チャレンジを続けるところに自己承認はある
825



世の中には上には上があるものです。

たとえば渡部昇一氏はアマゾンで検索すると500冊近い著作や翻訳が出てきます。それに引き換え私などはたかだか1冊とか2冊でひいひい言っているのですから、まさに雲泥の差でしょう。

自分は間違いなく、凡人・凡才というしかありません。

しかし、生き方次第では自己承認はいくらでもできます。要は凡人がなけなしの能力をフルに使って何かにチャレンジするところが尊いのです。たとえ結果が出せなくても、敗れても、その時その時に全力を尽くして来たのなら、自分自身は承認できます。

そして、チャレンジを続けていればダビテとゴリアテの戦いみたいに、圧倒的な劣勢を撥ね飛ばして勝利する瞬間は一度や二度はあるものです。そのときは自己承認がピークに達するわけです。いずれにせよ、チャレンジを続けるところに自己承認はあるのです。

チャレンジを続けるということは、結果を出せなくても、敗れても、あきらめない。つまり自分に克つ(克己)ということです。自分に克ったら、その克った部分を前向きに評価できるわけです。これこそ加点主義そのものだと私は思います。

その意味では他人と比較しても始まりません。他人と比較するのは減点主義です。凡人こそ減点主義では絶対自己承認できません。加点主義で「生きざま」を自己承認するわけです。

チャレンジを続けるところに自己承認はある、これはその通りですが、そのチャレンジを他から与えられたのか、自分で作り出したのか、というのは大切なポイントです。

たとえば、営業の目標数字などは会社から与えられるものです。それにチャレンジしているころは自己承認できていたのに、一旦会社を離れてしまえば、チャレンジする対象を失って、根無し草みたいになっている人は世間に多いです。そういう人は自己承認できていた時代を懐かしむ傾向があります。こうした自己承認はホンモノではありません。

チャレンジは自分で作り出す、それでこそ自己承認がホンモノになるのです。

指摘と批判は紙一重
824



部下の足りないところを指導するのは上司の仕事です。子供の足りないところを指導するのは親や教師の役割です。

「それではダメだ」

この指摘は遠慮なくやる必要があります。しかし、

「ダメなのはお前のせいだ」とか

「だからお前はダメなんだ」

という批判は、相手に気持ちの整理を強要するからやってはいけないということです。しかし、指摘と批判は全く紙一重です。たとえば、

「それではダメだ」

というのを語気強く言い放ったとします。かなり批判に近くなります。となると、指摘が指摘たり得るためには、短気は厳禁です。あくまで物静かに忍耐強く、しかし断固とした言い方をしなければなりません。つまり、

指摘 = 忍耐

批判 = 短気


であるわけです。忍耐を失うと同じ言葉が容易に外的コントロールに変わってしまうのが、紙一重である所以なのです。

加点主義とあげまん
823



「あげまん」「さげまん」という言葉があります。夫の運気を上向かせる女性があげまんで、下降させる女性をさげまんというわけです。世間ではこれを単に相性でとらえる向きが多いのですが、決して相性だけの問題ではないはずです。結局、その女性の夫に対する人間理解が加点主義か、減点主義かに尽きる、と私は考えています。

なにせ、あげまんは、

「あんたはすごい」
「あんたならやれる」

という承認を一生涯吐き続けてくれるわけです。さげまんはその逆で、

「あんたなんて最低」
「あんたはなにをやらせてもダメね」

という批判を一生涯吐き続けるわけです。これは人生勝負あった、にならなければおかしいでしょう。

誰しも長所・欠点を併せ持っています。加点主義的な人間理解は正しいし、減点主義的な人間理解も正しいのです。単に長所に着目するか、欠点に着目するか、だけの違いです。加点主義的な人間理解にせよ、減点主義的な人間理解にせよ、人それぞれの立場からはその理解に至ったいろいろな理由があることでしょう。

しかし両者の違いは光と闇のようなものです。加点主義の人間理解ができる人は、相手の長所を容易に見出して承認できます。ところが減点主義の人間理解しかできない人は、何かと相手のあら捜しをして批判するわけです。

加点主義なら相手の長所の承認

減点主義なら相手の欠点の批判


これ以外のありようはないでしょう。その結果、加点主義の人間理解ができる人は承認した相手から同じように承認されて、円満な人間関係を築き上げます。減点主義の人間理解しかできない人は批判した相手から同じように批判されて、殺伐とした人間関係を築くことになるわけです。各自はそれぞれの人間理解に従って、その内部から自分自身の人間関係を築き上げているのです。

しかし、この人間理解の相違がその人が繁栄するか、不遇に終わるかの分かれ道なのです。加点主義の人は多くの人脈に恵まれて何かと援助や引き立てを受けます。その結果、その人を取り巻く一切を繁栄の道連れにするわけです。一方減点主義のは人脈に恵まれず、何かと割を食うわけですが、その人を取り巻く一切を不遇の道連れにするわけです。

とすれば、承認・批判といったコミュニケーションの違いこそが、その人の幸福と不幸、成功と失敗、繁栄と不遇を分けていると言えるわけです。

自分をゆるす
822



外的コントロールに訴えれば、相手はその後に気持ちの整理が必要になります。

たとえば、あなたがこう言われたとします:

「君のような人間はこの世でどんな仕事をやっても絶対成功しないよ。機転がきかないし、なまけものだし、何をやらしても駄目なんだ」

自分が軽蔑している人物がこんなことを言っても軽く受け流せますが、尊敬している人とか身内からこんなことを言われた日には相当こたえます。

当然、あなたは気持ちの整理に取りかからざるを得ません。その「気持ちの整理」とはいかなるものでしょうか。結局、自分の肯定できる部分を探すことです。つまり、

「ここまでは言われた通りだが、ここからはそうではない」とか、

「言われたことはその通りだが、こういういい点もある」

という論理を構築して、自己承認に努めることを「気持ちの整理」というわけです。

外的コントロールに対する気持ちの整理のコツは、減点主義に陥らないことです。減点主義では、相手の批判は受け入れるしかない。しかし、加点主義では自己承認が割りと容易です。人間だれでも少しぐらいはいい点があるからです。

それにあなたのいい点は決して「少し」ではありません。大抵あなたの8割くらいはそのままでいいのです。相手が改善するように迫ってきているのはせいぜいが残りの2割くらいの内容なのです。

外的コントロールを受けたら、まず第一のポイントは、

自分をゆるす(肯定する・承認する)

というアプローチであるわけです。

他人をゆるす
821



他人が外的コントロールに訴えれば、まず一番に着手すべきは「自分をゆるす」(自己承認する)という気持ちの整理ですが、ほぼ同時に必要になるのは、「相手をゆるす」という気持ちの整理です。と言って、そんなトラウマを受けているのに、相手を承認することは不可能です。できることはただひとつ、相手に対して「期待感を捨てる」ということです。つまり、

「相手は○○でなければならない」とか

「相手は○○すべきである」

といった考え方を捨て去り、

「あれはああした人なんだ。他人のありようは自分の問題ではないし、しかたないな」

と考えることです。この気持ちの整理も減点主義をとるかぎり不可能に近いでしょう。

もっとやさしく言ってほしい、目上なら目上らしく振る舞ってほしい、上司ならいざという時には責任を取って欲しい、と思っている限り、相手に対する批判は止まりません。加点主義を取ってはじめて、包容力のある気持ちの持ち方ができるわけです。

その結果、外的コントロールに訴えた相手との人間関係も、悪くなってもなくなってしまうことはありません。ほとぼりが冷めたらまた何事もなかったように継続できます。職場の人間関係、親族・家族などの身内との人間関係は、「この相手をゆるす」という行為が必要不可欠であるわけです。外的コントロールを受けたら、第二のポイントは、

相手に対して期待感を捨てる

ということなのです。

まとめると、外的コントロールを受けたときの気持ちの整理とは、まず自分をゆるし、次に他人をゆるす、ということです。基本理念は加点主義です。

減点主義だとこうした気持ちの整理がまず不可能です。その結果、自分が承認できず、相手との人間関係も断絶し、孤立を深めて一層自己嫌悪におちいる悪循環が待ち受けていることでしょう。

ところが加点主義だと、自他ともに被害最小で受け流せるわけです。ですから、

加点主義こそ生きていくうえの知恵

と言っていいでしょう。その人物の精神的成熟度のバロメーターであるとも言えると思います。
850 スキルではなく意欲に働きかけるのがコーチング
849 まず相手の現状を肯定しよう
848 受身の練習
847 承認の共鳴
846 記憶力の減退

*
845 子供が泣いて連絡が取れない?
844 方便をでっちあげる
843 聴衆1000名
842 心臓を鍛える
841 とりあえず承認しておこう

*
840 コーチングも選択肢のひとつ
839 役回り
838 加点主義・原点主義が人生の分かれ道
837 関係改善のやり方はある
836 意欲があるかないか

*
835 ライフワークはわからなければぜいたく品
834 まず、変な人に辞めてもらう
833 説得がうまい人
832 国会討論というけれど
831 絶対相手を承認してはいけないコミュニケーション

*
830 真我の発動
829 不親切なようでも
828 批判せずに相談しよう
827 単純化
826 存在感の出し方

*
825 チャレンジを続けるところに自己承認はある
824 指摘と批判は紙一重
823 加点主義とあげまん
822 自分をゆるす
821 他人をゆるす
*
820 承認は元気の源泉
819 少子化社会は意識的なコミュニケーションが不可欠
818 コミュニケーションでケアしなければならない時代
817 いかにオープン・クェスチョンに慣れてもらうか
816 バランス・シート経営

*
815 氷室の日(7月1日)
814 日常の繰り返しを破る
813 凪
812 「いざとなったら」、このポイントを押さえよう
811 苦手な歯科

*
810 心の法則の誤解
809 夢は他言しない
808 まともな人だけ相手にする
807 逆境に勝る師なし
806 癒しの傾聴はやらない

*
805 武豊町
804 自己実現の陥穽
803 承認は自我を育てる
802 人間相手は加点主義しかありえない
801 外的コントロールは減点主義だから古い


*** コーチングを受けてみませんか
*** コーチングとは(私見)
*** 社会人のためのカウンセリング
*** カウンセリングとコーチング
*** ビジネス・コーチング入門
*** ライフワーク・コーチングの奨め
*** オーケストラ再生のオーディオ
*** オーケストラ録音を聴く
001〜050 051〜100 101〜150 151〜200 201〜250
251〜300 301〜350 351〜400 401〜450 451〜500
501〜550 551〜600 601〜650 651〜700 701〜750
751〜800 801〜850 851〜900 901〜950 951〜999
All copyrights reserved 2007 Yoshiaki Sugimoto