『千と千尋の神隠し』
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『千と千尋の神隠し』というアニメがあります。あの湯屋こそ日本社会そのものだと思います。たいへん統制がとれているのですけれど、ソクラテス・プラトン流の対話の文化はなじみにくいでしょう。対話は個の文化ですからね。

対話の文化というのは、WHY・BECAUSEの論理で、徹底して「どうして?どうして?」と問答することです。文化欧米ではこうした対話が紀元前より文化としてあるのです。ちなみに対話というのは英語でダイアログ(dialogue)ですが、ギリシャ語ではディアロゴス、つまりディア(異なる)+ロゴス(論理)の意で、2つの異なった論理がぶつかり合うことを意味しています。論理(ロゴス)そのものが対話(ディアロゴス)から生まれてくる、というわけです。

ディアロゴスのサンプルは、アメリカの裁判もののドラマに見ることができます。ああいうねちっこい論理的対話は日本人は苦手でしょう。あれは多民族国家ならではの世界です。多民族国家はコミュニケーションを十分取らないとやっていけないので、徹底して議論するという文化的背景があるのです。

しかし、日本社会ではコミュニケーションが十分取れなくてもそれなりにやっていけます。その結果、しばしばコミュニケーションが十分ではなく、科学的(論理的)でないケースが見られます。「わかるやろ」「わかった」の以心伝心で問題を深めるのは限界があるのです。以心伝心も大切ですが、日本社会では努めて、科学的(論理的)に問題に取り組む必要があります。

たとえば、営業支社で売り上げがあがらない、といったケースを想像してみてください。長期間実績なしの「坊主」の人がごろごろいる、としましょう。

多くの場合、こういった組織ではかけ声や号令はあっても、対話がないことが多いのです。つまり農耕社会でそれなりの統制が取れているが、かけ声・号令に納得できない。また納得できたとしても、具体的にどうしたらいいかわからない。科学的(論理的)なアプローチが欠けているのです。

まず、第一の処方箋は上司と部下の対話を導入することでしょう。この対話がコーチングというわけです。注意すべきは、批判や怒気は禁物、ということです。とにかく、外的コントロールがあったのでは、対話の価値が半減するのです。これさえ守れたら、話術なんか関係ないと言っていいです。親身に、

「何が問題なの」
「どうしたらいいと思うの」
「いつからやるの」

が基本ですが、

「たとえば、○○する、というのはどう?」

と提案してもいいわけです。

そうして、相手に答えさせて選択の余地を与える代わりに、自分で選択した答えは守るよう約束してもらいます。一方的に言い渡した命令に約束はないでしょう。しかし、相手が自分で選択した答えなら約束させられます。

成績の上がらない人ほど、2〜3日程度の短期スパンで小刻みに管理するのがコツです。できたら対話の内容はメモを取って、前回の対話の内容をレビューしながら対話するのがよいです。ポイントはジャッキ・アップ、すなわち少しずつ上げていって、後退させないことです。

アジア農耕社会の統制 + 欧米流対話 = 勝ち残る組織

これが日本におけるマネジメントの方程式なのです。欧米式対話の導入が最重点課題です。湯婆婆では当然ハナシにならんわけです。

論理
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私は大学時代、学部は経済でしたが、大半は英語の勉強ばかりやってました。部活も文化会の英語研究部(ESS)に所属し、役員もつとめました。

英語を使う場合、当然ながら母国語のように言葉をあやつれません。下手な語学力をカバーするため、どうしても論理で言葉を補強せざるを得ないのです。

私の入部当時のころの話です。そのころから語彙力はわりとあって、自分では一応会話はできると思っていたのですが、私が留学生と英語で会話しているのを聞いていたOBの方がこう言われたのです。

「君が何を言いたいのか、相手はわかってないよ。これが言いたいということを論理的にしゃべるべきだね」

つまり、当時の私は逐語訳的な考え方で英語をとらえていて、論理にうとかったわけです。

ESSでディベートなどのイベントに出る場合は、実際英語よりも論理を磨くことになるのです。英語は急激に上達しませんが、論理は準備しただけ効き目があります。

こんなふうに論理と付き合っていくと、言葉は論理であって、英語はツールに過ぎないのだ、と悟る時期がいずれやってきます。そのときはだいたい欧米流の論理が身についています。

欧米流の論理というのはWHY・BECAUSEがあくまでも明確です。ですから、コーチングの聞くという行為は欧米流の論理がマッチします。なぜなら、コーチングの公式は、

相手の真意を知ろうと努める → 相手が矛盾に気がつく → 答が見つかる

相手の真意を知ろうと「どうして?どうして?」と徹底して尋ねているだけなのに、相手はかえって自分の思い込みや考え方の矛盾に気がついてしまう、というものだからです。

私が英語習得の過程で身につけた論理は自分のコーチングでフルに生きているように思います。その立場から言わせてもらえば、アメリカの裁判もののテレビ・ドラマはたいへん参考になると感じています。

あんなふうに尋問になってしまってはいけませんが、同じ内容がもっと言葉を柔らかくして質問できれば、立派なコーチングになるなぁと思うのです。

良心に忠実であるということ
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耐震強度偽造問題が社会を揺るがしています。

設計事務所、検査機関、建築会社の責任問題がかまびすしいですが、一番悪いのは姉歯某。受注が来なくなるのが怖かった、そうですから。

問題の本質は結局、自分の良心に忠実であろうとせず、物質(ゼニ・カネ)に屈服したことにあります。物質(ゼニ・カネ)は超越するか、屈服するかのいずれかです。ですが、物質(ゼニ・カネ)に屈服してもまったく合いません。今となっては守ろうとした自分の生活さえもぼろぼろで、一家離散は免れないでしょう。その意味ではすべてが失われたと言っていい。

失ったといえば、マンション住民もそうです。退去と言うが、焼け出されたに等しい。ただ、不幸中の幸いというべきか、まだ誰も地震で犠牲になった人はいません。もし地震による倒壊で何百人の犠牲者を出した場合、この男、どの面下げて遺族とまみえるつもりなのか。誰だって、

「お前なんか、社会の迷惑だ。生まれてこないほうがよかったのだ」

と言われると落ち込むものですが、この男の場合はそう言われても仕方がない。

良心に反して、物質(ゼニ・カネ)に屈服した場合、その人の真我はその人に味方しません。自分からも見放され、社会からも抹殺されるから、この男の余命はいくばくもない、とみるべきでしょう。

これとは逆に、自分の良心に忠実で、真我を自分の味方につければ、いかに厳しい境遇であっても、耐え抜くことができるわけです。物質(ゼニ・カネ)を超越して、偽造などあくまで拒絶すれば、この強さを身にまとうことができたでしょうに。

物質(ゼニ・カネ)に屈服したのでは全く合わない。悪魔に魂を売るとはかくなることを言うのだな、と改めて思うしだいです。物質(ゼニ・カネ)はどうあっても超越しなければならないものなのですね。

余談ですが、物質(ゼニ・カネ)に屈服するわけでもないのに、不正を強要された話を聞いたことがあります。

少し前になりますが、某大手企業にお勤めのクライアントさんが、上司から予算管理で二重帳簿を持ちかけられたことがありました。断固拒絶すると人間関係がこじれそうだったので、うまい理由をつけて、二重帳簿をやめさせる算段を一緒に考えたことがあります。

言われた通りにやっても、露見したときには、責任を全部押し付けられて、詰め腹を切らされることが見えていました。二重帳簿なんかに加担すれば、これまた本人の真我が味方しないので、全てを失うことになるのです。

結局、良心に反して、真我が味方しないことをやるということは、悪魔に魂を売るということなのです。

対話のパラドックス
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プラトンの対話篇に出てくるソクラテスの問答こそ「元祖コーチング」でしょう。私は高校時代に副教材で読んだことがあります。

正方形の面積を二倍にするためには一辺の長さをどれだけにすればよいかという問題の答えを、召使の少年がソクラテスと問答するというくだりがあります。答えはソクラテスによって押し付けられたものではなく、少年が自発的な判断を発揮して答えたので、その意味で確かに自分で問題を解いたのです。

これはコーチングの理想モデルと言えます。それは、どこがわからないか、ということを対話のうちで積み重ねることによって正しい答えに至る、というものです。この方法をとるならば、たとえ知らないもの同士の対話でも答えが見つかる、というわけです。

欧米ではこうした対話が紀元前より文化としてあるのです。ちなみに対話というのは英語でダイアログ(dialogue)ですが、ギリシャ語ではディアロゴス、つまりディア(異なる)+ロゴス(論理)の意で、2つの異なった論理がぶつかり合うことを意味しています。論理(ロゴス)そのものが対話(ディアロゴス)から生まれてくる、というわけです。

日本人はどうもこの徹底して聞く、という文化を持ってないのです。以心伝心で「わかるだろ」「わかった」だと、微妙に食い違ったまま話は前に進んで行きます。農耕民族ゆえに以心伝心を良しとするからでしょう。和をもって尊しとなす、というのもあります。要するに日本は論理(ロジック)の文化ではないのです

ですから、平均的な日本人は、相手の真意を知るために、とにかく相手の話をよく聞くこと、この訓練が必要なように思います。そのためにはうるさがられても、徹底して質問する。根底に必要なのは、相手を知ろうとする意欲です。

コーチングの公式は、

相手の真意を知ろうと努める → 相手が矛盾に気がつく → 答が見つかる

相手の真意を知ろうと徹底して尋ねているだけなのに、相手はかえって自分の思い込みや考え方の矛盾に気がついてしまう。パラドックスですが、真実なのです。経済人の利己的な行為が結果的には社会に貢献する、といったような感じです。

このパラドックスは「徹底して聞く」という態度の結果生じます。このパラドックスのあるなしで対話がコーチングであるかどうか判定できる、と言っても過言ではありません。

ネット・カウンセラーの市場
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私はネット・カウンセラーです。コーチングでもカウンセリングでもサイトを運営してしています。幸いなことにどちらのサイトもそれぞれ「コーチング」・「カウンセリング」のキーワードで全ての検索エンジンで5位以内に入っています。

初回の電話相談は無料ということで、サイトを運営していますから、いろいろな方がサイトからメールで連絡を取って来られます。これまで通算400名くらいはお相手していると思います。

ネット・カウンセラーの市場を俯瞰するという目的で、今回、これまでに連絡を取って来られた方を分類してみました。以下のようになります。

@心に病のある人(稀)

A何事にもやる気が出ない人(稀)

B人生で何をやりたいのかわからない人・・・40%

C差し迫った問題を抱えていてスポットで相談したい人・・・30%

D差し迫った問題を抱えていて継続したサポートを受けたい人・・・10%

E進みたい方向がわかっていて、自己実現したい人・・・10%

Fコーチになりたい人・・・10%


@心に病のある人(稀)は少ないながら経験しています。この人たちは表面的には健常者と変わらないように思えますが、話していくと、理屈が通用せず、おどろおどろしい精神面の闇が認められます。専門医でもなければ、とても手を出せないと思います。

A何事にもやる気が出ない人(稀)はメールの文面が極めてぞんざいで、無礼なのが特徴です。まず相手にしようという気が起こらないと思います。@心に病のある人と同格の存在です。本人に自助努力がなくて投げやりなら、他人はどうしようもないです。

B人生で何をやりたいのかわからない人(40%)は極めて多いです。半数近いと思います。「自分探し」は難しいものです。ですからいろいろ悩んでいることはわかります。しかし、やることの選択肢は無限にあるのです。他人が答えを渡すことはとうてい無理です。自分でわからないものが、他人にわかるはずがない。いろいろ聴いてあげても、最後には、

「で、結局どうしたいですか」

と尋ねるしかないのですが、これが返答に窮してしまって答えられない。こういう人はいままでさんざん相手をして来ましたが、今は文面から判断して、自分でもっと煮詰めてから連絡いただくようにお願いしています。再び連絡を取ってきた人は・・・いないですね。

C差し迫った問題を抱えていてスポットで相談したい人(30%)はひと言で言うと初回無料だから申し込んで来られる方です。若い人が多いです。クライアントには絶対なりませんが、私はこのタイプの人は例外なくお相手するようにしています。ボランティアでなんらかのヒントを渡すことで、相手も助かるし、自分も助言の経験を積むことができるからです。ただし、見ず知らずの他人の私が、一銭にもならんのに何でこんなに親身に相手をしなければいかんのか、とたまに思うこともあります・・・。

D差し迫った問題を抱えていて継続したサポートを受けたい人(10%)は中年の方に多いです。ネット・カウンセラーとして一番腕の振るい甲斐のある相手です。

E進みたい方向がわかっていて、自己実現したい人(10%)は一番コーチングに向く人ですが、コーチングを受けるまでもなく、ただ背中を押して欲しいだけ、という人も半分くらいいます。

Fコーチになりたい人(10%)は自己実現がコーチング、という人です。ふつうメンターを探していることが多く、メンターとしてお付き合いすることが多いです。


以上ですが、クライアントになっていただけるのは、D〜Fに限られて来ます。とはいえネット・カウンセラーとをやっていると本当にいろいろな出会いがあり、世の中がよくわかります。ネット・カウンセラーは3日やったらやめられない、実に興味の尽きない仕事なのです。
300 カウンセリングは愚痴か
299 助言手法にこだわるな
298 閉塞感の中で一歩踏み出す
297 自分の人生は自分で評価
296 「答えはあなたの中にある」というコーチング哲学の功罪

*
295 カウンセリングを切り捨てたコーチング
294 目上は変えられない、自分が変わるしかない
293 つかまない
292 ニーズのない人
291 経営者・管理職は外的コントロール世代

*
290 臨床は財産だ
289 『巨人の星』は外的コントロール
288 コーチングはすぐれて論理的な対話
287 ヒマに耐えられる器
286 選択肢はどんどん捨てる

*
285 インターネットの普及とパーソナル・コーチング
284 プロのコミュニケーターのプレゼンスを学ぼう
283 私のコーチング事始
282 教育商品の限界
281 広義のコーチングとはカウンセリングを組み込んだもの

*
280 方向性をコンサルティングする
279 地獄から抜け出す
278 ネット・カウンセラー
277 自在性
276 沈黙

*
275 配合比率
274 盲目的な従順は人間失格
273 ウナギになろう
272 嫉妬
271 論理と柔軟性

*
270 『千と千尋の神隠し』
269 論理
268 良心に忠実であるということ
267 対話のパラドックス
266 ネット・カウンセラーの市場
*
265 コーチング・セミナーの意義
264 元「外的コントロール」の信奉者
263 外的コントロールなき家庭
262 骨付きの肉
261 外的コントロール

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260 衆知を集める
259 争う
258 アンコーチャブルな人の相手(最終)
257 アンコーチャブルな人の相手(続き)
256 アンコーチャブルな人の相手

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255 自分が探しあたらなければ
254 メール
253 ワクワク感の陥穽
252 今の仕事の否定形
251 気管支炎その後


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