自分が探しあたらなければ
255



私に連絡を取って来られる人で、「自分探し」で悩んでいる人は本当に多いです。しかし、首尾よく自分を探しあてることができる人は少ないと言わざるを得ません。自分探しに成功するのは、一部の人に限られる、残念ながらこれが現実です。

自分自身の経験から言っても自分探しは大変難しいと思います。たいてい生きるか死ぬかというほど悩んで、その結果はじめて自己を見出せるものです。

自分を探しあてるとは具体的には、自分のワクワク感に気付くということです。ワクワク感とは「懐かしさ」と等価だと思います。

人間は何度も転生を繰り返し、毎度新しいことに挑戦するのです。後天的に身につけた能力はどんどん才能に転化します。そして次の生(しょう)では潜在的な才能を持って生まれて来るのです。

潜在的な才能を持って生まれて来れば、いずれ自分のワクワク感に気付くことになります。そのときは前生で培った何か「懐かしい」自分の「心のふるさと」を実感するはずです。それをもって、自分探しに成功したと言うのでしょう。

ですから、前生でいろいろ挑戦して努力した人が、今生で自分探しに成功するのだと言えます。反対に前生で十分経験が積めていなければ、今生で自分探しに苦労するのだと考えられます。これは決して、自分を探し当てられない人を批判する意図で言っているのではありません。

さて、今生で現在全く新しく挑戦していることは違和感そのものであるはずです。しかし、それが、時間を経てワクワク感に変わっていくと考えられます。つまり、

違和感 → 腐れ縁 → 習い性 → ワクワク感

と進化していくはずです。前生のありかた次第では、今生で違和感がワクワク感に変わることは当然期待できます。しかし、違和感がワクワクに変わるには、今生では無理で、次の生を待たなければことも多いことでしょう。

ポイントは転生を繰り返すなかで、今「心のふるさと」を実感するワクワク感も、おおもとは違和感であったであろう、ということ。だから転生のフェーズ次第では、自分探しができない人も当然いることでしょう。新しいことに挑戦するのが人生ととらえれば、自分探しができなくても、それはそれで結構、ということになるのではありませんか。

もし、自分が探しあたらなければ、今やっていることに全力でぶつかって、努めて楽しむように心がける、これでよいのではないでしょうか。

メール
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私たちは、自分の書いたメールをしばしば時間をかけて読み返します。他人のメールより、自分のメールをそれこそよほど「熟読」しているわけです

だから自分のメールに自分が影響されてしまう、ということは大いにある、と言わなければなりません。結局、日ごろ自分が書いているメールこそ、自分の想念そのもの、といえるのではないでしょうか。

私はいろいろな方からメールを頂戴します。それを読んでいてつくづく思うのですが、メールとはいえ、文面は人格の一部、ということです。結局、私は相手の人格に感応しているわけですね。

人格にはやはり高い・低いがあって、それは人格の分身であるメールに如実に反映されているように思います。うなずけないメールの相手と話してみても、だいたい予想通りです。多少の例外はあっても、経験的には以下のように感じています。

・人格が高い、と感じるメールは積極的で明るい。

・人格が低い、と感じるメールは消極的で暗い。

こういう一節を読んだことがあります。

あなたは友人に手紙を書くとき、その手紙をして生命の火花と自信の火花を発せしめよ。あなたの周囲にある些細な不愉快なことをいつまでもグチグチ話し続けたくなる衝動を断ち切れ。楽天家であれ。また自分を楽天主義であると感ぜよ。

『心の力の秘密』 ユージン・ロイ・デービス 1964年 伊藤正・谷口雅春共訳


時代が時代なので「手紙」となっていますが、現代では「メール」と置き換えてよいと思います。

愚痴を言いたいときは、誰にでもあります。愚痴は私も言いますが、とにかく最小限にとどめよう、とは思っています。

結局、消極的で暗いメールを書くと、自分にとっても、相手にとっても、百害あって一利なし、です。努めて積極的で明るいメールを書く、これの心がけが大切だと思います。他人から頂戴するメールを拝見していると、つくづくそう思います。

ワクワク感の陥穽
253



昨今は成功哲学を論じた書籍が多く出版され、そのなかにあって「ワクワク感」なる言葉がずいぶん定着したように思います。

では、「ワクワク感」の反対は何でしょうか?「違和感」ということでしょう。つまり、やってみて何かしっくり来ない、何か違う、という感触です。

私はもともと文系で語学が専門でしたから、海外営業が希望だったのです。しかし、ソフトウェアの制作もわりに器用にこなしたため、希望に反して、新卒入社から7年間、ソフトウェア開発に配属されました。ただ、あくまでも器用なだけで、適性はごく普通でしたから、職場で抜きん出ることはなく、目立たない存在でした。配置換えの希望は毎年出していたのですけれど、応じてもらえなかったのです。

この会社の最後の上司ができる人で、六甲ライナーの新交通システムの無人運転の制御を担当されたのです。私はこの仕事には関わっていなかったのですが、完成した時に、

「オレのやった電車に乗せてやるよ」

ということで、課の全員で見学に行ったのです。上機嫌な上司、同僚とともに試乗しました。私は、

「何ともすばらしい仕事だな」

と驚嘆する一方で、

「何か違う」

と感じたわけです。自分自身の中途半端なセンス、そしてそれに対する中途半端な情熱、これが違和感の正体でした。上司はセンスも情熱も申し分なく、自分はとてもかなわないな、と強く思った次第です。結局、この違和感をその後も引きずって、1年後に転職することになりました。

ただ、転職後は前職で培ったスキルが大いに役に立ちました。今検索エンジンでのさばっているのも、システム・エンジニアの素地があるからです。だから転職してから、かえって違和感が消えて行ったように思います。

結局、「違和感」は「ワクワク感」に徐々に移行していくものなのです。移植した臓器から最初は強い拒絶反応が出ても、いずれは体の一部として同化していくようなものです。

つまり、自分の今の「ワクワク感」だけで勝負していると、「その道一筋」といった幅の狭い人間になってしまう、ということは大いにあると思います。人間進化する過程でワクワク感の対象は広がるはずです。

しかし、年取ってから、「違和感」を取り込んで、幅を広げるというのは難しいでしょう。

結論からいうと、若いうちは「違和感」おおいに結構、しかし年取ってきたら、「ワクワク感」に徹するのがよい、ということになります。

私のクライアントさんには、今やってることに対する「違和感」に悩む人は多いです。しかし、「違和感」の全くない人生は自分の可能性をかえって閉ざしていることになるのです。「ワクワク感」にも意外な陥穽があるのです。

今の仕事の否定形
252



「転職してキャリア・アップ」というような表現が求人情報誌に使われていますが、求人情報誌のイメージ・アップのためにつくられた虚像もいいところで、断然事実に反する、と私は思います。

人にはない能力があれば、「三顧の礼」をもって高給で召し抱えられるようなケースは当然あるものと思われます。しかし、一般的・常識的な能力で、転職でキャリア・アップできるということはまずないと言っていいでしょう。

転職すれば確実にキャリア・ダウンします。はっきり言って、どの職場も難点だらけです。しかし、今の職場のどうしても受け入れられない問題点が、転職によりずいぶんましになる、というのなら、転職は一応成功です。

一応、というのは転職先の会社の事情次第でこの先どうなるかわからないのです。業績不振による撤退や統廃合はつきものですから、将来どうなるのか、どんな仕事が回ってくるのかは予測不能です。運ですね。

だから、転職とは問題だらけの職場から、これまた問題だらけの職場に移ることです。通常待遇条件は確実に劣化します。そんななかで、自分がどうしても解消したい「狙い」を実現させること、これが転職の意義と言えると思います。

換言すると、転職にあたっては「狙い」がはっきりしているのが最も大切です。

転職の問題で私に連絡を取って来られる人は、「狙い」がはっきりしていない人がほとんどです。

「狙い」がはっきりしていなかった人は、たいてい転職に失敗して、以前より状況が悪くなっています。その結果目先の問題に翻弄されて、「自分はどうしたいのか」を見失っている人が多いように思います。

「狙い」がはっきりしていなければ、今の仕事の何をどのように改善したいのか、押さえるのが第一でしょう。今の仕事のアンチ・テーゼ、それこそが今後の人生の指針となるのではありませんか。つまり天職を探したければ、今の仕事の否定形から手ががりを見出す、これがスタートです。案外これがなおざりになっているように思いますが、いかがでしょうか。

気管支炎その後
251



私事です。

うちの家内が夏に風邪をひいて、コンコン咳き込んでいました。家内はわりと風邪を引くほうです。私は口には出しませんでしたが、正直なところ、

「夏場なのに不景気な奴ちゃな」

と思ったわけです。だから風邪を気遣う言葉をかけませんでした。

10月はじめにふとしたことで私が風邪を引いたのですが、1週間で治ったと思っていたところ、気管支炎の症状が出始めました。

急性気管支炎はふつう1週間のものですが、私は今回完治するのにひと月かかりました。一進一退で、2回ほどぶり返し、2回目はさすがに暗くなりました。風邪くらいで病院にはまず行かなかった私ですが、今回は診察が都合3回、くすりもまじめに飲みました。

コーチングをやるにも咳が大きな障害となり、延期をお願いしたセッションもあったほどで、ふだんならなんということなくこなすセッションも、大きな負担となってしまいました。クライアントさん相手にそう咳もできず、咳をこらえるのも限界もあり、次のセッション乗り切れるだろうか、と心配になるわけです。

家内は気遣ってはくれましたが、一方で「夏に苦しんでたときに気遣ってくれなかったから当然の報い!」などと言っておりました。

なぜ治りが遅いのか?中村天風の本を読むと「心が消極的」だからなのだそうです。

「自分は心が消極的なのだろうか?」

何度も自問したことでした。そう消極的だとも思えない。

病気は時として思うに任せないことがあるのだから、それはわからないといけない、と痛感しました。

結局、症状が出てもそれに負けず、乗り越えていくことだ・・・これが最後に思い至った結論でした。そうこうしているうちにようやく軽快しましたが。

今はコーチング・セッションが楽なものです。健康でいるというのはありがたいことだったのですね。
300 カウンセリングは愚痴か
299 助言手法にこだわるな
298 閉塞感の中で一歩踏み出す
297 自分の人生は自分で評価
296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪

*
295 カウンセリングを切り捨てたコーチング
294 目上は変えられない、自分が変わるしかない
293 つかまない
292 ニーズのない人
291 経営者・管理職は外的コントロール世代

*
290 臨床は財産だ
289 『巨人の星』は外的コントロール
288 コーチングはすぐれて論理的な対話
287 ヒマに耐えられる器
286 選択肢はどんどん捨てる

*
285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング
284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう
283 私のコーチング事始
282 教育商品の限界
281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの

*
280 方向性をコンサルティングする
279 地獄から抜け出す
278 ネット・カウンセラー
277 自在性
276 沈黙

*
275 配合比率
274 盲目的な従順は人間失格
273 ウナギになろう
272 嫉妬
271 論理と柔軟性

*
270 『千と千尋の神隠し』
269 論理
268 良心に忠実であるということ
267 対話のパラドックス
266 ネット・カウンセラーの市場

*
265 コーチング・セミナーの意義
264 元「外的コントロール」の信奉者
263 外的コントロールなき家庭
262 骨付きの肉
261 外的コントロール

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260 衆知を集める
259 争う
258 アンコーチャブルな人の相手(最終)
257 アンコーチャブルな人の相手(続き)
256 アンコーチャブルな人の相手

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255 自分が探しあたらなければ
254 メール
253 ワクワク感の陥穽
252 今の仕事の否定形
251 気管支炎その後

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