目標とする人は誰ですか」

と尋ねたことがあります。迷わず答えました。

「いません。強いて言えば、自分自身です」

横柄でしょうか。しかしプロとしてやってれば、当然の答えと思います。

坊主
248



犬にボールを投げれば、バッと駆けてボールを取りに行くのは犬の習性です。日本人の習性は横並びです。

営業チームだと、もし全員が成績悪ければ、「赤信号みんなで渡ればこわくない」ですみます。しかし、自分だけ成績が悪くて、「赤信号渡っているのは自分だけ」だと、日本人の習性から言って、これは一番きついシチュエーションです。

過日連絡を取って来られた方は新入社員ですが、周囲の同期が受注・成約の結果を出しているのに、自分だけがゼロ続き、つまり「坊主」なんだそうです。しまいには電話を取ることすら怖くなり、鬱の手前まで行っては持ち直す、この繰り返しということです。

「あなた自分に心の病気があると思いますか」と訊いたところ、本人は否定しました。これで安心して話ができます。

とにかく他人と比較しないこと、これが平常心を取り戻す上で一番大切なことです。それと他人がどう思うか、意に介しないこと、これも大切です。

「交通事故でリハビリしている、10m歩くのがやっとの患者さんのつもりになってみては」というのが私の提案でした。

こんな患者さんなら自分を健常者と比較したりしないでしょう。もちろん、10m歩くのがやっとという事実は、ものすごく辛いことに違いないだろうけれど、健常者と比較して嘆いてみてもはじまらない。昨日が10mなら今日は20m、そして明日は30mとリハビリに取り組むしかありません。

「あなたはこんなハンデはないわけでしょう。だから、昨日が10mなら今日は20m、そして明日は30m、と努力を重ねるのは全然楽なはずですよ。あなたは他人と比較して、劣等感で自縄自縛しているのではありませんか」

と、言ってあげたところ、少しは元気が出た様子でした。

実は小生、18の頃に大阪日本橋の店頭で、電気メーカーの派遣店員でステレオ・セットを売っていたことがあるのです。ステレオ・セットは当時20万を超えましたから、高校出たての18歳の若者に売れるはずもなく、1ヶ月半「坊主」だったのです。

1ヶ月半目に何をおすすめしても、「ハイハイ」と買ってくださるお客さんに当たって、はじめてゼロから抜け出せたのです。これはとてつもなく辛い体験でした。しかしこの体験があるからこそ、昔の自分と似たような境遇の若者に対して、アドバイスの一つも言えるわけです。

とにかく、マイペースでもいいから、逃げないで食らいつくこと。本当に適性がなかったら、その時はその時だ。上司はあなたの根性を見てるんだよ、何も心配することはないよ、と言っておきました。

何のために、あなたにこんな試練が与えられたのか、それをじっくりと考えてみてください。究極の体験こそ将来に計り知れない恩恵を生むのです。先輩の私は心からそう思います。

誹謗中傷
247



職場で誹謗中傷を受けてしまう、というご相談が続きました。ともに女性です。

共通していたのは、いづれも日頃「うわさ話」「取りざた」に参加していたところ、ふとしたことから自分がやり玉(スケープゴート)にあがってしまった、というものです。

本人は悪意はなく、お気の毒というしかないのですが、日頃「うわさ話」「取りざた」に参加していたというのであれば、やはり誹謗中傷の波長を持っているのであり、本人にも原因あり、ということになります。急には難しいとは思いますが、問題解決にはご本人の波長を変えるしかないと思います。

ラジオ受信機にたとえると、朝日放送に波長が合っていると朝日放送しか聞こえません。いままで朝日放送を聴いてきたのだったら、NHKに波長を合わせる、ということです。NHKに波長が合ってしまえば、朝日放送は聞こえない、ということになります。

別にNHKがよくて朝日放送が悪い、と言うつもりはありません。人間それぞれに波長があり、それぞれその波長に応じた世界、というのがあるというたとえです。本人の波長を変えてしまうと、同じ受信機であっても聞こえてくるものが全く違う、のです。もちろん低いレベルに波長を合わしていたのではダメです。

誹謗中傷などというのは相当レベルの低いことであり、人を呪わば穴二つ、必ず天から制裁を受けるようにできているわけで、裁きは自然の摂理に任しておけば、誹謗中傷する輩などいずれは消えていくのです。

誹謗中傷される、という直面する問題を、「自分自身を高める」機会として活用できるかどうかが、問題解決の成否を分けることと思います。もちろん、自分を高める努力というのは、想像以上に厳しいかもしれません。しかし、これ以外の方法はどうも思いつきません。

ベストを尽くすということ
246



クライアントさんと話をしていると、しばしば「ベストを尽くす」ということに誤解があるのに気付くことがあります。

「ベストを尽くす」ということは、マラソンの途中で全力疾走することでしょうか。それはベストではなく「無茶」に過ぎません。「ベストを尽くす」とは、無理なく継続できること、これが条件だと思います。

ところが世間には往々にして「一夜漬け」を「ベスト尽くす」ことと勘違いしている人が多いです。もちろん、「一夜漬け」が必要な場面はあるにはあります。しかし、「一夜漬け」は明らかに「無理」であり、長期的スパンで見れば、「無駄」です。

継続は力なり、です。いくら真摯に努力したところで、1年でやめてしまうのは「ベストを尽くす」ことにはならないでしょう。余裕を持って続けた方が勝ちます。

ベストを尽くすとは、継続して取り組むことです。継続するためには2〜3割の余裕もなくてはなりません。2〜3割の余裕を「怠り」ととらえる潔癖な人が数多くいますが、人間そう余裕なく努力できるものではありません。その意味では、ベストを尽くすと言うのは常に余裕と共存しているということです。

ここまで考えてくると、「ベストを尽くす」ということはほどほどに楽なことなのです。なぜなら、ほどほどに楽でなければ、継続して取り組めないからです。
250 拒絶か黙殺か
249 守破離
248 坊主
247 誹謗中傷
246 ベストを尽くすということ
*
245 自覚と開き直り
244 用件と情緒
243 素性を明かす
242 キヨ
241 感情のコントロール

*
240 横並びの習性
239 いい人と付き合い、悪い人を遠ざける
238 電話口の声
237 どうしたら迷わなくなるか
236 口先だけ

*
235 気管支炎
234 ヤフーの「カウンセリング」
233 よきこと来たる
232 群れられない人
231 愚痴

*
230 「答え」の所在
229 コーチング・モード
228 商業主義
227 起業ネタ
226 一張一弛

*
225 独身者の週末
224 停滞期
223 志を持つ
222 生かされて生きているシステム
221 質問するな、承認せよ

*
220 リコメンデーション
219 子育て
218 逆説のパラダイム
217 宗教的素養
216 前世

*
215 ライフワークをオンする
214 苦労
213 イネビタブル・コーズ
212 損得
211 鷹揚に担がれる

*
210 屈託
209 打たれ強さ
208 リフレッシュ
207 長所を認める
206 停滞の時期

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205 アナライザー
204 天球
203 20点を取ろう
202 もっと悪かったかもしれない
201 ホームページは必需品


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