立志のカウンセリング
350



クライアントさんと自己実現を語る機会は多いです。いろいろお相手してきてだいたいパターンというのが見えてきました。次のようなものです。

@サラリーマンをしていて仕事で自己実現はまずできない。雇われている限り組織の都合で仕事を割り当てられるからである。

Aしたがって自己実現のためには何らかの形で「起業」する必要がある。起業は本業・副業、収入のあるなしを問わない。

B起業するためには「立志」つまり、志を立てることが必要。すなわち「自分はこの道を行くんだ」という思いが明確化しないとダメである。

C立志は「出会い」によってもたらされる。人との出会い、本との出合い、物事との出会いがあって、「これだ」という思いが呼び覚まされる。

Dだからじっとしていてはダメである。人との出会い、本との出合い、物事との出会いを求めて動かなければならない。


Dの段階の方はきわめて多いのですが、通常なんとなくこの方向という手がかりはあるものです。それはいままでやってきたことを延長・発展させたことです。

立志をすませた人に行う助言はコーチング、しかしこれから立志する人に行う助言はカウンセリングです。

立志のカウンセリングは徐々に夜明けが来る感じで、いろいろやってるうちに「どうも、自分は○○するために生まれてきたようだ」とだんだん気付いてきます。この道は自分がかつて歩んだ道でもあり、個人的には一番やりがいを感じます。

単なる進路探しのキャリア・カウンセリングでは本当の自己実現は追求できない、と私は思っています。

対抗意識
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職場のストレスで大きいのは対人関係のストレスです。外的コントロールを使う人が職場にいると、それが上司であれ部下であれ、ストレスを生みます。コミュニケーションを取れば、意見の違いが人格の否定に微妙につながっているケースです。

しかし外的コントロールのない職場でもストレスの種はあるのです。それは嫉妬ということ。Aさんは高く評価されるのにBさんはそうではない、といった場合、Bさんはある種の嫉妬をいだき、これがストレスになるわけです。

とくに同期入社がかたまっているような職場は大変なようです。ちょっとした評価の差が、何かにつけて対抗意識を生むので、これは強烈なストレスを生むのは想像に難くありません。同期入社で片や上司、片や部下なら双方やりにくいことこの上ないでしょう。

やっぱり職場は同期入社や同じ年齢層で固めるのではなく、適当に年齢を散らしたほうがよいようです。たとえば7年開きがあるという場合、双方に割り切りというのがあります。つまり年齢差ゆえに対抗意識は生じないというわけです。

また同族企業だと、同族はとくに支障のない限り役職につきます。この事実に対しては他の社員の割り切りがやはりあって、無用な対抗意識は生じません。

また対抗意識があっても、業容が拡大している職場では、お互い自分の仕事で忙しいわけですから、変なストレスは生じないと考えられます。

逆に、年齢が近い優秀な人材のあつまったチームが業容縮小傾向にあって、閉塞感に満ちている、とすれば強烈なストレスが生じることでしょう。

クライアントのHさんの職場で、鬱で休む人が多発したのですが、よくよく話を聞いてみると、まさにこの構図があったようです。

なかなか難しいものです。職場のストレスは外的コントロールだけではないのです。

子どもが小さいうちに子離れしよう
348



過日こんな記事を書いています

身内に対する甘え、というのがあります。

つまり他人に対しては礼儀正しいのだが、身内になると礼儀どころではない、という現象です。そして外的コントロールをバンバン行使する。誰しもある程度そういった側面はありますが、とくに若い母親と子どもの関係に顕著です。

マンションのエレベーターで幼稚園に通うとある親子と一緒になることが多いのですが、いつもこんな調子です:

・要請や依頼がすべて批判に変わっている

「早く着替えなさいと言ったでしょう」

「早く着替えなさいと言ったのにどうしてできないの」

・意見の相違を人格の否定と受け取る

「お母さんの言うことがきけないのね、じゃ勝手になさい」

エレベーターでこんなですから、実生活はいかばかりか。

私の幼児期にも思い当たることがあります。それは母親がいつもキイキイ声を出している、という記憶。それとよそのおばさんは優しいのに、自分の母親はいつも怒っていて、いやだなあという記憶です。私の母親は幼児期の私に結構暴力も振るったため、あまりいい思い出が残っていません。


さてなぜ母親は自分の子どもを虐待?するのでしょうか。結局自分の体から生まれたということで、自分の体の一部のように感じて、自分と同一視してしまうのではないかと思います。

その結果、子どもの人格を認め得ず、私物化してしまうのでしょう。それからすると、父親は子どもを自然に無理なく別人格と扱うことができると言えそうです。

自分の子どもを守るというのは母親に動物的本能としてビルトインされているのですが、この動物的本能が前面に出ると、子どもの人格を認めるという理性的な行動が取りにくいのだと思います。

子どもの人格を認めるというのは、子どもを客観視し、距離を保つ必要があります。その意味では「子離れ」であり、手段を選ばす子どもを守るという動物的本能とは明らかに逆行すると考えられます。

概して教養のない女性ほど自分の子どもに暴力を振るうし、罵倒します。最悪の場合虐待死とか無理心中もニュースで見ます。

つまり聡明さに欠け、動物的本能が勝っている女性ほど、子どもに外的コントロールを使う、ということになります。こう言ったら失礼でしょうか。

あるべき方向は子どもの人格を認めて子離れし、外的コントロールを使わない。そのやり方としてコーチングは使えます。コーチングは外的コントロールを回避する手法だからです。

結論は、

「子どもが小さいうちに子離れしよう」

ということです。子離れはいずれ必要です。ならば子どもが小さいうちに子離れして、子どもと円満な関係を築く、これが最善の選択だと思います。

論理展開
347



コーチングは心理療法(セラピー)ではありません。

違いはどこにあるのか。コーチングはあくまで理屈・論理で話を進めるが、セラピーはそうではないということです。

先日連絡を取ってきた人ですが、こんな会話になりました。

「今日は○○さんの何をお手伝いすればいいですか」

まだ考えがまとまっていませんがひとつには上司との人間関係があります」

「上司との人間関係をどうされたいのですか」

どうするべきかよくわからないのです

「何が問題なのですか」

「上司がキツイ人で、よく叱責されます」

「じゃあ、上司との関係を改善したいのですね」

そうかもしれません

私は下線部の答えひとつひとつが腑に落ちません。話を前に進めるのが非常に困難です。こういう思考もありうるのでしょうが、私はお付き合いしたくありません。こんなありさまでは上司が怒るのも無理もないでしょう。

この人は問題解決というよりただ癒しの話相手が欲しいのではないのかと思わざるを得ないのです。セラピーだったらこんなのでも延々付き合っていくのだと思いますが、少なくとも私はセラピストではありません。

結局、「悪いが今回はコーチング無理だと思います」と言って早々に打ち切りました。キャッチボールをするのに毎回ゴロが返ってきたら、いかにコーチが良心的であってもこう言うしかありません。

やはりコーチングは論理展開があって、クライアント・コーチ双方がその論理展開に共感できたときに契約して定期的にセッションを持つに到るわけです。つまり論理展開が前に進まなければ、コーチング不能(アンコーチャブル)と言っていいと思います。

身内の甘え
346



身内に対する甘え、というのがあります。

つまり他人に対しては礼儀正しいのだが、身内になると礼儀どころではない、という現象です。そして外的コントロールをバンバン行使する。誰しもある程度そういった側面はありますが、とくに若い母親と子どもの関係に顕著です。

マンションのエレベーターで幼稚園に通うとある親子と一緒になることが多いのですが、いつもこんな調子です:

・要請や依頼がすべて批判に変わっている

「早く着替えなさいと言ったでしょう」

「早く着替えなさいと言ったのにどうしてできないの」

・意見の相違を人格の否定と受け取る

「お母さんの言うことがきけないのね、じゃ勝手になさい」

エレベーターでこんなですから、実生活はいかばかりか。

私の幼児期にも思い当たることがあります。それは母親がいつもキイキイ声を出している、という記憶。それとよそのおばさんは優しいのに、自分の母親はいつも怒っていて、いやだなあという記憶です。私の母親は幼児期の私に結構暴力も振るったため、あまりいい思い出が残っていません。

その程度ですめばよいのですが、身内だからということで長年言いたい放題言ってきた結果、もうどうあっても収拾不可能な骨肉の争いと言うのは世間に多いです。

私も身内といろいろ葛藤がありました。行き着いた結論は、身内は他人と思え、いや他人以上に礼節をつくせ、です。身内の甘えを捨てて礼節を尽くすためには、何よりも外的コントロールという「強要・強制」を排除しなくてはなりません。

家庭が崩壊の危機に瀕しているクライアントさんには例外なく身内の甘えを捨てることを提言しています。ホントは身内だからこそ他人以上に礼儀正しくなければならないのです。天皇家はよいお手本です。天皇家というとみなさん極論だと言って笑うのですが、私は大真面目です。

身内に甘えて外的コントロールを行使するというのは結局聡明さの欠如、と考えざるを得ません。聡明さの第一番の条件は、身内だからこそ他人以上に礼儀正しくなることなのです。この聡明さを多くの人が身に付けることが人類の進化と言っても過言ではないでしょう。
350 立志のカウンセリング
349 対抗意識
348 子どもが小さいうちに子離れしよう
347 論理展開
346 身内の甘え
*
345 幅の広さ
344 全面降伏
343 もう少し発想を変えませんか
342 自分に忠実であること
341 精神年齢

*
340 ありのままの自分を受け入れてもらうしかない
339 冬の花
338 一芸を極める
337 詐欺師のトーク
336 挫折も無駄ではない

*
335 秘密厳守
334 サザエさんブルー
333 アンチテーゼ推進派
332 トイレ中座
331 同居人で上々

*
330 目的地が手段とか状態ではダメ
329 人間力は笑わせる力
328 命名
327 占い師
326 本1冊の分量

*
325 感化力
324 タイプ分け
323 フィードバック
322 コーチングの間隔
321 パソコン顛末記

*
320 情報発信
319 ホステス・トーク
318 身内に対する甘え
317 マザー・テレサの言葉
316 カウンセリング力とは

*
315 悩みの解決
314 失敗談を話す
313 幅の広いものの見方
312 そうかい
311 摂食障害

*
310 答えはクライアントの選択するもの
309 酪農コーチング
308 2日間研修
307 問題点の抽出
306 また風邪

*
305 成り行きまかせ
304 文体
303 コーチングの本の出版
302 フィードバックには毒消しを
301 パレートの法則(80対20の法則)を理解してもらう


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