方向性をコンサルティングする



現在コーチング講座はいくつかの会社・団体から提供されています。こういった講座で勉強すれば、一般社会人からクライアントを取れるのでしょうか?

私の経験から言えば、コーチング講座程度の内容は楽にこなせなければ話にならないと思っています。しかし、一般社会人からクライアントを取るにはそれでは不十分です。同じコーチングでも、教育商品としてのコーチングと一般社会人相手のコーチングとは少々異なります。

同じライオンでも、動物園のライオンと野生のライオンは違います。動物園のライオンは与えられた肉を食べていればいいのですが、野生のライオンは肉を食べる前に、エサを捕まえて、肉に解体する必要があります。また肉を食べながら、解体し、さらに食べ進む必要もあります。喩えて言えばこんな感じでしょうか。つまり、

@捕まえる → A解体する ⇔ B肉を食べる

なのですが、これを一般社会人相手のコーチングに置き換えると、

@営業する → A方向性をコンサルティングする ⇔ Bコーチングする

となります。

困ったり、悩んだりしている相手がいきなりコーチングできることは稀です。通常はコーチングに至るまでに、「方向性をコンサルティングする」ことが必要です。

方向性をコンサルティングするとはどういうことでしょうか。

たとえば、Aさんは管理職ですが、ずっとたたき上げで来たため、上司は部下より実務ができないければならない、と思い込んでいました。その結果、不慣れの新任の部署で有能な部下に取り囲まれて、すっかり自信をなくしていた、とします。

「Aさん、ではあなたの実務能力をつけるには、何をすればいいと思いますか?」

方向性をコンサルティングできないコーチはこう言うのが関の山です。が、方向性をコンサルティングできるコーチは、たとえばこんなふうにもっていきます。

「Aさん、それは素晴らしいではないですか。有能な部下に囲まれているというのは、ひとつの理想ですよ。あなたに必要なのは自分が実務に長けることではなくて、有能な部下から能力を目一杯引き出すことだと感じましたが、どうでしょう?」

この例では、コーチはクライアントの固定観念を超越した、パラダイム・シフトという付加価値をつけています。方向性をコンサルティングするとはこういうことをいうのです。方向性のコンサルティングはセッション中1回で済むこともあれば、何度も行う必要があることもあります。

Aのプロセスではクライアントが要求するように方向性を設定するのではなく、クライアントに真に必要なことを見極めて方向性を設定しなければならないということです。これはコーチング以外の世界であり、コーチングというフォーマットを明らかに超えています。

方向性のコンサルティング能力はコーチの洞察力をもっとも如実に反映したものであるのです。クライアントはもちろん、こうした人間力のあるコーチにコーチングを依頼したいはずですね。

私が学んだ教育商品では方向性のコンサルティングのプロセスは「視点を変える」とか「提案する」という形で軽く触れてありましたが、このあたりが教育商品としての限界でしょう。方向性のコンサルティングについて詳述するとすれば、多岐にわたるコンサルティングに踏み込まざるを得ず、事実上不可能と思われます。

教育商品としてのコーチングでは、実習相手がコーチングに十分理解があり、コーチングを受けようとしてコーチングに臨みますので、A「方向性をコンサルティングする」ステップは省略可能で、Bコーチングする(肉を食べる)だけのステップでいいわけです。切り分けられた肉という形でエサが与えられる動物園のライオンみたいなものです。

ですから、教育商品の範囲で一般社会人からクライアントを取ろうとすれば、通常うまくいきません。教育商品の内容に加えて、@Aは個人個人で工夫する必要があるのです。とくに方向性のコンサルティングはある程度の社会経験があり、相応の人間力のある人でないとつとまりません。方向性のコンサルティングができる人こそコーチとして成功するのです。

地獄から抜け出す
279



「あんたの部署は残業が少ないから、(あんたの部署全体の)心がけが悪い」

あなたがこんなふうに批判されたとします。こういった批判を会議で上司から受けることはよくあることです。これがその通りなら仕方がないです。認めて謝らざるをえないでしょう。

しかし、この批判が全く的外れであるとします。

この場面で、上司におもねる結果、単に上司の意見に迎合するような言動を取るならば、あなたは一個の奴隷と化してしまいます。あなたは一切の尊敬を保ち得ず、相手はますますあなたに苛烈な批判を加えることでしょう。

指摘が的外れであるならば、必ずその批判をした上司に反論しなければなりません。

この場面であなたの器量は出るものですが、あなたならどう言いますか。私なら、

「残業時間と心がけをリンクするのはどうですかね」

とかましておきます。しかし、食い下がったりはしません。

この手の発言を受けて、何の葛藤もないということはありえませんが、うまく体をかわせば、尾を引かず、ストレスも残らないのです。

昔の私は、猛然と食ってかかって、結果上司との人間関係を悪化させ、自分自身の評価も下げていました。何よりも、対人関係の悪化によるストレスで、半日は仕事になりませんでした。対人関係の悪化によるストレスを引きずるというのは、精神的に地獄界にとどまることです。そして、地獄は地獄を呼びます。地獄の波長は、ろくでもない事物を引き寄せるのです。

コミュニケーションを工夫することで、地獄界から瞬時、あるいは早期に抜け出すことができます。地獄から抜け出せるのも抜け出せないのもコミュニケーションひとつ、ということなのです。そして、地獄から抜け出せば、よき事物を引き寄せて、善循環が始まるのです。

コーチングという形で、コミュニケーションに取り組んできましたが、コミュニケーションの至高の価値とは、対人関係の地獄から抜け出せることだ、と痛感するのです。クライアントさんにもコミュニケーションを改善すれば、地獄から抜け出せるのだ、ということに是非気付いていただきたいと思います。このお手伝いができることが、コーチの醍醐味でしょう。

ネット・カウンセラー
278



インターネットで相談業を行う人は米国ではネット・カウンセラーと呼ばれています。ネット・カウンセラーのアイデンティティは、

手法にこだわらず、クライアントに最適な助言を行う

ということです。もちろんその手法にはコーチング・カウンセリングも含まれています。その意味では私もネット・カウンセラーでありたいと思っています。

ところで、日本国内で、ネット・カウンセラー(インターネット相談業)をする場合、米国流にカウンセラーを名乗るのがいいのでしょうか。それともコーチングを標榜するほうがよいのでしょうか。これについて考えてみます。

カウンセリングとコーチングはどう異なるのか。社会的通念の違いは下記の通りです。

カウンセリング
@カウンセリングは古くからある言葉で、まず知らない人はいない
Aマーケットとしては成熟している
B鬱病あるいは鬱状態のクライアントが治療や癒しを目的に行う
C対面方式で行う。クライアントがカウンセラーの事務所まで出かける必要がある
D必ずしも継続した契約ではない
E料金清算は各回終了時に払う

コーチング
@コーチングは21世紀になって普及した言葉で、知らない人はまだまだ多い
Aマーケットとしては発展途上である
B社会人健常者が自己実現を目的に行う
C電話で行う。クライアントは在宅で話ができる
D通常3ヶ月契約である
E料金は3ヶ月分前払いである

以上はあくまで世間一般の通念の違いであり、カウンセラーが電話を使ったりすることは全く問題ありません。またコーチがカウンセリングをやっても、カウンセラーがコーチングをやっても、結果クライアントがハッピーであるなら、全く問題はないわけです。

ただ、在宅のビジネスとして行う場合、コーチングはカウンセリングよりいろいろな面で有利です。

@コーチングはオフィスを構える必要がない
Aコーチングは発展途上のマーケットであり、カウンセリングより新規参入がしやすい。
Bコーチングで傾聴主体で、心理的平安を扱えば、カウンセリングと等価である。その意味ではコーチングはカウンセリングを兼ねる。
Cコーチングのクライアントは自立した社会人であり、経済力は問題ない。しかし、カウンセリングのクライアントは社会的弱者で、経済力がない場合が多い。
Dコーチングは通常3ヶ月で契約してもらえる
Eコーチングは料金は前払いであるため、集金に悩む必要がない

私はインターネットで、コーチングのサイトもカウンセリングのサイトも持っており、どちらも検索エンジン5位以内で表示されます。しかし、コーチングのサイトからの問い合わせは、カウンセリングのサイトの何倍もあります。またコーチングの問い合わせは多くが社会人健常者です。これに対して、カウンセリングの問い合わせは多くが社会的弱者です。

以上の理由から、日本でネット・カウンセラー(インターネット相談業)をする場合、カウンセラーを名乗るより、コーチを名乗ったほうが有利であると私は考えています。といってやってることは同じです。手法にこだわらず、クライアントに最適な助言を行えばよいわけです。

自在性
277



真理にはいらいろな側面がありますが、総合的に真理全体でとらえるのが正しい。変なイデオロギーでとらえたら、ろくなことはありません。歴史上の悲劇はイデオロギーの対立だからです。イデオロギーは二義的なものです。

同様に、助言も総合的に助言全体でとらえるのが正しい、と私は信じるのです。イデオロギーめいた手法の体系があるのですが、そんなのはあくまで二義的なものです。

ご存知のように、助言手法にはカウンセリング、コンサルティング、そしてコーチングがあります。この3つは助言をアプローチのしかたから分類したと言えます。

カウンセリングやコーチングでは、○○という資格がある、□□から認定を受けた、△△コースを修了した、というのが必ず引き合いに出されます。それは体系立てて基礎から学んだ、ということ示すもので、意義のあることです。ですが、その結果、自分が学んだ助言手法にこだわる人が少なからずいます。それでは本末転倒だと言いたいのです。

クライアントにしてみれば、どんな手法でも結構、それで問題が解決して、自立できて、自分の夢が実現すれば、手法なんぞ何だっていいはずです

資格や認定があっても、良くない助言はいくらでも存在します。良くない助言とは、救済力のない助言です。基本的に救済力のない助言は、買ってもらえない、続かない、残らない、のです。救済力のない助言は、いかに美辞麗句を弄しても、価値がないと言わざるを得ません。

現在カウンセリングとして提供されているサービスの実情は、ひたすらクライアントの言うことに耳を傾ける「傾聴」という手法が主流です。だから提案は基本的にしない。答えはその人に備わっていると考えます。コーチングも多くはそうです。

私個人はそうしたカウンセリング・コーチングを体験して来ました。意義なしとまでは言いませんが、「傾聴」に終始するやり方にあまり積極的な価値が認めらないのです。

答えはその人に備わっている、これは真理です。傾聴こそ大切、これもその通り。しかし、それがイデオロギーになっているところが、全くもの足りません。イデオロギーゆえに自在性に欠け、人間的愚鈍さを感ざるを得ないのです。さらには、イデオロギーが愚鈍さの言い訳になっているように思われます。

では、理想の助言とはいかなるものか。それは菩薩の知恵に基づいた、自在性のある、なんでもありの手法でしょう。相手が真理に目覚めて自立する、それを可能にするのが菩薩の知恵です。

結局、菩薩の知恵にどれだけ近いか、言い換えれば、助言がどれほどの救済力を持つか、その結果クライアントがいかに自立できるか、これが助言の価値です。

助言者がどれだけの自在性を持つか、これが助言の格を決定するのです。言い換えれば自在性のない助言者ほど、程度が良くないということになります。

結論として、自在性のある、なんでもありの手法こそ、本来の正しい助言なのです。手法は二義的なもので、そんなものにこだわるのは本末顛倒なのです。

何も私に菩薩の知恵が備わっているというつもりはありません。しかし、「菩薩の自在性」、これを目標としたいと思うわけです。

沈黙
276



沈黙のスキルというのがあります。要は質問をキメたら、後は黙って反応を待つことです。

電話でも息遣いだけは聞こえてきますよ。コーチングでは真剣勝負の場面でしょうか。

これとは別にクライアントさんとの話が一段落したときも、このスキルは使います。コーチングのストーリーをコーチ側でつくることは避けたいからです。

さて、私が相手をするのは契約してもらっているクライアントさんと、体験を申し込んでくる一見さんですが、後者はよくセッション終盤に異様に沈黙が長くなることがあります。

これは先方が体験の「食い逃げ」をしたい時に起こる特有の現象です。

私は体験コーチングを受け付けた場合、クロージングするのが適切と思う相手には、こちらから契約をお勧めします。しかし、そうでない相手はクロージングせずに放っておくのです。

反応は通常2通りで、

・お愛想で、コーチング料金を聞いてくる人

・それもしない人

ま、どちらでもいいのです。はじめから体験だけしたい人も多いわけですから。コーチングはその気のない人には絶対買ってもらえない代物なのです。

ポイントは体験とはいえ、自分が納得できるコーチングができたかどうか、いうことです。もし自分が納得できるコーチングができたのに、相手がコーチングを契約しようと思わないのなら、それは私の問題ではなく、相手の問題です。この納得感さえあれば、あとはウジウジ思わず、社会奉仕・社会勉強と割り切るようにしています。
300 カウンセリングは愚痴か
299 助言手法にこだわるな
298 閉塞感の中で一歩踏み出す
297 自分の人生は自分で評価
296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪

*
295 カウンセリングを切り捨てたコーチング
294 目上は変えられない、自分が変わるしかない
293 つかまない
292 ニーズのない人
291 経営者・管理職は外的コントロール世代

*
290 臨床は財産だ
289 『巨人の星』は外的コントロール
288 コーチングはすぐれて論理的な対話
287 ヒマに耐えられる器
286 選択肢はどんどん捨てる

*
285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング
284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう
283 私のコーチング事始
282 教育商品の限界
281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの

*
280 方向性をコンサルティングする
279 地獄から抜け出す
278 ネット・カウンセラー
277 自在性
276 沈黙
*
275 配合比率
274 盲目的な従順は人間失格
273 ウナギになろう
272 嫉妬
271 論理と柔軟性

*
270 『千と千尋の神隠し』
269 論理
268 良心に忠実であるということ
267 対話のパラドックス
266 ネット・カウンセラーの市場

*
265 コーチング・セミナーの意義
264 元「外的コントロール」の信奉者
263 外的コントロールなき家庭
262 骨付きの肉
261 外的コントロール

*
260 衆知を集める
259 争う
258 アンコーチャブルな人の相手(最終)
257 アンコーチャブルな人の相手(続き)
256 アンコーチャブルな人の相手

*
255 自分が探しあたらなければ
254 メール
253 ワクワク感の陥穽
252 今の仕事の否定形
251 気管支炎その後


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