ライフワークはわからなければぜいたく品
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よく、今の仕事が自分に合っているとは思えない、というメールを頂戴することがあります。それがサラリーマンであることが大半ですが、時には経営者であることもあります。生活していくのに、今の仕事は放り出せないに違いありません。さりとて、今の仕事は好きになれない。板ばさみです。このままでは身動きがとれません。

この想いは世間で無数の人が抱いている思いであることでしょう。なにを隠そう私も昔はそうした想いを強く持っていました。だから、この想いはよくわかります。

しかし、問題はここからです。「だからどうしたい」という想いがあるのかないのか。経験から言えるのは、「だからどうしたい」という想いがない状態で、この悩みを他人に語ったところでとくにどうなるわけでもない、ということです。きつい言い方をすれば、「だからどうしたい」というのがなければ今の仕事に甘んじているのが相応しいわけです。

つまり自分のライフワークというのがわからなければ、それはその人にとってぜいたく品に過ぎません。どうしても手に入れたいという動機に全然欠けています。しかし逆に自分のライフワークがはっきりしているなら、それはその人にとって必需品となっています。燃え盛るような意欲が感じられます。その場合にはじめて、現状を否定することなく、一歩目指す方向にシフトする、というアクションが確実に取れるわけです。

この差は大きいと思います。ぜいたく品であるうちはやっぱり自助努力が足らないわけで、たいして相談にも乗れません。必需品になれば、話は断然現実味を帯びて来ます。もちろん、コーチングできるようになるのは必需品になってからです。

まず、変な人に辞めてもらう
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役所ではいわゆる「変な人」が温存されているケースがよくあります。

たとえば、とある公立大学の先生からこんな話を聞いたことがあります。女性事務員ですが、周囲に挨拶は一切しない。電話で伝言されても取りつがない。それで苦情を言われると、「は?」とすっとぼける。全く異動がなかったこともあって、いろいろな部署の業務を管轄しており、指揮系統がはっきりしない。悪知恵がけっこう働くので、変に逆らったらどんな嫌がらせを受けるかわからないので、みんな臭いものにフタをするように避けているが、存在自体がたいそうなストレスとなっているのだそうです。

中小零細企業なら即クビの人材が十年選手などというのは枚挙に暇がないのが実情のようです。公務員は身分が保証されている上に事なかれ主義だからこうなるのです。社会保険庁などは変な人がとくに多いのだろうと想像します。

さて、役所ほどではないが、大企業でもこうした人材が温存されていることがあります。ひとことで言って、組織に経済的なゆとりがあること、大組織でオーナーシップが欠如していること、これがこうなる理由です。

クライアントのYさんも大企業にお勤めです。今度組織改変があり、こうした変な人を自部署に抱え込まなければならないそうです。その人は十年選手で仕事熱心な反面、細かいことにこだわって、仕事のチェックが極めて厳しい。そのうえ、他人の批判が病的に強く、会議で他人の批判が始めるとアドレナリンで顔が真っ赤になるそうです。その人が所属する部署は全くばらばら。その人と一緒に仕事をするのがイヤで辞めていった社員も一人や二人ではないそうです。こちらも存在自体が周囲のストレスとなっている点で同様の事例です。

「なんでこの人が今まで残ってきたのか、ずっと疑問でした」

とYさんは言います。組織改変を絶好の機会ととらえて、この男の肩をたたきたい、というので私も大賛成しました。まっとうな社内風土を職場に根付かせるためには、こういった人はぜひとも辞めてもらわなければなりません。変な人を更正させようとしても徒労に終わります。更正できる人材ならとっくに何とかなっています。このあたりきれいごとではダメで、敢えて憎まれ役を買って出るという思い切りが肝心なのです。いやな思いをするのは一時のことです。このさきずっとストレスを抱えていくよりはよほどいい。

ビジネス・コーチングの本では各人の無限の可能性を信じるとうたってあります。寡聞にして、変な人は即刻辞めさせよ、と書いてあるのは見たことがありません。変な人を即刻辞めさせることができるかどうかは、その組織のオーナーシップのバロメーターなのです。ビジネス・コーチングがまっとうに機能するようになるのは、変な人を辞めさせてからです

説得がうまい人
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説得がうまい人には共通点があります。それは穏やかに話して、承認が上手だということです。

説得の目的は何なのか。それは相手に理解してもらい、相手にこちらの意図するように動いてもらうことです。決して、自己主張をすることではないのです。

国会での野党の質問みたいな話し方は、承認ゼロであり、こういったコミュニケーションを各自が実際の社会生活でやっているとしたら、とんでもないことです。物別れに終わるのはもちろんのこと、何一つ相手を納得させられないでしょう。

となれば、相手を納得させるには、指摘はしても批判はしないに限ります。批判と指摘の違いは単に語気に怒りをふくんでいるか、いないかの違いです。語気に怒りが含まれていれば、間違いなく批判になります。批判口調で相手を承認することなどできはしません。

家庭で家内が子供によくこんなことを言ってます;

「○○ちゃん、さっきから早くお風呂に入りなさいと言っているのに何度言わせるの」

これはもちろん批判口調です。言われたほうは子供でもむくれます。

私はこういう言い方をするようにしています:

「○○ちゃん、もう一度言うけど、早くお風呂に入ろうよ」

「うん、わかった」

「よし、いい返事だ」

どうですか?穏やかに話して承認が上手ければ、そうでない場合と比べて全然差がつくでしょう?これは相手が子供でも大人でも基本的に同じです。

国会討論というけれど
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昨日、テレビの選挙番組で、民主党の小沢党首がインタビューを受けていました。

「選挙で過半数を取れなければ引退されるとおっしゃるのは、結果に自信があるからですか」

という質問に対して、答えの長いこと長いこと。まるで金魚のフンです。要は、

「自分の意気込みをアピールしたいから」

ということに尽きるのですが、どうしてひと言でそう言えないのか。こうしたところに「賞味期限切れ」を感じてしまうのです。

国会の論戦と言うが、結局こうした冗長なやりとりがその実体だと私は思います。議論と言うに値しないとかねがね感じているのです。国会は答弁には原稿があって、読み上げているだけです。失言をこれだけ追及されるならやむを得ないですが、なんとなく茶番を想起させます。

とくにわけがわからんのはあの代表質問というやり方です。「やあやあ、我こそは」という平安の昔の戦のせりふみたいではありませんか。

昔、湾岸戦争の時、旧社会党の土井たか子がサダム・フセインに陳情に行ったとかで、代表質問を時の海部首相にしたことがあります。街で通りががりに中継に見入っていたら、同じく通りがかりの人が、

「オバチャン、がんばっとるやないか」

と言って、笑いかけてきたことを今でも思い出します。

国会の討論は双方の主張を開陳する手続きの場であって、討論ではない、と言っていいでしょう。

絶対相手を承認してはいけないコミュニケーション
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絶対相手を承認してはいけない、というコミュニケーションがあります。国会論戦、選挙戦がこの類です。ただし、相手の批判は、相手の考え方や行為の批判は構わないが、人格の批判であってはいかん、という最低限のルールだけはあるようです。

与党も決してほめられたものではないですが、反対のための反対ばっかりしている野党のコミュニケーションはひどいものです。野党の発言は、存在感をみせるためのパーフォーマンスであり、犬が吠えているのを連想します。

このたびの参院選では民主党の小沢や渡部といったあたりが選挙で負けたら、引退すると言っています。もともとあんたら賞味期限切れだろう、と言いたいです。それを鳩山が、

「総理と覚悟の違いが出た」

と言ったそうですが、所詮野党とはその程度のものです。まあ、よくこれだけ減らず口がたたけるものと感心してしまいます。

社民党・共産党にいたっては一本切れている感じがあります。黒を白と言って動じないカルト性を感じます。その意味では個人的に存在意義を疑っています。

選挙戦は真面目にプロパガンダに聴き入っていると腹が立ってきますが、ゲームと思えばそれなりに楽しめると考えています。今回与党が厳しいのは事実で、どこまでがんばれるかがポイントです。いずれにせよ日本の選挙は空気を味方につけた方が勝つので、与野党ともどこまで空気に乗れるかでしょうね。
850 スキルではなく意欲に働きかけるのがコーチング
849 まず相手の現状を肯定しよう
848 受身の練習
847 承認の共鳴
846 記憶力の減退

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845 子供が泣いて連絡が取れない?
844 方便をでっちあげる
843 聴衆1000名
842 心臓を鍛える
841 とりあえず承認しておこう

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840 コーチングも選択肢のひとつ
839 役回り
838 加点主義・原点主義が人生の分かれ道
837 関係改善のやり方はある
836 意欲があるかないか

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835 ライフワークはわからなければぜいたく品
834 まず、変な人に辞めてもらう
833 説得がうまい人
832 国会討論というけれど
831 絶対相手を承認してはいけないコミュニケーション
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830 真我の発動
829 不親切なようでも
828 批判せずに相談しよう
827 単純化
826 存在感の出し方

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825 チャレンジを続けるところに自己承認はある
824 指摘と批判は紙一重
823 加点主義とあげまん
822 自分をゆるす
821 他人をゆるす

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820 承認は元気の源泉
819 少子化社会は意識的なコミュニケーションが不可欠
818 コミュニケーションでケアしなければならない時代
817 いかにオープン・クェスチョンに慣れてもらうか
816 バランス・シート経営

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815 氷室の日(7月1日)
814 日常の繰り返しを破る
813 凪
812 「いざとなったら」、このポイントを押さえよう
811 苦手な歯科

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810 心の法則の誤解
809 夢は他言しない
808 まともな人だけ相手にする
807 逆境に勝る師なし
806 癒しの傾聴はやらない

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805 武豊町
804 自己実現の陥穽
803 承認は自我を育てる
802 人間相手は加点主義しかありえない
801 外的コントロールは減点主義だから古い


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