過去を封印する
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JR福知山線脱線事故からおおかた2年になります。最近目にした報道で大変印象的だったのは、

「あの時から時間が止まったままです」

という遺族がいることです。もちろん無理もないな、と思いますが、そこまで過去に生きなければならないとしたら、そのことも悲劇です。

関西大震災からは12年になります。もし、

「あの時から時間が止まったままです」

という遺族がいるなら、お気の毒だとは思いますが、生き方としてはやっぱり正しくないと思います。人間は日に新たな存在である以上、過去は「封印」しなければならないと思うからです。

こんなことを書くのは、あるクライアントさんは自分は20年近く過去に生きてきたと言われたからです。辛いこともあったが過去が美しすぎるのだそうです。過去の世界は確かに心地よい世界です。と言っても過去の世界は実存しない幻なのです。たとえれば冬の朝の布団の中の世界です。

私たちはいつまでも布団の中で寝ているわけにはいけないのです。布団を蹴って起き上がり、顔を洗わなければなりません。

私はオーディオ評論家として高名だった故長岡鉄男さんのファンですが、ある集いの席でご一緒したことがあります。同席者がしきりと昔の話を持ち出し、過去を語ってもらおうと試みるのですが、長岡さんは、

「あ〜、それはあんまりにも昔のことですからね」

を繰り返すばかりで、取り合わない。長岡さんは晩年まで斬新なアイデアを提唱し続けてとどまるところがありませんでしたが、その秘訣を垣間見た思いでした。

人間は過去に生きれば人生を浪費する。過去を封印するほど、天分・本分を発揮できるもののようです。

自分の人生何だったのか、という視点
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同学年のクライアントさんを何回か持ったことがあります。今回も話していくうち、年上だと思っていたのが同学年だとわかりました。同学年の親近感は格別です。何を話してもハナシが速い、と感じます。

私は昭和34年亥年の1月生まれで早行きです。クライアントさんは昭和33年戌年生まれで遅行きという毎回同じパターンでどの人も大学生の子供がいるのが共通しています。これに対し少々晩婚で子供も遅かった当方は、中学生と小学生です。

私は現在48の完全なオッサンですが、その昔はピカピカの一年生だったころもあるのです。そのころ同じように教室で机を並べていたのが同学年なのです。私の場合、いつもこのシーンを連想します。

しかし、月日は流れて日はだいぶ傾いた感じになってきました。私を含めてどの人も最後に一花咲かそうという想いは共通しています。

さて、コーチングのニーズのあるのは30代、40代です。30代は仕事や職場のことでコーチングすることが多いです。しかしこれが40代、それも40代後半になるとその人の人生全体を俯瞰したコーチングになる傾向があります。つまり自分の人生何だったのか、という視点が出てくるのが40代なのでしょう。

コーチングでいろいろなクライアントさんに当たると、この傾向が顕著に認められるな、というのをかねてから感じています。

コーチングに価値を見出さない世代
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パーソナル・コーチングに価値を見出さない世代というのはあります。たとえば現在70代・80代の世代はコーチングに価値を見出すでしょうか。そもそも一線を退いて余生を送っているこの世代に、何かの目標を達成するというニーズ自体が希薄でしょう。

私はインターネットでホームページ経由でいろいろな世代の方から連絡を頂戴しますが、一番コーチングに理解があり、ニーズもあるのはやっぱり30代・40代の人です。私は現在48ですが、このあたりが実際的な上限という気がします。

10代・20代の人はやはり経済的にコーチングを受けるのはきついと思います。ただ20代も後半になってくると全く事情が変わってきます。20代後半の極めて優秀なクライアントさんには個人的に数多く当たっています。

50代・60代の人は40代と70代の中間的な感じになります。コーチングのクライアントとしてはかなり厳しいと思います。もちろん例外的にコーチングに理解があり、ニーズもあるという人はいないことはないですが、極めて少ないのが実情です。

私は体験コーチングを無料でやっています。30代、40代の人は私が無料でコーチングしていることを営業活動の一環として理解してくれて、コーチングを継続して受けることを念頭において、体験コーチングに臨みます。

しかし、50代・60代はその大半が体験コーチングは私の奉仕活動(慈善事業)ととらえて、継続してコーチングを受けるという心の準備が感じられないのです。

それは体験コーチングの依頼文にも現れていて、だいたい解決方法をアドバイスして欲しいといった内容になります。文章の書き方もぞんざいなものが多く、メールのやりとりでもRE:で全く関係のない表題を使い回すなどマナーも悪く、いい印象がありません。あくまで私の偏見だと思いますが、50代・60代の人からメールをもらうと身構えてしまいます。

キツイ言い方をすれば、少数の例外はあるにせよ、デジタル・デバイトとコーチングの顧客の境界は一致していると思います。コンピューターがさわれない世代は、コーチングのクライアントにはならない、と言えるのです。

なぜこんなことを言うかというと、私のクライアントさんが、

「これからは2007年以降に退職する世代にコーチングのニーズが増えるのではないか」

と考えて、その方向でビジネス・モデルを考えようとしていたからです。もちろん私は全くそうは思わないので、その旨はフィードバックしました。

年配者は概して話が長く、双方向の対話になりにくい傾向があって、一方的に傾聴することを求めてきます。しかも若い頃の生い立ちからして、こうした傾聴にお金を払うという価値観は根付いていません。

2007年以降に退職する世代をコーチングの対象と期待するなら、おそらく大きな失望を味わうことになると思います。この世代はパーソナル・コーチングというサービスにお金を払う世代ではないと思います。コーチングに価値を見出さない世代は厳然と存在するのです。

皿を食ったらウサギになる
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「毒食わば皿まで」という慣用句があります。

意味は、

「毒を喰らったら、どうせなら毒が盛られていた皿(普通なら食べないようなもの)もついでに喰ってしまえ、と自棄になること」

なんだそうです。人間ある意味完璧主義のところがあるので、その完璧主義が崩れると、

「ま、いいか」

がエスカレートする、ということと理解しています。

たとえば、ダイエットのリバウンドとはこの現象そのものです。似たような事例としては、売り上げ目標数字がとても達成できそうにない、となるとどっと緊張感が切れてしまう、といったことがあげられるでしょう。その結果、ウサギとカメのウサギになってしまい、こつこつ努力をしなくなるのです。

クライアントのYさんは自営の保険代理店を個人でやっておられます。Yさんはこれまで順調に売り上げを伸ばして来られたのですが、今年度はとても売り上げ目標を達成できそうにない状況に追い込まれたあげく、半年くらい気合の入らない時期が続いたとのことです。気が付いたら、否応なくスパートせざるを得ない羽目になってしまったそうです。

私にコーチングを申し込んで来られたのは、自分がついついこの「ウサギ」になってしまうので、誰か監視役が欲しかったようです。

Yさんが会合で会った先輩が実に堅実に数字を上げているそうです。話を聞いてみると、毎年の売り上げ目標額は同じで、拡大路線はとらないとのことです。そのため、年間のペース配分がうまくできているのだそうです。

「自分は、売り上げ額は毎年増えていくべきだ、という思いがあって、目標がいまいちはっきりしない上に背伸びをしていました。それでうまくいかない日々が続くと、ついウサギになってしまってたんですね」

とYさんは言います。結局、ポイントはいかにして「カメ」でい続けることができるか、です。まず第一に無理のない目標でペース配分をきちんと考える。それでも物事がうまくいかないことは何度となくある。そこで毒を食ったら少なくとも皿には手をつけない、という気持ちがカメでいる秘訣のようです。皿を食ったらウサギになってしまうわけですから。

指導口調
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私は20年ほど前、企業派遣の幹部研修として、高野山の寺院で1週間の○○○訓練を受けたことがあります。受講生はいろんな業種の会社から派遣された人たちで総勢25名ほどでした。この人たちと一週間「同じ釜の飯を食った」わけです。

印象に残っていることは多いのですが、その1つに「指導口調」というのがあります。

研修が始まるまでは、講師の先生は、

「A社の杉本さん、遠いところよくおいでくださいました」

と至極丁寧な口調だったのです。ところが研修が始まると同時に、

「これから、研修言葉に切り替える」

と言った後、

「おい、杉本」

という呼び捨てに変わったことです。もちろん叱責や罵倒も呼び捨てでなされ、たとえば、

「杉本、ほかの者の気持ちをありがたいと思わんのか」

といった感じでした。

しかし研修が終了すると、

「杉本さん、お疲れ様でした。これからも頑張ってください」

と丁寧にねぎらわれた次第でした。呼び捨てにされたことは全く尾を引きませんでした。

さて、クライアントのSさんはテニス・スクールでコーチをしておられます。日ごろ頭を悩ませる問題は、いかに生徒(主に主婦)と適切な距離を保つかということです。

というのは指導中に、

「こう打ってみられてはどうでしょうか」

といった馬鹿丁寧な言葉を使うと、相手は「手ぬるい」とか、「このコーチは実力がない」と思ってしまい、やめていくのだそうです。

「はい、打って」
「そこは、もう少し下げる」
「ちがう、ちがう、もっと踏み込んで、そう」

といった口調が適当なようです。

その一方で、レッスンが終わると、オバサンたちはお茶や食事に誘ってくるそうです。ある意味人気商売ですので、そこであまりかしこまっていてはうまくない。かといって、コーチと生徒という人間関係を維持するためには、一線を引きたい。いろいろ難しいのだそうです。

この方の話をうかがって、私は昔経験した高野山での研修を思い出しました。つまりレッスンの始めと終わりは丁寧に、指導中は指導口調で、というやり方です。私の経験をシェアしたところ、

「なるほど、自分もやってみよう」

ということでした。意外なところで意外な体験が役に立ちました。言葉遣いは丁寧ならいいというものではありません。距離感を縮めるためにはラフなもの言いは必要。しかし、けじめをつけるために豹変も必要、ということなのだと思います。
700 人前で話すコツ
699 あまり目標達成のみにこだわるのも善し悪しだ
698 ビジネス・コーチングはカスタマイズ
697 自分の精神の防御が第一
696 女性の誘い方

*
695 サラリーマンは流されて生きるしかない?
694 頭から否定しない
693 危うく難を逃れた
692 コーチングに合わない人
691 マッサージ1回分

*
690 もう謝るな!
689 コーチング研修
688 問題意識が感じられないとき
687 とっとと答を渡す
686 高知市に出張

*
685 コーチング臭いコーチング
684 体調いかんにかかわらず
683 デジタル・デバイド
682 ファンレター
681 病との付き合い方

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680 保健師向けコーチング・セミナー
679 片道6時間、日帰り出張の限界
678 オッサン笑い
677 カルマを背負ってお気の毒、と考えよう
676 「青臭さ」が必要

*
675 コントローラー
674 大言壮語
673 実情は仕切り直し、出直し
672 Wikipediaのコーチングの解説
671 一緒に考えましょう

*
670 軽く、明るく、前向きに
669 それをコーチングで引き出してもらえると思ってました
668 執事という考え方
667 おせっかい
666 そんなに忙しくないコーチ業

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665 おかしいぞコーチング学習者
664 事業を従業員に解説する
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662 何かを取ったら何を捨てなくてはならない
661 コーチング1回15分

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660 質問の呼び水
659 人当たりの丸さ
658 「気持ちはわかる」「無理もない」
657 自分のブランドを築く
656 自己承認を磨く

*
655 過去を封印する
654 自分の人生何だったのか、という視点
653 コーチングに価値を見出さない世代
652 皿を食ったらウサギになる
651 指導口調

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