ビジネス・コーチングのセミナーを受けた人で、たまに「コーチングはダメだ。あんなもの使えない」断ずる向きがあります。これはセミナー講師が悪いから起こる現象です。世間では講師の多くが「コーチングは会話術」と紹介しています。そんな説明をされたら、その「軽さ」「臭さ」「幼稚さ」に呆れかえって、閉口するのがむしろ当然でしょう。 「外的コントロールを排除する、そのために質問型のコミュニケーションを使う」 ビジネス・コーチングと言っても要はこれだけのことです。考え方をキッチリ押さえれば実に簡単です。 ポイントは一にも二にも「外的コントロールの排除」、これに尽きます。極端な話、外的コントロールの弊害が理解できたら、コーチングの理解なんかどうだっていいのです。コーチングは「外的コントロールゼロ」をサポートする手法だと言ってもいいくらいだからです。「外的コントロールの排除」ができれば、職場のコミュニケーションは上司の人間力だけの勝負となります。 世間ではまだまだ多くの人が「外的コントロール」を信奉しています。私自身も外的コントロールを長い間正しいこと、と理解していました。十分人間力のある人が、外的コントロールについて誤解しているため、ストレスに満ちた職場運営行っているというのは、まだまだ多いと思われます。コーチングのセミナーの意義はと言えば、「外的コントロールを糾す」、この一点に尽きると考えます。それさえできたら、会話術なんて何だっていいのです。 職場のコミュニケーションがうまくいかないとすれば、 1. 外的コントロールがあるか 2. 上司の人間力が足らないか のいずれか、と断言していいでしょう。 外的コントロールがないのに職場のコミュニケーションがうまく行かないとすれば、もう原因はただひとつ、上司の人間力が不足している、ということです。これはコーチングを習っても解決にはなりません。人間力は時間をかけて、総合的に身につけるしかないわけです。
外的コントロールはもちろんないのが望ましい。しかし世間はまだまだ外的コントロールの世界です。宮様のようにまったく外的コントロールのない世界で純粋培養されても、百鬼夜行の世間に出れば戸惑うことは想像に難くありません。 外的コントロールに対する耐久力をつける、という意味では外的コントロールを使う団体に所属してあながち悪い、ということもないと思います。たとえば大学の部活です。外的コントロールの全くない部活は想像しにくいですね。 私は大学時代は文化会英語研究部(ESS)に所属していました。当時は体育会系のバンカラなところが残っており、外的コントロールどころか、後輩を鍛えるのに手を出していました。ふだんはそうでもないのですけれど、イベントの準備になると、反省会という形で、叱られて罵声を浴びせられるはしょっちゅうで、私も何度かどつかれたり、むなぐらをつかまれたりしたことがあります。 それが悪かったか、というと必ずしもそうではないと思います。私はえげつない外的コントロールに対して、経験豊富になり、耐久力は人一倍つき、少々のことではビビらなくなったからです。 では、よかったか?正直なところ個人的には、私をどついたり、むなぐらをつかんだりした先輩は、今もって大嫌いです。いまさら会いたくもないです。だから同窓会には意地でも出て行きません。これは外的コントロールを使った結果です。 結論としては、大学の部活で少々の外的コントロールは結構ですが、企業では不可です。企業は部活のように数年で人間関係が清算できるわけではないからです。また結構だというのも、あくまで、外的コントロールに対する耐久力をつける上での効用が認められる、というだけのことです。それ以外はいい点は一つもありません。 部活の伝統に従い、私も後輩にえげつない外的コントロールを当然のことのように行使していましたし、当時はそういうのをよし、と勘違いしておりました。そんな思い違いをしたまま、女性と付き合ってもうまくいきませんわね。 今から考えると、若いころには冷や汗ものの言動を何度もやって来ています。もともとが外的コントロールの家庭で育ったので、「外的コントロールゼロの円満さ」がもの足りませんでした。「外的コントロールゼロの円満さ」を甘さ、女々しさ、刺激のなさと理解し、軽蔑すらしていたのです。 しかし、後年外的コントロールを使うことによって孤立し、友人はできず、女性は逃げて行き、手ひどいしっぺ返しを味わうにいたったわけです。外的コントロールを続けていると全てを失ってしまう、とようやく気付きました。そんなわけで、「外的コントロールゼロの円満さ」の価値を本当に理解できたのは、社会人になってずいぶん経ってからでした。 外的コントロールに対して耐久力がつくのは悪くありませんが、自分が外的コントロールを使えば、どう考えても「百害あって一利なし」なのです。
今から二十数年前のことになりますが、私はミッション系の大学に通っておりました。学部の英語の教授が米人の元宣教師のB先生で、この先生の授業は3年間取りました。 B先生はキャンパス内の外人教授住宅に奥さんとお住まいでした。この奥さんがバイブル・クラスとユース・フェローシップを自宅で主宰しておられ、週一で集いがあるのですが、英語に興味を持つ学生がご家庭に出入りしていました。お手製のクッキーを焼いてくださって、それをいただきながら、奥さんの英語のお話をうかがったり、英語で感想を語ったりするわけです。私は在学中通いつづけたわけですが、この集いは20年の長きにわたり継続されました。 ご夫妻の外人住宅に充満する米国の雰囲気とクッキーの香りは私の学生時代のよき思い出です。 さて、このご夫妻のお人柄が全く素晴らしく、今にして思えば外的コントロールがゼロの家庭を営んでおられました。キリスト教のバックグラウンドがなせるわざと思われますが、常に和顔愛語、柔和にして円満な雰囲気で、別世界という感じでした。つねに人を褒め、良きことのみを口にされます。人を批判するようなこと、悪しきことは一切口にされません。私の実家はかなり外的コントロールの強い家庭で、私は外的コントロールをあたりまえとして育ちました。ですから、教授夫妻のご家庭の円満な雰囲気は新鮮でした。 当初はさほどでもありませんでしたが、在学中だんだん教授夫妻に感化されて、家庭とはこのように営むのか、かくありたいものだな、と思うようになりました。後年、交換留学した折、いくつかのご家庭でホーム・ステイも経験しましたが、教授夫妻のご家庭の円満さは特別だったと思います。 教授は私の卒業した10年後に大学を退官され、夫妻は米国に帰国されました。それから数年後一度来日されました。有志が同窓会を呼びかけてくれ、家族同伴でご夫妻をお迎えしましょう、ということになり、大学の学生会館でリセプションが開かれたのです。 ご夫妻はほとんど変わりなく健在でした。訪れて驚いたのは、そして全国津々浦々から50名近い同窓生が集まったことです。そして以前と変わらない和顔愛語、柔和にして円満な雰囲気がそこに現れたことです。 同伴した家内は全く違う大学出身ですが、「この先生すごいね」と感嘆することしきりでした。外的コントロールが全くないという人間的な暖かさが、卒業後かなり時間が経っているのにもかかわらず、これほど多くの同窓生を引き寄せたわけですから。 「外的コントロール」という言葉を知ったのは、ここ最近ですが、「外的コントロールなき家庭」は学生時代に経験できています。この結果、私は今日まで何とか自分の家庭を外的コントロールゼロで営んで来ることができました。お陰さまで円満にして平和な家庭が実現できています。 今にして思い返せば、大学時代の最大の収穫は「外的コントロールなき家庭」を体験できたことであったと思います。また「外的コントロールゼロ」の座標軸を持つがゆえに、どんな外的コントロールに対して自分を曲げずに対処できるようになりました。これもご夫妻との出会いがあったお陰だと思っています。
人間円満な人生を築いていこうと思えば他人に寛容でなくてはなりません。 他人(家族も含めて)の発言には、必ず自分の「食えない」箇所があります。話の一部であることもあるし、全部であることもある。これにいちいち目くじらを立てていたのではダメということです。 食えない箇所はストレスなく、やり過ごす。気に障るようなことを言われても、 「ハイハイ、そうですね、そういう考え方もできますね、私はそんなふうには思いませんけどね」 つまりAが正しいが、あなたがBということに敢えて反対はしない、あなたがそう考えることは今のところあなたにとって真実なんでしょうから、と考えるわけです。 他人に寛容とは、どういうことか。その多くはコミュニケーションにおける寛容ということです。食えない箇所は除いて、食べられる箇所のみ食べる。たとえて言えば、骨付きの肉をむしろ好んで食べる感じといえます。骨を除く作業を厭わず、むしろ楽しむ、これがポイントです。 骨付きの肉を好んで食べる人は交友関係を広げていけますが、骨なしの肉にこだわる人は、交友関係が広がらず、狭い人間関係のなかで、「ああ言われた、こう言われた」と傷つくことになる。どちらが賢明か明らかでしょう。 仕方なく骨付きの肉を食べていた人が、好んで骨付きの肉を食べるようになったとき、「殻をやぶった」とか「一皮剥けた」とかいう表現が使われるのではないでしょうか。 コーチング・カウンセリングで、クライアントさんが好んで骨付きの肉を食べるようになったすれば、間違いなくクライアントさんが成長されたと言っていいと思います。包容力が身についたということですね。
過日某社でビジネス・コーチングの研修を担当させていただきました。 私の研修では、コーチングは話術ではなくコンセプトである、ということを徹底して理解していただきます。何のためのコーチングなのか、これはいかに衆知を集めるか、ということに尽きます。衆知を活用できたものが、経済活動の勝者になるわけです。 衆知を活用するためには、タテ・ヨコの人間関係のストレスをなくし、コミュニケーションをとりやすくする、これがポイントです。そのためにはどうあっても、1. 批判する、2.責める、3.文句を言う、4.ガミガミ言う、5.脅す、6.罰する、7.ほうびで釣る、の外的コントロールはなくさなければいけません。これはコーチング以前の問題です。外的コントロールの横行している組織で、コーチングが根付くことはありません。 高度成長期が終焉するまでは外的コントロールは社会的に是認されていました。それは「巨人の星」というスポ根アニメが人気があったことにも現れています。「巨人の星」は全編、外的コントロールに貫かれています。「巨人の星」を見て育った世代は古い世代、つまり外的コントロールが良しとされた時代に育った世代です。まだまだこの世代は職場に多く残っています。不肖私もこの世代に属します。 新旧いずれの世代でも、外的コントロールを使われると、不快ですし、ストレスもたまります。しかし、旧世代は「根性」は理解し、外的コントロールに関しては抵抗力はあると言えます。 これに対し、近年の若い世代は民主化・平等化教育の結果、「根性」という概念がもてはやされない環境下で育っています。外的コントロールは通用しない、と思うべきでしょう。また、民主化・平等化教育で育てられた人材は、外的コントロールに対する抵抗力がほとんどないと考えるべきです。 つまり、世間の職場には新旧の世代が存在し、外的コントロールに対する価値観が異なるのです。外的コントロールを排するということは、結果的には新旧両世代のうちの新世代に価値観を合わせるかのように思えます。これが一部の旧世代の人には癪にさわるらしいのです。外的コントロールを排することを若い世代におもねる、ように感じる方もいるようです。 決して、おもねるのではありません。衆知を結集できる組織は、外的コントロールのない組織です。だから意識的にこちらを選択するわけです。 質問を募ったところ、 「外的コントロールの上司はどう変えたらいいのですか」 と訊いてきた人がいました。期せずして多くの受講者から笑いがもれました。役員の某氏が典型的な外的コントロールのタイプだと言うのです。 「あきらめてください。絶対に変わりません。そういう人なんだ、と思うしかないですね」(爆笑) という受答えになりました。世間にまだまだ外的コントロールを使う人は多いです。新旧どちらの世代に属していようとも、外的コントロールに対して十分な抵抗力は養わなければなりませんね。 |
|||||||||||||||||||||
300 カウンセリングは愚痴か 299 助言手法にこだわるな 298 閉塞感の中で一歩踏み出す 297 自分の人生は自分で評価 296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪 * 295 カウンセリングを切り捨てたコーチング 294 目上は変えられない、自分が変わるしかない 293 つかまない 292 ニーズのない人 291 経営者・管理職は外的コントロール世代 * 290 臨床は財産だ 289 『巨人の星』は外的コントロール 288 コーチングはすぐれて論理的な対話 287 ヒマに耐えられる器 286 選択肢はどんどん捨てる * 285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング 284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう 283 私のコーチング事始 282 教育商品の限界 281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの * 280 方向性をコンサルティングする 279 地獄から抜け出す 278 ネット・カウンセラー 277 自在性 276 沈黙 * 275 配合比率 274 盲目的な従順は人間失格 273 ウナギになろう 272 嫉妬 271 論理と柔軟性 * 270 『千と千尋の神隠し』 269 論理 268 良心に忠実であるということ 267 対話のパラドックス 266 ネット・カウンセラーの市場 * 265 コーチング・セミナーの意義 264 元「外的コントロール」の信奉者 263 外的コントロールなき家庭 262 骨付きの肉 261 外的コントロール * 260 衆知を集める 259 争う 258 アンコーチャブルな人の相手(最終) 257 アンコーチャブルな人の相手(続き) 256 アンコーチャブルな人の相手 * 255 自分が探しあたらなければ 254 メール 253 ワクワク感の陥穽 252 今の仕事の否定形 251 気管支炎その後 *** コーチングを受けてみませんか *** コーチングとは(私見) *** 社会人のためのカウンセリング *** カウンセリングとコーチング *** ビジネス・コーチング入門 *** ライフワーク・コーチングの奨め *** オーケストラ再生のオーディオ *** オーケストラ録音を聴く |
|||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||
All copyrights reserved | 2006 Yoshiaki Sugimoto |