Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.12.8訂正
2000.10.5

玄関へ「浮世の有様」目次(抄)


「浮世の有様 巻之六」

◇禁転載◇

大塩の乱 その13

 









廿四日、信貴山の辺恩地といへる処にて、瀬田済之助首を縛〔縊り、渡辺良左衛門も其辺にて切腹をなす。何れも長持にて取寄塩漬となりしといふ。

廿五日、大塩下人三平・森口の質家両人 *1、伏見にて召捕られ送り来る。

大塩平八郎は十八日夜妾子を刺殺せしといふ噂なりしが、此者の妾 十八歳枚方近在の代官の女にて、格之助が妻の積りにて差越せしを、其事なく平八これを妾となし、昨年男子を生みしといへり。 并に二才の男子に山田何とやらん腹心の者を附け、出入の者三人を添へ能勢の妙見へ七日已前に参籠せしめ、密に山田に命じ、「能勢の山奥にて二人ともに刺殺すべし」と命ぜしかども、山田これを殺すに忍びずしてある中に、此度大変起り、御吟味厳しくして能勢に居る事なり難く、京都へ忍び出でしに、遂に同処にて捕はれしといふ事なり。

 に



 









小泉円次郎 *2 が切られし事、種々取沙汰有りしかども、此者大塩腹心の者なりしに叛心を生じ、御奉行へ内通せんとせし故、瀬田これを切り自身も手負ひ逃げかへりしといふ。

此騒動に付与力・同心早朝より不残奉行所へ召されて、与力町には大塩が焼立てし時は、当人のむきは一人もあらざりしといふ。

其日の未明より何となく大塩が屋敷騒々しく、鉄炮を打立て騒ぎしかど、近辺にては鉄炮方の与力の事なれば、米価高直の折柄なれば、京の方より一揆にて出来りしや。

又例の肝癪にて家内をあばるゝにや 毎々肝癪を起し、大に騒がしき事常なりといふ。 抔いひてうつかりせしに、思ひ寄らず向の浅岡助之丞が家敷へ鉄炮を打込み、夫よりして外々を焼立てしと言へり。こは何の趣意にて斯る事するやと、大狼狽ヘにて途方を失ひしといふ。すべて此一條は朝岡・工藤等へ入込み、堂島中町福島屋忠二郎といへる者の咄し也。

又同人の咄に、桑原権二郎不首尾 にて盗賊方を召上られし〔が脱カ、此度の騒動に就いて俄に帰役申付けられ、若しや吉野山中に隠れぬる事も計り難ければ、其辺の百姓五六百を催し、山内一統鉄炮にて探すべし」といへる事なり。已に此間金剛山をも五百人の人夫を催し、鉄炮にて狩立てしが一人もあらざりしといふ。こは三月四日頃の事なりし。

〔頭書〕山本・寺西抔いへる与力、闕所となるべき科人より金五百両宛の賂を取、無事に計らひし事露顕し、両人共手錠にて総会所預けと成りしといふい。こは桑原が帰役と同じく、三月二日頃の事なりし。

 
 











瀬田済之助が妻は同勤工藤が女にて、十八日夜小児を刺殺し、立派に自害せしといふ噂なりしが、之も偽りにして、三月五日奈良より召捕られ来る。荘司儀左衛門も其辺にて召捕られ、都合十四人連帰りしといふ。

阿波国にては、悪徒船にて同国へ落行き、深山に隠れ居るよし、専ら風説ありしにぞ、大勢にて其山を取巻き鉄炮を打立て国中大騒動なりしといふ。

爰に別してをかしかりしは、山崎天王山の麓なる寺の納家失火ありしかば、誰いふ共なく、「大坂の悪徒天王山に楯籠り近辺を放火す」といひしにぞ、あわて狼狽て其由を淀へ早速に注進せしかば、淀一家中人を払つて駈け出し、大騒動をなせしといへり。

与力町焼失の跡御吟味ありしに、悪徒の中にもいかゞ心得違へる馬鹿者なるや、家財雑具は申すに及ばず、古き鼠落迄も蔵へ積入れ、窓・戸前等の目塗迄十分になし、家を明殻にして焼失ひし者ありしといふ。かゝる大罪を犯しながら、本の家に帰り住まんと思へるにや、淺ましき心といふべし。

 


*1 杉山三平と守口の白井孝右衛門。
*2 小泉淵次郎。


森鴎外「大塩平八郎」その9「八軒屋、新築地、下寺町」
森鴎外「大塩平八郎」その11「信貴越」
森鴎外「大塩平八郎」その17「処罰者一覧」


「大塩の乱」 その12/その14
「浮世の有様」大塩の乱関係目次

大塩の乱関係史料集目次

玄関へ