カウンセリングを切り捨てたコーチング
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カウンセリングとコーチングの違いは人によって定義がまちまちです。ですが、大体下記のふたつに分類できるようです。

定義@
コーチングは健常者を扱い、カウンセリングは精神状態が異常な人を扱う。
(コーチングでは励ませるが、カウンセリングでは励ましたりできない)

定義A
カウンセリングは、人が物事を受けとめる受容を主としており、
コーチングは、人をチャレンジさせる行動を主としている。

定義@が社会的通念に近いように思います。しかし定義@には矛盾があります。健常者が落ち込んだ時は、コーチングで対処すべきなのか、カウンセリングで対処すべきなのか?

落ち込むと言うのは「急性精神異常」であり、他人の励ましなど受け付けない状態は充分想定できますから、当然カウンセリングで対処すべきです。

では、コーチングやってる人は落ち込んだ人を相手にできないのか?そんなことでは役立たずと言われても仕方ないです。コーチングでは必ずカウンセリングを併用しなければなりません。

その意味ではコーチングとカウンセリングの線引きを健常者かどうかで行うのではなく、定義Aのように助言の内容で分類するのが正しいでしょう。以下は私の考え方です。

パーソナル・コーチング = カウンセリングのフェーズ + コーチングのフェーズ

ビジネス・コーチング = コーチングのフェーズのみ


パーソナル・コーチングとはカウンセリングとコーチングを融合させたものです。必ずしも両方の要素がなくて、カウンセリングもしくはコーチングのどちらか片方だけでもパーソナル・コーチングたりえます。

これに対してビジネス・コーチングは純粋のコーチングだけです。

おおざっぱに言うとCTIジャパンのコーチングはパーソナル・コーチングで、コーチ21のコーチングはビジネス・コーチングです。

コーチ21のCTPを受講した経験から言うと、コーチ21は良くも悪くもカウンセリングを受講者各自の工夫に委ねていることです。カウンセリングのセンスがもとからある受講者はパーソナル・コーチングに従事できますが、そうでない人はパーソナル・コーチングをこなせません。

しかし、パーソナル・コーチングを志す人はどちらかと言えば少数派です。世間一般では、仕事で役に立てばいい、という人が多数派なので、ビジネス・コーチングだけに絞った方が明快で、却って多くの受講者を見込めるわけです。

CTPのクラス・コーチというのは、カウンセリングの素養が特になくても勤まります。CTPのクラス・コーチでただのひとりも個人クライアントがいないという人もいます。ご本人から直接聞いたのでホントです。

カウンセリングはパーソナル・コーチングの必需品ですが、それをコーチ21みたいに切り捨ててしまうと、こういったことも起きるというわけです。決して批判するつもりはありません。ビジネス・コーチングに特化して、企業やビジネス系の受講者を相手にする方が、ビジネス的には正解だと思います。

目上は変えられない、自分が変わるしかない
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上司や親といった目上との対人関係で、軋轢が絶えない、といった悩みをクライアントさんから持ちかけられることはよくあります。

とあるクライアントさんによれば、上司のすべてがイヤで、ポマードの匂いですらイヤなんだそうです。会社の最寄の駅を通るだけでも憂鬱になる、とおっしゃっていました。

そうかと思えば、父親と口論が絶えず、何とかしなければと思いつつも、口を開けばまた口論になる、というクライアントさんもおられました。

目上との対人関係のコーチングの基本な手順は大体共通しています。失礼ながら、これはパターン化できてしまうのです。

@クライアントの愚痴は一切否定せず、「大変ですね」と承認する。
A目上の相手のありようは、性格なんだからしょうがない、と早く諦めることを勧める。
B目上の相手に対するマイナスの感情をつかまず、やり過ごすことを勧める。
C目上の相手に対しては、避けずに礼儀正しく、明るく挨拶することを勧める。


@〜Bはカウンセリングのフェーズ、Cはコーチングのフェーズです。

カウンセリングのフェーズでは、まず批判せずに愚痴を味方になって傾聴します。コーチはクライアントの100パーセントのサポーターなのです、

次に、あれは性格なんだからしょうがない、と思って早く諦めることを勧めます。年を取れば取るほど、頭も性格も固くなります。目上の相手が変わることなど絶対にないのです。

最後に、いかに軋轢があろうとも、マイナスの感情をつかまず、やり過ごすことを勧めます。相手に対するマイナスの感情はつかまない。心の中で繰り返し反芻したりせず、電車の車窓から見える景色のごとくやり過ごす。そして忘れてしまう、ということです。相手と和解できなくてもよいのです。クライアントがストレスを貯めないよう、メンタル面の工夫にお付き合いします。

コーチングのフェーズでは、避けずに礼儀正しく明るく挨拶することを勧めます。基本的に距離を置くにしても、避けずに礼儀正しく明るく挨拶すること。クライアントの苦手意識が態度に出ると、対人関係に新たな火種を招くからです。苦手意識を払拭する上でも、避けずに挨拶することが肝心です。

以上の手順ですすめ、コーチングのフェーズでクライアントに応じた具体的な行動を導ければ、コーチングは成功です。

間違ってもやるべきではないのは、目上の相手との和解を勧めたりすることです。目上の相手というのは、生易しい存在ではありません。確執がある目上の相手と和解しなさい、と言っても、まずできる人はいないのが現実なのです。

つかまない
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心の法則というのがあります。業の流転を言うのですが、これを変に説く人がたまにいます。

たとえば、自分の子供が心を開いてくれないのは、自分が親に心を開いていないからだ、自分の親と和解しなさい、と勧めたりするわけです。

私は、こういう意見は苦手です。なるほどそうかもしれないが、親と和解するというのが、人によってどれほど難しいことか、その現実を知らないのだ、と言うしかないです。

親子として生まれてきたというのは、プラスの因縁に負けず劣らず、マイナスの因縁も想像を絶するほど強力なのです。親と確執がある人に和解しなさい、と言っても、まずできる人はいないのが現実でしょう。

因果を抜け出すために、心の法則を使うのは危険です。経験的に因果を抜け出すためには、「つかまない」ことだと思っています。

私がコーチングで心がけているのは、その人の今のありようはそのまま肯定する代わりに、とにかくマイナスの感情をつかまず、やり過ごすこと、に思い至っていただくことです。

親と和解できなくてもよい。ただし、いかに軋轢があろうとも、親に対するマイナスの感情はつかまない。心の中で繰り返し反芻したりせず、電車の車窓から見える景色のごとくやり過ごす。そして忘れてしまう。

つかまないこと、これが肝心です。つかまなければ変な「果」は出ません。全てが好転を始めます。つかまない、というのは努力次第で誰にでもできるし、これはぜひともやらなければならないことだと思います。

「つかまない」ができないで、和解なんぞ無理です。その意味では「つかまない」が和解の第一歩でもあるのです。親と無理に和解しようとしたりすれば、それこそ「つかんでしまう」結果、逆効果になるのが見えてます。

因果を乗り越えるためには「つかまない」、これがポイントです。そして自分の心が時として波立つことはあっても、ふだんはこだわりなく上機嫌であれば、因が果となり、果が因となる因果のサイクルは超えうるものと思います。

人間の心なんて煩悩の巣窟です。私だって、怒り・嫉妬・不安と言ったマイナスの感情が湧き起こることがありますが、極力つかまないようにしています。

ニーズのない人
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契約していただいているクライアントさんから、かって、

「今日は特に(話を聴いていただきたいことは)何もありません」

と言われたことがあります。コーチングは、クライアントが何かをしたいという意図がない限り不可能です。その日はセッションをパスしたのは言うまでもありません。

必要もないのに無理にコーチングする、というのはセミナーなどでコーチングの実習をするときによくあるケースです。あるセミナーで理想と現実のギャップがあるようなのをテーマに選ぶように言ったところ、「寝不足なのでコーチングしてほしい」というテーマを出してきた受講者がいて、絶句したことがあります。

寝れば解決することなので、全くコーチングに相応しくないテーマです。もともとコーチングのニーズがないのに、無理にコーチングしようとするから、こんなテーマが出てくるわけです。

ニーズのない人はコーチングできないし、する必要もないのです。

コーチングを体験したいけれど、コーチングのニーズのない人がたまに連絡を取ってこられます。文面からある程度想像つくのですが、いざ何をどうしたいのですか、という話になると先方が答えに詰まってしまい、先方から早々に話を切り上げるということも何度か体験してきています。

コーチングはコーチが適当に話相手になってくれるだろう、では成立しない代物なのです。単なる雑談とはコミュニケーションの質が違う、というしかありません。

経営者・管理職は外的コントロール世代
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今の職場は、外的コントロールが良しとされた時代に教育を受けた古い世代と、外的コントロールを受け入れない時代に教育を受けた新しい世代が混在しています。「過渡期」というわけです。

古い世代には外的コントロールを当然と考える向きがまだまだ多い。これに対して、新しい世代は外的コントロールは受け付けないのです。その結果、古い世代と新しい世代の間で歴然とした価値観の相違が認められ、いろいろな軋轢が起こるというわけです。このように外的コントロールの観点から、現在の職場の状況をとらえると、よく理解できますね。

経営者・管理職は外的コントロールが良しとされた時代に教育を受けた古い世代が大半です。ということは、部下の機嫌を取るかのようなビジネス・コーチングの会話術には抵抗がある人が大半なのです。経営者・管理職に会話術の観点からビジネス・コーチングを語るとまず受けないと思います。

ビジネス・コーチングのセミナーを受けた管理職で、たまに「コーチングはダメだ。あんなもの使えない」断ずる向きがあります。これはセミナー講師が悪いから起こる現象です。世間では講師の多くが「コーチングは会話術」と紹介しています。そんな説明をされたら、その「軽さ」「胡散臭さ」「幼稚さ」に呆れかえって、閉口するのがむしろ当然でしょう。経営や人使いはそういった軽薄なものではないからです。

経営者・管理職に外的コントロールという観点からビジネス・コーチングを説明すると、「ほう」と身を乗り出して聞いてくれることでしょう。
300 カウンセリングは愚痴か
299 助言手法にこだわるな
298 閉塞感の中で一歩踏み出す
297 自分の人生は自分で評価
296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪

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295 カウンセリングを切り捨てたコーチング
294 目上は変えられない、自分が変わるしかない
293 つかまない
292 ニーズのない人
291 経営者・管理職は外的コントロール世代
*
290 臨床は財産だ
289 『巨人の星』は外的コントロール
288 コーチングはすぐれて論理的な対話
287 ヒマに耐えられる器
286 選択肢はどんどん捨てる

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285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング
284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう
283 私のコーチング事始
282 教育商品の限界
281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの

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280 方向性をコンサルティングする
279 地獄から抜け出す
278 ネット・カウンセラー
277 自在性
276 沈黙

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275 配合比率
274 盲目的な従順は人間失格
273 ウナギになろう
272 嫉妬
271 論理と柔軟性

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270 『千と千尋の神隠し』
269 論理
268 良心に忠実であるということ
267 対話のパラドックス
266 ネット・カウンセラーの市場

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265 コーチング・セミナーの意義
264 元「外的コントロール」の信奉者
263 外的コントロールなき家庭
262 骨付きの肉
261 外的コントロール

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260 衆知を集める
259 争う
258 アンコーチャブルな人の相手(最終)
257 アンコーチャブルな人の相手(続き)
256 アンコーチャブルな人の相手

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255 自分が探しあたらなければ
254 メール
253 ワクワク感の陥穽
252 今の仕事の否定形
251 気管支炎その後


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