カウンセリングは愚痴か
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ホームページに「カウンセリングはひと言でいうと愚痴聞き」と書いているのですが、それを見た人から私宛に匿名の投書があり、「カウンセリングはそのようなものではない。もっと勉強しなさい」とありました。

匿名の投書など取り合うに値しませんし、他人の批判をしているヒマがあったらもっと臨床経験を積むべきだと言っておきましょう。

カウンセリングは愚痴聞きであることに間違いはないと思います。「愚痴聞き」が悪いのか。愚痴はその人の内的な適応過程で、自分の感情を他人と共有する行為です。それにお付き合いしてるのが「傾聴」という行為です。

人間は精神的に練れて行くほど、愚痴を言わなくなります。つまりカウンセリングの必要は減っていくわけです。たとえば釈迦・キリストの如き人はカウンセリングを他人に施すことはあっても自分が受けることはないでしょう。

ですが、凡人には愚痴は必要なのです^^

愚痴は言うだけ言ったら、それ以上言うのがアホらしくなってきます。それで内的適応を完了するというわけです。愚痴に反論すると新たなストレスを生むから、黙って聴くのが一番、です。だれも批判されようと思って愚痴を語らないでしょう。

しかし、愚痴を言うだけで出口の見つからない人もいます。これには必要に応じて提言するのです。

ただ同じく愚痴を言っても、理屈の通じる人、理屈の通じない人がいます。私の守備範囲は理屈の通じる人です。理屈の通じる人の場合は何らかの形で提言を受け容れようとします。

理屈の通じない人は健常者ではなく病人ですから、私とは縁がなかった、ということです。

私自身はカウンセリングを以上のようにとらえています。

個人的に学問としてのカウンセリングにあまり興味はない、と言っておきましょう。基本的にカウンセリングは社会経験とそれによって培った胆力をベースに行うものと信じているからです。それが意に沿わないなら私のところに来なければいいのです。

助言手法にこだわるな
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ご存知のように、助言手法にはカウンセリング、コンサルティング、そしてコーチングがあります。この3つは助言をアプローチのしかたから分類したと言えます。

特にカウンセリングやコーチングでは、○○という資格がある、□□から認定を受けた、△△コースを修了した、というのが必ず引き合いに出されます。それは体系立てて基礎から学んだ、ということ示すもので、意義のあることです。ですが、その結果、自分が学んだ助言手法のイデオロギーに自縛されている人が少なからずいます。それでは本末転倒だと言いたいのです。

答えはその人に備わっている、これは真理です。傾聴こそ大切、これもその通り。しかし、それがイデオロギーになっているところが、全くもの足りません。イデオロギーゆえに自在性に欠け、人間的愚鈍さを感じざるを得ないのです。さらには、イデオロギーが愚鈍さの言い訳になっているように思われます。

現在カウンセリングとして提供されているサービスの実情は、ひたすらクライアントの言うことに耳を傾ける「傾聴」という手法が主流です。だから提案は基本的にしない。答えはその人に備わっていると考えます。コーチングも多くはそうです。前述したように、「答えはあなたのなかにある」という金科玉条に安住して、提案ができない人間力の不足した助言者が多いのが実情です。

私個人はそうしたカウンセリング・コーチングを体験して来ました。意義なし、とまでは言いませんが、「傾聴」に終始するやり方にあまり積極的な価値が認めらないのです。

コーチングと言っても、カウンセリングの要素もコンサルティングの要素も必要なのです。助言は総合的に助言全体でとらえるのが正しい、と私は信じるのです。イデオロギーめいた手法の体系はあくまで二義的なものです。

クライアントにしてみれば、どんな手法でも結構、それで悩みや問題が解決して、自立できて、自分の夢が実現すれば、手法なんぞ何だっていいはずです。

資格や認定があっても、良くない助言はいくらでも存在します。良くない助言とは、救済力のない助言です。基本的に救済力のない助言は、買ってもらえない、続かない、残らない、のです。救済力のない助言は、いかに美辞麗句を弄そうと、価値がないと言わざるを得ません。

では、理想の助言とはいかなるものでしょうか。それは自在性のある、なんでもありの手法でしょう。カウンセリング、コンサルティング、そしてコーチングを相手に応じて縦横に駆使する、その結果、相手が真理に目覚めて自立する、それを可能にするのが助言者の知恵です。

結局、助言者の助言がどれほどの自在性を持つか、どれほどの救済力を持つか、その結果クライアントがいかに自立できるか、これが助言の価値です。

助言者がどれだけの自在性を持つか、これが助言の格を決定するのです。言い換えれば自在性のない助言者ほど、救済力がないということになります。

結論として、自在性のある、なんでもありの手法こそ、本来の正しい助言なのです。手法は二義的なもので、そんなものにこだわるのは本末顛倒なのです。悩める一般社会人相手の助言では自在性ある救済力こそが理想で、クライアントから真に求められることなのです。

とはいえ、私を含めて、凡人にはなかなか到達し難い境地ではあります。こうした方向性だけは押さえて、後は各自で自分の持ち味を磨いて行けばそれでいいのだと思います。

閉塞感の中で一歩踏み出す
298



クライアントのSさんはOLです。独立起業を目標にされて来たのですが、投資が思わぬ損を出してしまい、それどころではなくなったとのことです。

現在は会社勤めを継続されていますが、やる気が起こらず、しばらくぼんやり過ごしてきたそうです。

「なんとかしなくては」と本人は言われるのですが、どうしたものでしょうか。私の提案は、

「今の境遇を逆手に取ってできることを考えませんか。たとえば、結婚する、というのはどうですか」

でした。女性は結婚・出産で大きく人生が変わるところが男性と違うので、この手があるのです。

「私の元クライアントの女性は55歳で再婚されましたよ。私の知人の男性は44歳で初婚、お相手は37歳の女性でしたよ。あなたはまだまだ若いではないですか」

と畳み掛けてみました。この人が私の提案を心から受け入れるのか、どうかは今後を見なくてはわかりません。しかし閉塞感を逆手に取って発想する、のは大切です。人生閉塞感だらけですから。

ポイントは閉塞感のなかで彷徨せず、継続して取り組める何かを見つけることです。コーチングがこのお役に立てば幸いなことです。

自分の人生は自分で評価
297



先日体験コーチングを依頼してきた女性です。

とにかく、職場の上司(女性)にほれ込んでいるのです。上司が喜ぶような結果を出したいのですが、期待に沿えない、どうすればよいか、と言われるのです。

どうして、期待に沿えないのか、と訊いてゆくと、どうも今の仕事に適性がない、ということのようです。

「もし、その上司が何らかの理由で退職したとしましょう。あなたどうしますか?」

と訊いてみたところ、二つ返事で、自分も辞める、仕事を変わる、と返ってきました。ほれ込める上司に当たったのは幸せなことです。ですが、この人は良くも悪くも上司の呪縛が大きすぎます。

「上司を喜ばすためにではなく、あなたを生かすように生きたらどうですか。生きるということは、自分の能力や個性を生かすことではないのですか。世間の人は自分の能力や個性を生かすことができないから、職を替わったりするのでしょう?」

そういう発想が今まで全くできなかった様子です。自分の人生は人に評価してもらうのではなく、自分で評価する、これが大切です。たとえ人から高く評価されようと、自分で評価できなければ、結局敗者の人生なのですね。

私と話したことがきっかけで、自己に目覚めることができれば、と念じています。

「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪
296



「答えはあなたのなかにある」・・・これはコーチングをかじったことのある人なら誰もが知っている、コーチングのキャッチ・フレーズです。実はこの真意が誤解されることがたいへん多いのです。

邦題『コーチング・バイブル』の原書では、Four Cornerstonesという章に、

The client is naturally creative, resourceful, and whole.
The coach does not have the answers; the coach has questions.

と書かれています。

「コーチは答えを持たず、コーチは質問を持つ」

とあるのです。

「答えはあなた(クライアント)のなかにある」

人間ひとりひとりは宇宙・真理とつながった存在です。だから、どの人も無限の可能性を持つ存在という意味なのですけれど、その原則論・本質論だけで物事解決するわけでは決してありません。

「答えはあなたのなかにある」という、原則論・本質論を表面的に解釈していくと、出てくるのは次の考え方です。

「答えはクライアントのなかにあるなら、コーチという助言者は、コンサルタントみたいな専門知識がなくても、お手軽に勤まるわけだな。よ〜し、これはいいぞ」

この調子で多くの人が安易にコーチングに跳び付くわけです。現在コーチング講座はよく売れていますが、このお手軽感がベースになっていると私は感じています。巷間の書籍をみても、お手軽な会話術万能の論調に少なからず辟易してしまいます。

そして、コーチングをかじった人はふた言目には言うのです。

「答えはあなたのなかにあります。私はそれを引き出すだけです」

会話術を身につけても、コーチ側に人間力がないため、使い物にならないケースが圧倒的に多いのです。単に会話術を学んだだけです。「答えは相手のなかにあって、それを引き出すだけ」なら会話術さえ磨けば、高校生でもベテラン社会人を相手にできる理屈ですが、もちろんそんなことは無理です。

しかし、現状のコーチング業界ではコーチの人間力は敢えてあまり問題にしません。

「答えはあなたのなかにある」という、原則論・本質論はもとより正しいし、「人間が無限の可能性を持つ」という理想主義は人をひきつけます。とにかく従来あるコンサルティングに対して「差別化」がはかれなければ、コーチングの教育商品の存在意義はないわけだし、せっかくのお手軽感を敢えて否定することはないのです。

答えはクライアントにある、と言って置けば、成果が出ない時はクライアントのせいにできるため、断然好都合です。「答えを与えるとクライアントが頼って来るから良くない」はコーチが提案できない言い訳としてはまことに具合がいいのです。

以上から「答えはあなたのなかにある」という原則論・本質論、「人間は無限の可能性を持つ」という理想主義を喧伝し、会話術ばかりで人間力がない弊害には敢えて目をつぶる結果になっています。

もののわかった人はコーチングとその業界をどう感じるでしょうか。正直な感想としては、

「確かに見るべき点はある。しかし、口先だけでいい気なものだ」

でしょう。コーチングの光と陰、効能と弊害は、

「答えはクライアントのなかにある」

この金科玉条の解釈から派生しているのです。
300 カウンセリングは愚痴か
299 助言手法にこだわるな
298 閉塞感の中で一歩踏み出す
297 自分の人生は自分で評価
296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪
*
295 カウンセリングを切り捨てたコーチング
294 目上は変えられない、自分が変わるしかない
293 つかまない
292 ニーズのない人
291 経営者・管理職は外的コントロール世代

*
290 臨床は財産だ
289 『巨人の星』は外的コントロール
288 コーチングはすぐれて論理的な対話
287 ヒマに耐えられる器
286 選択肢はどんどん捨てる

*
285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング
284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう
283 私のコーチング事始
282 教育商品の限界
281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの

*
280 方向性をコンサルティングする
279 地獄から抜け出す
278 ネット・カウンセラー
277 自在性
276 沈黙

*
275 配合比率
274 盲目的な従順は人間失格
273 ウナギになろう
272 嫉妬
271 論理と柔軟性

*
270 『千と千尋の神隠し』
269 論理
268 良心に忠実であるということ
267 対話のパラドックス
266 ネット・カウンセラーの市場

*
265 コーチング・セミナーの意義
264 元「外的コントロール」の信奉者
263 外的コントロールなき家庭
262 骨付きの肉
261 外的コントロール

*
260 衆知を集める
259 争う
258 アンコーチャブルな人の相手(最終)
257 アンコーチャブルな人の相手(続き)
256 アンコーチャブルな人の相手

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255 自分が探しあたらなければ
254 メール
253 ワクワク感の陥穽
252 今の仕事の否定形
251 気管支炎その後


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